(9)

「好き」




「……え」




「大好き」




 気付いた時にはもうその言葉が口からぽつん、とこぼれていた。

 ひどく単純明快、否。その一言にすべての私の想いが詰まっている。

 唐突な私の告白に流石の光も、耳を疑っているのか「……え、え。い、今な、なんて……」とうろたえる表情を浮かべる。


「好き。光のことがずっと。友達としてじゃない。昔からの幼なじみとしてでもない。一人の月島光っていう男の子のことが大好き」


「…………」


「私と……付き合ってください」


「…………」


 ようやく光は自分の目の前で何が起こっているのか理解したよう。

 私の想いを聞くなり珍しくその頬を少し赤らあて――舞桜よりも淡く――唇をきゅいっと結んでその場に立ち尽くす。


 ――はあー、言っちゃった。


 ――はあー、やっと言えた。


 今はそんなことしか考えられなかった。

 長年の想い。

 こころのガラスにしまってきた溢れんばかりの気持ちをその短い言葉にぎゅっと濃縮して声に乗せる。

 光の方はまだ手を強く握って下を向いたままであった。

 その表情には多分、恥ずかしさと、嬉しさと、困惑と。

 そして――




「……ごめん、葉月。俺、




 意を決したようにその顔を上げると光の視線は私の目を捉えて離さずに、そう言い放った。

 そこにいつもの光の笑顔は、表情は無い。


 そこにあるのは――申し訳なさ。


 それ、だと思う。


 こんな真剣な光の顔……見たこともない、や。


 光ってそんな顔もするんだね。


 また一つ、新しい顔を知っちゃった、な。


 でも、こんな形で知りたく、なかった、な。


 彼の顔に、嘘は無い。

 彼は私の本気の想いに気が付いて、本気だからこそ。

 ちゃんと誠実に受け止めて、言葉を必死に紡いで返してきてくれているのだ。


 そんな顔をしないでよ……光。


 悲しくなって、きちゃう、じゃん……私が可哀そうな子みたいになる、じゃん。


 私は、そんな子じゃ、ない……私は勇気を振り絞って……頑張った子、だよ?


 光の返答に対して、少しでも深く考えるともう一生泣き止めそうにないと思う。

 なんとかして今にもあふれ出しそうなその気持ちにふたをする。


「……そっか……そう、なんだね」



「……うん」



「……理由って、聞いても、いい、かな……?」



「……言いたくないって、言えないって……言ったら?」



「……あ、む、無理に言う必要はない、よ。その、ちょっと『なんでかなー』って気になったから、さ……」



「……それも、ごめん。口には出来ない。多分それは余計葉月を傷つけることになるから……」



「そう……なんだ」



「で、でもっ! そんな葉月が嫌いだからとか……付き合いたくないとかじゃなくてその……ごめん。やっぱ今のは無し。こんなのズル過ぎる……から、ごめん。ほんと」



 なにもかもの言いたげそうな光であった。

 彼の中で葛藤が起きているのか、私に深くお辞儀をしてきた。



「……あ、いや、全然……無理に言わなくてもいいから、さ。そっかぁー……私、光と付き合えないのかぁ……」



 誰に届けたいのか分からないその震えた声は桜と一緒に、風に乗って消えてゆく。


 ――ひゅるるーひゅるるー


 私の背中はただひたすらに冷たい風を受け止める。


 ――うるうるうる


 さっきは背名を押されたはずなのに、今ではもうこっちに来ないでとばかりの向かい風。

 視界が悲しみに満たされないよう、私は必死に、虚空を見上げる。

 光は「だ、だけど……さ」と今まで一番大きな声を張って再び私の視線を捕まえる。



「明日からだって今まで通りでいいし、登下校一緒になったら一緒に行くし、普通にしゃべるし……そのーなんというかそう。そんな感じでさ、俺は大丈夫だからさ」



 なにそれ?

 ねえ、やめて。やめてよ?

 それだけは……その言葉だけは……言っちゃダメ。



「……虫が良すぎるよな俺。本当にこんなこと言ってて、自分自身が嫌、になってくるけど、さ。その、つまり……ね? 今日のことは無かったことにしても、ね? 俺は全然大丈夫だから、さ。だからっ――」





 その、今の私には酷く刺さる言葉が光の口から出た瞬間、私は彼の声を上から遮っていた。



「……なん……でしょ」



「……え」



「そんなん…………そ‼」



 両手をこれでもかと握り、涙がこぼれないよう目を必死に閉じて。

 私は地面の方を向きながら、ありったけの声を出して仁王立ちしていた。



「お、おいっ⁉ 葉月――」



「こんなにも想って、こんなにも好きで好きでたまらなくて。だから急にこんな告白してやっとそれを伝えられたっていうのに……無かったことなんか出来るわけないよ‼ そんなん……無理だよっ‼」



 出来っこない。



「今更、無かったことになんかできないくらい私は光のことが大好きなんだよっ‼」



 私はもう今まで耐えてきた感情に歯止めを聞かせられなくなっていた。

 光の元へ駆け寄り、彼のその分厚くて、何処までも頼れる胸板に頭をうずめて。

 必死にボンボンと叩いて――声を震わせて――ぐちゃぐちゃに泣いていた。



「ばかばかばかばかばかぁっ‼」



「お、おいっ⁉ ちょ、ちょっと葉月っ⁉」



「うわああぁぁんっ‼ 光はさあぁ⁉ どれだけ私が光のこと好きだったか知ってるっ⁉ どれくらいの覚悟で今日ここに臨んでるか知ってるぅっ⁉ 十年! 十年以上一緒にいてっ! それなのにさあぁ、その言い方はずるいよ! ずるすぎるよ! 明日から今日の、これまでのこと、全部無くして光と接するなんて無理に決まってじゃんっ‼ そんなことしたら私、どんな気持ちで話せば良いか分かんないよぉ!」



