第4話  少年マンガを一度も読んだことがない男の子は存在するのかという実験

「お腹いっぱいだー、こんなの久しぶり」


 特上の寿司桶の中身をきれいに食べ切ると同時に、てるはソファに飛び込むように横になった。


「すぐに横になるな。行儀が悪いぞ」

「別にこーすけしかいないんだからいいじゃん」

「胃酸が逆流して危ないらしいぞ」


 ネットか何かで見た知識を披露するけど、輝は少しも聞いていないらしくソファに転がったまま、リビングの中をキョロキョロと見まわしている。


「あんまり楽しそうなものないね」

「引越ししたばっかだし。部屋が余ってるからわざわざこっちに置かなくてもな」


 リビングと言ってもそれは間取りでの話。一応母さんからのプレゼントで電気カーペットに大きめのテーブル。それからベッドにもなるソファが二つもある。


 友達が遊びに来てもいいように、と母さんは言っていたけど、残念ながら思考実験サークルなんて奇怪きっかいなサークルに入っている俺には、泊まりで遊ぶどころか話しかけてくれる友人すらろくにいない。


 家族団らんという言葉から連想されるようなテレビだったりお菓子やトランプやボードゲームが入っている棚もない。


「しょうがないな。ついてこいよ」

「えぇ~、僕まだ動きたくないよ~」

「いいから立てって。結構おもしろいと思うぞ」


 ソファの上で小さな体を左右に転がしている輝の両手を引いて起き上がらせる。運動不足の俺でも軽々と持ち上がる体。ちゃんと食べているのか不安になる。


「そういえばさっきもお腹いっぱい食べたのは久しぶりって」

「起きるってばー! だから手を離してっ」


 言われて折れそうな細い手首から両手を離す。このまま握っていたら壊れてしまうような錯覚がした。


 起き上がった輝を連れて、俺は残っていた空き部屋のドアを開けた。3LDKの間取りのうち、一つは俺の部屋、もう一つは客間として輝が使うことになった。最後の一つは、俺の趣味部屋ということになっていた。


 実家から持てる限りのマンガとゲームを持ち出して放り込んだこの部屋には、思い出のものからつい先日買ったものまで俺の歴史と言えるラインナップが好きに詰め込まれている。


 月刊の少年誌から週刊の少年誌まで。懐かしいと思えるもの、俺が生まれる前から連載されている大作、最近話題になった有名作までギッチリと4つの本棚に詰まっている。


 ゲームの方もレトロゲーム扱いになってしまったものから、最新ハードまである。モニターはテレビ兼用の50インチで大迫力で楽しめるようにこだわって買ったものだ。


「すっごーい。これ全部マンガなの?」

「あぁ、好きに読んでいいぞ」

「こんなにあったら読み切るまでに何日かかるだろ?」


 輝はさっきまでの無気力さはどこへ行ったのかという勢いで背表紙に目を通している。


 俺が輝をこの部屋に入れた理由は2つある。


 1つは、輝の寂しそうな顔が忘れられなかったからだ。いつかは追い出すという決心に変わりはない。ただ、それまでの間は普通に楽しんでいても俺は困らないと思ったから。


 もう1つは、輝の性別を暴くためだ。


 これだけ幅広い男子向けマンガがあれば、男なら誰でも1つくらいは読んだことがあるはずだ。もしも輝が1つも読んだことがないなら、男の可能性は低くなる。


「でも、昔読んだことのあるのもあるだろ?」

「ううん、ないと思う。マンガなんて買ってもらえなかったから」


「じゃあ、全然読んだことないのか?」

「小学校の図書室にあった偉人とか歴史のマンガは読んだことあるよ。そんな世間知らずじゃないんだから」


 輝は不満そうに俺をジト目で見る。だけど、俺はそれに反論する気にもなれなかった。


 マンガを読んだことがない。そんなこと考えたこともなかった。

 親が厳しかったのか、それともそれほどまでに貧乏だったのか。


 輝の素性は未だによくわからない。ただ気になったマンガをめくり始めた輝が悪い奴には見えなかった。


「好きな時に好きなだけ読めばいいよ。ゲームもやりたきゃやっていい。ただし汚すなよ」

「もちろん!」


 輝は満面の笑みを俺に返すと、すぐにマンガの世界に戻っていく。

 まぶしいほどの笑顔っていうのはこういうことなんだろう。美空先輩のふわりと花が咲くような笑顔とは違うけど、輝らしいと思う。


「ねえ、こーすけ」

「なんだ? お菓子食べるなら手を拭きながらにしてくれよ」

「僕は箸でも食べられるもーん」


 そういえばそうだった。普段は子供っぽい輝だけど、こう見えて作法は妙にしっかりしている。


 寿司を食べている時も箸の使い方も丁寧で、その間だけはイスに浅く座って背筋をまっすぐに伸ばしていた。

 食べ終わると同時に芯が抜けたようにソファにへたり込んだけど。


 輝には性別以外にもいろいろと謎が多い。ただそれは俺たちがまだ出会ったばかりだからだろう。他人を知ればそれだけ思い入れも深くなる。情が移ると咄嗟とっさの時に間違った判断をして失敗する。


 だから、俺が観測するべきなのは輝の性別だけでいい。


「とにかく、ありがと」


 短く言った輝は顔を隠すようにマンガに目線を戻す。


「恥ずかしいなら言うなよ」


 俺は動揺した顔を見られないように手で隠しながら輝を残して部屋を出た。

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