第26話 彼女は

供給されなかった酸素が一気に肺と全身に回り、体の感覚が戻る。

しかし、足に力が入らず、泳ぐことができず、沈みかける。

そんな僕の手を引っ張る人物がいた。

宮前此方。

彼女は静かな水面を割って進むように泳ぎつつ、僕の腕を掴んでいた。

宮前は僕を岸の近くにまで引っ張っていった。

「少しは動けるからここで大丈夫でしょ」

宮前はそういうと僕の手を離す。

どうやら浅瀬に着いたらしく、座ると水が腰にくるぐらいの深さ。

僕はその場で仰向けになり、水に浸る。

空を仰ぐと雲は通り過ぎ、満天の星空とはいかなかったが明るい星が街の明かりに負けじと輝いていた。

僕は大きく息を吸い込み生きていることを実感する。

足りなかった酸素を吸い込み、体は不足していたものを得て嬉しがるように体の感覚が戻ってきていた。

頭だけ起こし、全身を見てみると僕は意識が戻ったばかりでなく、普通の人間の姿に戻っていた。

一分ほど自分の肉の感覚を味わい、体を起こす。

「宮前」

「何? ここにいるわよ」

宮前はぶっきらぼうに答えた。

僕は彼女の姿を捜した。

「どこ向いてんのよ、ここにいるわよ」

「あぁ、ゴメン。助けてくれ……」

僕は宮前がいる方向に目をやった。

完全にその方向に目をやった瞬間、彼女の全体像を把握する前にある異変に気がつき、言葉が出なくなった。

彼女はまだ水の中にいた。

「何、ジロジロ見てんのよ」

「いや、あの……」

「なに? はっきり言いなさいよ」

「足が…、足が……」

彼女は上を学校指定のワイシャツと制服のスカートという井出たちだがスカートから出ているものがちがっていた。

宮前の足がなくなっていた。

いや、なくなっていたというのは言葉の間違いで確かにあることはあった。

けれどそれを足と呼んでいいのか。

もしその形容が当てはまる言葉があるとしたら足ではなく、一枚の尾ひれといったほうが正しいのかもしれない。

宮前の腰から下あたりから魚のようになっていた。

まるでお伽話の人魚のように。

「あぁ、これね」

宮前は興味なさそうに言うと、尾ひれで水面をはじいた。

パシャッと水がはねる。

「アンタがあの餓鬼とかいうよくわからない化け物と戦って川に落ちてそのまま浮かびあがらないからあわてて飛び込んだんだけど気がついたらこうなってた」

「驚かないのか?」

「驚いてるわよ。でも感覚もあるし、不思議と気持ち悪くないしね」

宮前はいたって冷静だった。

「でもアンタの方がすごいじゃない! いきなり変身して狼みたいになるし」

宮前は驚いたように言った。

あまりこういうことは言いたくないがそのとき宮前に見とれていた。

いでたちこそおかしいが彼女は暗い中で街や葉恋橋の街灯の明かりにほんのり照らされ、彼女の足のところについている魚の鱗が虹色に反射し、濡れた髪が艶を出していた。

僕は言葉が喉に引っかかりそのまま黙ってしまった。

「何、黙ってるのよ?」

「えっ、いやっ……、その」

「ちゃんとはっきり言いなさいよ」

「べ、別に何でもないよ」

宮前はよくわからない奴という顔をした。

ただ一瞬だが、彼女は何処と無く苦い表情をした。

「でも、宮前」

「何よ。言いたいことがあるんじゃない」

「助けてくれてありがとう」

僕は彼女にお礼を言った。

「そ、そう」

宮前は顔を僕から背けた。

何で、そむけたのはわからないがただ彼女の口元が微笑んだのだけがみえた。

「アンタみたいなのにお礼を言われても嬉しくないわよ」

「そうかい」

僕は思わず笑ってしまった。

「何、わらってるの……よ」

宮前は僕のほうへと向くとぽかんとしたような間の抜けた顔をした。

それから彼女は僕の後ろに指を指した。

「アンタの後ろにいるのってさっき言っていた、天野?」

「えっ? 見えるのか、宮前!」

「何だかよくわからないけど、アンタの後ろに蜃気楼のようにそこだけ歪んで人の形に見える」

「へぇ、俺が見えるようになったのか」

後ろにいた天野は関心したように笑った。

「今、笑ったように見えた」

「どうやら声は聞こえていないようだな」

「そうみたいだな」

僕は思わず、口元が緩んだが天野に答えた。

「アンタのほうをむいて何か、言ったわね」

「宮前には声が聞こえていないってさ」

「それはそれで嫌ね」

宮前は眉間にしわを寄せて言った。

僕はそれをみて思わず笑った。

「で、アンタには聞きたいことがいっぱいあるんだけどね」

宮前は人魚の姿で僕ににじり寄る。

彼女は僕の顔を掴む。

よく見ると宮前の指と指に薄い膜みたいなものが張っていた。

本物なんだと僕は実感した。

それは僕自身が狼男であることや天邪鬼に取り憑かれているよりも現実的だった。

「そ、その前に…」

「何?」

「このまま川の水に浸かっていたら風邪ひくからとりあえず上がらない?」

「…………。プッ……。アハハハハ」

宮前は表情を崩し、笑顔になった。

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