「…………ごめん」



「しかも理由教えてくれないってなんで! なんでなのぉっ⁉ ? じゃあなんで私こんな泣いてるの⁉ なんでなんでなんでっ‼ なんでこんなに私に優しくするのっ⁉ ずっと! こんな人見知りな私なんか、光とは真反対の私なんか放っておいてもいいのに……そんなに優しくされたら……困るよ……困っちゃうよぉっ!」



「…………ごめん」



「本当に昔からそうじゃん! 私が一人の時、なんでその手を差し出してくれたのぉっ⁉ なんで私なんかと遊んでくれたのぉっ⁉ 小学校中学校、私と一緒にいてくれたのはなんで⁉ ‼」



「…………ごめん」



「明日から私はどうすればいいのぉっ⁉ 恋人にもなれなかった。今まで通りの幼なじみでも無くなった。じゃあなに⁉ 光とはもうただのクラスメイトになっちゃうのっ?」



「…………ごめん」



「そんなの……嫌だよぉっ! 光とただのクラスメイトなんて私………嫌だよぉっ‼ もっと光の近くにいたい! もっと近くで光を見ていたい! もっと光のこと知りたい! もっと光と触れ合っていたい‼ 私……もうじゃないんだよ? 無邪気な私じゃないんだよ? もう高校生なんだよ? もう大人なんだよ? 好きな人と触れ合っていたいから、そういうだって光とならしてもいいっ! それくらい光のことっ…………‼ それが幸せだと思うから……光とならぁっ!」



「…………ごめん」



「………光と一緒じゃなきゃもう……私……っ」



「…………ごめん」



「……ごめん、ばっかじゃないで、なにか言ってよっ……」



 そこで力尽きた私は光の胸板を叩くのを止めて、胸の中でうずくまった。

 もうすっかり彼の服は私の涙で濡れてしまっている。

 でも構わない。

 最後に。



 ――少しでも、この熱を伝えられたらいいなって思ったから。



 今、光にいったことは全部自分自身に対しての言葉だ。

 そう。

 光はなにも悪くない。


 この感情に気が付いてしまったのは私。


 勝手に自分の想いを伝えたのは私。


 差し出されていた手に満足していたのは私。


 ――好きになったのは……私。



「……やっぱり、私、幼なじみから脱却できないみたい……だね?」



 さっきだって、そう言っちゃってたもん。

 結局、自分自身の中でも矛盾だらけなんだ。

 「なんで失敗したか?」という問いに対して答えは「幼なじみだから」が正解かも知れない。

 「一人の中野葉月として見て欲しい」なんて考えていながら心の何処かで「……私たち、幼なじみだから……成功するんじゃないか」って。

 恋した理由。それは幼なじみだからでは無いと思っていても、どうしてもその幼なじみとして過ごしてきた日々はあまりにも眩しくて恋しくて懐かしくて……恋だと思ってしまう。

 光と恋人になりたい。

 でもふられても今までのままでいたい――告白しても――幼なじみのままみたいにいたい。

 ふられるかもしれないと分かっているのに、自分で突っ込んで転んで、転んだのを光のせいにして……こんなん光以上にずる過ぎる。

 しかもあの光の「無かったことにしよう」は半ば私が言わせたようなものだ。

 ああ言わせるような言葉を私が言って、そんな態度を自然と……

 だから、これは全部私の責任。

 光……ごめんね。

 光にはすごい悪いことをしちゃった。

 好きなはずなのに、光のこと苦しめちゃった。

 ようやく私は光のもとから一歩引いて、その真っ赤に晴れた目で光のことを見上げる。

 ああ、かっこいいなぁ、光。

 あんな無邪気な少年だったのが今やこんな……そんな風に、また幼なじみに浸ってしまう。


 ――もし、光と私が幼なじみじゃなかったら?


 この短時間で起きたことを振り返ると強い後悔と悲しみと、そんな自分でも整理がしつくせない感情の波が押し寄せてくる。

 ふと自分の服装が目に入ったのだが、もう浴衣もぐちゃぐちゃ。

 ところによっては帯が緩くなってしまっている。

 折角楓ちゃんにセットしてもらった髪ももう跡形もない。

 おそらく光を叩いているときに乱れたのだろう。

 そしてひどく赤くはれているであろう顔。

 こんな悲しい顔、誰にも見せたくない。

 だから――



「また……ね、光。今日は楽しい時間をありがとう。ほんと楽しかった……

 目標、達成出来なかったよ」



「……『達成できなかった』って……も、もしかしては葉月の目標は……」



 嘘は……何一つ言っていないよ。



「じゃあね」



 もう、全部終わりだ。

 そうして光に背を向けて、やや小走りにその場から立ち去る(にげる)。



 ――嗚呼、何処かに消えてしまいたい。



 消えていく道――何処からか風に乗ってきた桜の花びらが所々に散りばめられている。



 ――嗚呼。



 今日は確か、桜まつりだったけ。

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