(7)

「はい、お待ち!」


 お店について、注文するなり、店員が俺に差し出してきたのはこのお店「金子屋」の定番メニューの天丼。かしわにエビ、キス、しし唐、卵などが豪華にどんぶりに盛り付けられ、その上から食欲をそそらせるタレの匂いが漂ってくる。


「ううわ……おいしそうだなーおい」

「サクッ……」


 特にエビがすごい。見るからに身がデカい。よくスーパーで売られている衣で嵩増しされているようなエビではない。これは……エビがメインのエビ天だ! 詐欺なんかじゃない!


「……スゥーッ、ハー」


 うん。もうこれ突っ込むべきだよね?


「あのー楓さん? ……大丈夫ですか?」


 さっきから俺の目の前で無我夢中に天丼に喰らいつく楓に声をかけてみる。

 が。


「………」


 俺の問いかけに楓は答えない。ずっと箸を動かし続けている。まさかこいつ……食べるのに夢中で俺の声が届いていないのか?


「お――い、楓さ――ん。聞こえてますか――?」


 俺はさっきよりもはっきりとした声で呼びかけてみた。ここは老人ホームかなにかかな? 

 すると、ようやく俺の声に気が付いたのか「……あっ」と声を漏らし、急いで手拭きで口元を拭く。


「ご、ごめんねー。あまりのおいしさに心を奪われてたよー、えへへ~」

「心奪われ過ぎじゃない? 食べてる最中に殺し屋がきたらどうするんだい?」

「うーん。まあ取り敢えず『これ食べませんか?』って言ってみる」

「平和ですね。良いことですね」


 俺は大人しく一番上に盛り付けられてる礼のエビを一口。


「サクッ」


 気持ち良い衣の音が口の中に走る。


「どうどう? おいしいでしょ!」


 気が付けば、楓はテーブルに身を乗り出して、嬉しそうな表情を浮かべていた。

 その表情は公園の小さな砂場でなにかを発見したあの無邪気な子供のような、好奇心に満ちた笑顔。


「……う、うまい! 想像以上にうまい!」


 予想の斜め四十五度いった。


「でしょ~! 来て損しないでしょ」

「うん! サクッ……うん。まじでおいしい。衣とエビの加減もちょうど良くて、エビもそこらへんのものとは比べ物にならない程身がしっかりしてる」

「そーそー。その魅力が分かれば良し!」


 楓は満足そうにそう言うなり、乗り出していた体を元に戻してまた食べるのに夢中になる。


「おいおい、夢中になるのはいいが、のどに詰まらせるなよ?」

「らいひょーぶー!」


 こんなにも楽しんで食事をしてる楓、もしかしたら初めて見たかもなー……いつもとは違う彼女の姿を見ると、なんだか俺も心にぽかぽかと温かく感じるものがある。

 安心する、とか、ほっこりする、とか……


 ――楓も普通の女の子なんだなー


 とか。

 そんな思いを胸の思わぬ場所で、自然と秘めながら。俺もそんな楽しいそうな楓を真似るように、無我夢中で天丼喰らい始めた。

 え、待ってマジでここの天丼美味すぎるんだけどこれなにかのバグですか? それとも仕様? 株主になりたい。


 ※


「おいしかった! でももうこれ以上お腹に入らない……」

「薪君、それでも漢か?」

「漢では無く、男です」

「どっちでもいいよー」

「いや、重要です」


 負けられない戦いがここにある。

 金子屋を後にした俺たちは今、ゆっくり歩きながら帰路についているところである。


「でもまさか途中で『あのー俺、もしかしたら食べきれない可能性あるんですけど……』って言ってくるとは思わなかったよ~」


 煽るの止めてください。


「でも、俺ちゃんと食べきったじゃん」


 食いきれない……ほどではないが一応言っておくと、広く一般的に見てあの量は結構なものである。まず天ぷらもそれなりにあってご飯もしっかりと盛られている。

 そう。俺がおかしいのではなく楓の胃袋がおかしいのだ。モンスター級だ。間違わないで頂きたいですねはい。いや待て本当にこれがJKなのか⁉


「後半ほとんど食べる勢い失速してじゃ~ん」

「笑うな」


 そうして話しながら歩いていると、ふと楓が足を止めてこちらを振り返ってきた。

 思わぬ行動で俺は楓にぶつかりそうになるが、ギリギリの所で立ち止まる。

 ――その瞬間、香水の匂いだろうか。

 そのなんとも甘い匂いがさらさらと鼻を掠める。フレグランス……?

 俺は思わずそのにおいに意識を持ってかれそうになる。こういうことがあると……やはり俺は今の状況を再確認せざるを得なくなってしまう。

 外から見れば、これはなかばデートのようなものなのだ。一緒にスタバで作業してお昼ご飯食べて、ゆっくり話して帰路につく……カップルと思われても仕方が無い。

 でも、楓にとってそんなことはないのだ。

 俺にとってはデートかも知れないが、誰とでも仲良くする楓にとってはただの仲いい友達とのおでかけ。

 俺にとっては特別で、楓にとっては普通……

 そんなことを考えていると、前にいる楓が口を開く。


「今日一日、薪君と過ごせて楽しかった! ありがとね、薪君!」


 ああ。

 その眩しい笑顔にまた俺は惹かれてしまう。

 でも俺はまた見事なまでに完璧に惹かれる、ギリギリのところで正気で取り戻す。

 危ない、危ない……こんなことでいちいち取り乱すな。こんなこと、この先何度もあるかもしれないんだ。


 俺はふられているんだ。


 楓に俺への好意は無い。そこで俺がもう一度、楓を好きになってしまってどうするんだ?


 だって、また好きになっても答えは同じなのに。

 だって、これはもう終わったはずの、燃焼しきった気持ちなのに。


 俺は、楓の恋のためにここにいるんだ。

 楓がいつか、普通の女の子みたく恋が出来るように。

 だから、楓をここで好きになるにはいけない。許されない。

 第一、俺だって心の整理がまだ出来ていないのだ。

 でも、でも。


 ――どうしてもたまに、惹かれてしまう俺はどうすれば良いのだろうか?


 だから。

 そんな曖昧な気持ちに薄い蓋をして、俺は。


「俺も、今日は楽しかったよ。ありがとな、楓」


 はっきりとした声で、声が風にさらわれないよう、そう伝えるだけにしておく。

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