(3)

 19日。

 尾行の次の日の火曜日。

 昨日の初めての尾行の余韻がまだ体の中を巡っている。思い出す度に、微かな高揚が私の心をドクドクと揺れ動かす。

 私こと、中野葉月はこの日、光と日直のペアになっていた。

 これを聞いて「こんな偶然すごい! 奇跡じゃん!」と思うかも知れないけど、実は楓にちゃんによって裏で操作されている。

 一緒に日直になるように上手く――私の出席番号の前の人に日直の仕事をさぼってもらい、光と被るようにしてもらったのだ。なんだかその子に申し訳ないような気もするけど、もうなったからにはやるしかない。

 というわけで今は放課後。

 日直の仕事の中には、その日の最後に教室のゴミをゴミ捨て場まで持っていく、というなんとも面倒くさいものがある。結構量もあるし、重い……嫌だ。

 そんなわけで私はゴミ箱からそれを取り出してゴミ捨て場に行こうとしていた。


「よいしょっと……」


 今日は思った以上にいっぱいだなー……これ途中で落としたりしちゃったらどうしよう? それはものすごくめんどくさい。

 とそこへ、


「おい葉月! それ一人で運ぶの危ないぞ? ほら、一つ貸しな。重いだろ?」


 何処までも聞きなれた優しい声が私に広がると同時に、ひょいと私の手が一瞬で軽くなった。


「あ、あれ光、教室の仕事は? 終わったの?」

「ん? あー。いや。葉月がこれ重そうに持ってくの見て手伝いに来た」

「……別にいいのに。こんなことしてたら時間かかって部活行くの遅くなるよ? 練習時間短くなっちゃうよ?」

「そんなもん、これに比べたら大したこと無いだろ? これで俺が手伝わなくて葉月にけがされても困るしさ」

「――ッ」


 それは意識された言葉の訳もなく……ニッとはにかんだ顔を向けてくる光。

 光は昔から体を動かすのが大好きな活発な少年で……本当は今もこんな日直の仕事よりも部活に行きたくて仕方が無いはず。

 なのにこうもそれを隠して、しかも私のことを無意識に気遣って、わざわざ手伝ってくれる光の姿に私はどうしようもなく……


「おっと」


 ふと、光が持っていたゴミの一部を落とした。まあ無理はない。結構これ、量あるもん。

それを拾おうと光は両手にあるごみのバランスを取りながら、ゆっくりと膝を曲げていく。


「光、危ないよ? 私が拾ってあげるから、光はそのままでいなよ」

「全然大丈夫だよ?」

「いいから、ね?」


 それにこのままバランスを崩して、ゴミが散乱してしまっても困る。私はよいしょと膝を曲げてかがむ。そしてそれを拾おうとしたその瞬間、視界の前方からもう一つの手が伸びてきて、私の手にぽつんと触れた。


「「あっ」」


 どうやら光は私の言葉を聞かずに拾おうとしたらしい。そう思って、かがんだまま前を向くと、鼻のすぐ先にあの光の顔が。今にも互いの鼻先が触れ合いそうな距離。そのまま数秒間私たちは見つめ合う。ただ相手の瞳に自分をのぞき込む。光の息づかいが伝わってくる。


「ッ……!」


 私は今までにないほどの距離間に耐えられなくなって立ち上がる。顔が熱くなっていくのを感じる。心拍数が上がっていくのを感じる。


 ドク、ドク、ドク……


 聞こえていないか心配になる。


「な、なんで光も拾おうとしてるのよ」

「いやあ、やっぱり楓に任せるのは申し訳ないかなーと」

「ちょっとぐらい、私を頼ってもいいじゃないの……それに……」

「それに?」

「……ドキッとしちゃったじゃん」


 本当にこんなことを言ってしまっていいのだろうか? これじゃあ光にもう好意を伝えているようなもんじゃない。


「あ、ああ……ごめん、ね。それは全く考慮してなかった、よ」


 気のせいか、光の顔も少し火照っているような気がする。映ろ目がちに頭を掻きながらたどたどしく答える。

 ほら。光の方だって少し困惑してるじゃない。

 ああもう、なんで拾おうとするかなあ……あんな間近でずっと光の顔を見たらもう心が張り裂けて死んでしまいそう。私の顔、変じゃなかったかなあ? 前髪、崩れてなかったかなあ?

 私、光の瞳に可愛く映ってたかなあ?

 次から次へと、そんな雑念が押し寄せてくるも今はじっと顔に出さないように我慢する。ただ、その熱はまだ冷めない。


「……ええとー。そう言えば……こうやって葉月と話すのも久しぶりだなー。春休み以来だよな?」

「う、うん」


 この気まずい雰囲気をどうにかしたかったが、光の方からとりとめのない会話をし出してくれた。


「しかも同じクラスになったな。何回目だろうな」

「……分かんない。でも小学生から結構な頻度で同じだった気がするなー」


 本当、久しぶりに光と話すのでさっきから少しどもり気味になってしまう。

 変じゃないかなぁ、私?


「どうその後は? なんか変わったことでもあった?」

「なにその、『一人暮らししてる子供に久しぶりに会ったときに親』みたいな文言」

「やけに具体的でイメージ湧いてきたから止めてください。恥ずかしいじゃん!」


 そこでっはっは、と二人で笑い合う。


 やっぱり光と話をしてる時が一番私が私らしく居られそうだ。


「そんな大した変わりは無いよ?」

「だよな。そんなこと滅多にないよな」

「でも……一つだけ変わったものはあるかな?」

「おおっ、なになに?」


 予想外のことだったのか、光は目を丸くしてこちらの顔を伺ってくる。

 やけに食いつきが良いなー。

 じゃ、じゃあ、少し……ほんの少しだけ、ここからずるい女の子になってみよう。一歩ずつ前に進むため。


「うーん……気持ち、かな」

「……気持ち?」


 光は私の返答に当然ながら?マークを浮かべる。


「そう。詳しいことは恥ずかしいから言わないけど……二年生になってから私、ある目標が出来たんだよね。で、今はそれを達成するために奮闘中!って感じ?」

「おー! その中身が気になるところではあるが……良いんじゃないか? 心機一転。目標を持ってそれに向かって突き進むのは良いことだからな」

「じゃあそのー……私のこと応援してくれる?」


 もう少しだけ、ずるくなってみる。いい、よね?


「勿論だよ! その代わり、葉月がその目標達成したらどんなものだったのかも教えてくれよな? すごい気になる言い方してくるから」

「うん。達成したら必ず光に報告するね!」

「ああ。楽しみにしてるよ」


 あーあ、約束しちゃったよ、こんなこと。ちょっとズルい子になりすぎた?

 ………ううん。これくらいどうってことないはず。

 言わば、これはまた私の想いが成就するためのだ。まあ報告出来るかどうかは、目の前の私のプリンスにかかっているけど……そんなこと、光は今の会話からじゃ知るはずもないよね、きっと。

 待っててね、光。


 ――絶対、そこにいくから。


 彼の背中はいつも見ているはずなのに、今日は一段と大きく、頼もしく見えた。

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