第43話 約束という名の『種』。どこまでも君と一緒に。

 意識を失っている時か、とにかく痛みに耐えるあまり、食いしばって噛んだんだ。


 青い液体は彼女の血。そして酷い苦みの正体は多分、血に含まれている銅だ。


「ご、ごめん……アルナ、その……」


「へ、平気。このくらいすぐに塞がるから」


 咄嗟に隠される。それでも指の間から痛々しく流れて、僕はアルナになんてことを!


「……良かった。心臓が止まったときは、すごく……怖くなって……でも何とかしなくちゃって。それに……それに、自分が恐ろしかった……」


 アルナは堰を切ったように瞳からぽろぽろと大きい雨粒のような涙が落ちる。


「頭の中に……誰かが殺せ! 殺せ! って叫ぶの。そしたら段々私が私じゃなくなって……怖い、怖いよ。ミナト……」


 肩を震わせて、余程怖かったんだ。そんな彼女が堪らなく愛おしくて思わず抱きしめる。


「もう大丈夫だアルナ。安心して、僕が側にいる」


 聞いたことがある。何処かの国で、心臓に霊気を流すことで心停止から回復させる方法が発明されたという噂。


 だけどそれは精密な霊圧操作が必要だった筈。


 自身の霊気でアルナはそれをやってくれたんだ。かなり神経をすり減らしたに違いない。


「アルナ、マグホーニーを封印しよう。彼女は大分弱っている。これはその為の戦いだったんだよね?」


「うん、ミナトとハウアさんがかなり弱らせてくれたから、今なら」


「手伝うよ。何をすればいい」


 アルナが徐にポケットの中から出したのは黒い物体と恐らく単眼鏡モノクル


「単眼鏡は【照妖透鏡ヂゥイゥタゥガァン】といって人のいみなを見るもの。そして小瓶は【黒琥珀浄瓶ハクフゥパァクジィンピィン】。諱を叫ぶことで相手を封じる【宝貝ボゥブォイ】。ミナト達の言葉で【遺物アーティファクト】と呼ばれているもの」


 遺物とは遺跡から稀に出土される不思議な力を持った道具。いわば古代の霊導器。


 現在、解明が進められ技術転用もされている。だが未だ未解明の遺物も多く大半のものが危険とされている。


 しかしこの2つは異質だ。アルナは瓶というけど、むしろ形状は銃のようだ。


 表面は淡い光沢があり、質感はなめらかで非常に硬い。材質の見当がつかない。


 単眼鏡は眼窩がんかめ込むものではなく、耳に掛ける腕がある。触ってみると弾力性があって、頭をピタッと挟める。


 問題はレンズの方、先端に付いた小さな三稜鏡プリズムを通して物を見るみたいだ。


「でも、諱? マグホーニーが名前じゃないの?」


「韓家の記録だと、吸血種は決して本名を明かさず、ジィ。ミナト達の言葉で言うと二つ名ニックネームを名乗るって伝わっているの。ミナトは透鏡でマグホーニーの諱を、私は小瓶で封印する」


 僕はアルナに渡された照妖透鏡をつける。


「来た!」


 まるで竜巻の如く、芝生を丸裸にしながら月狼こと、ハウアさんが轟音と共に現れた。


『くそっ! 大人しくしやがれっ! 嬢ちゃんまだかっ!?』


 雪のような銀色の毛並みは、無数の刺傷と、噴き出る血で染まっていて酷く痛ましい。ハウアさんはボロボロの身体で地面へマグホーニーを押さえつける。


『しつこい狗がっ!』


 マグホーニーも最早満身創痍まんしんそうい。全身を覆っていた黒血の鎧は半分以上が砕け散り、彼女の横顔が露になっていた。


「準備は良い、ミナト」


 頷き、アルナに支えられながら単眼鏡でマグホーニーを覗き込んだ。


『言語解析開始……終了。デフォルトで起動します』


 しゃ、しゃべった!? しかも女性の声!?


 小瓶の側面も輝いて、でもなんだか聞き覚えのある――馬鹿っ! 今はそんなことに気を取られている場合じゃないだろ!


 照妖透鏡に赤く光る字が浮かび上がる。何の因果かそれはラーンより教わったアガルタの文字。分かる!


「アルナ、僕の後に続けて」


 彼女はマグホーニーの方へ黒琥珀浄瓶の口を向けた。


『ターゲットを指定してください』


 マグホーニーの真の名を詠みあげる。


「「メリネティカ……」」


 口火を切った矢先、僕等を見るマグホーニーの顔に驚愕の色が宿る。


「「……ダクズジ・ヒッマスィヘヴァ」」


 ハウアさんを押しのけ、マグホーニーが僕達へと襲い掛かってくる。


『やめろぉぉぉぉーーーっ!!』


「「マグハァス・ウァガマァニーッ!!」」


『入力が完了しました』


 奴は絶叫と共に、馬上槍を振り下ろす――が届かない。自分の眼球の先でぐにゃりと曲がっていた。まるで麺のように引き伸ばされている。


 マグホーニーと一緒に視線を落すと、槍の先端が黒琥珀浄瓶へ飲み込まれている。


『座標固定完了。これより局所的重力圧縮処理を実行します』


 再び女性の声がすると、今度は黒琥珀浄瓶の側面が激しく光り輝き、黒い嵐が起こった。


 嵐はマグホーニーを呑み込んで暴れ、周囲の木々や大地を抉り取っていく。


 な、何て力なんだ。アルナを支えるだけでやっと。一瞬でも気を抜いたら、こっちまで振り回されそうだ。


「う……っ!!」


 アルナの膝が折れ、バランスが崩れる。マズイっ!


 咄嗟にアルナの手を握り一緒に黒琥珀浄瓶を支えようとしたが、耐えきれず後ろに――。


『おっと、二人とも気を緩めてんじゃねぇ! しっかり踏ん張りやがれ!』


「「ハウアさんっ!」」


 倒れそうになる寸前、ハウアさんが受け支えてくれた。有難い、もう何かに寄りかからないともちそうになかった。


「行くよ、アルナっ!」


「うん! ミナトっ!」


 僕等は残る全て体力を足に注いだ。でもようやく終わる。持ちこたえれば全部終わる。


『……くっ……くくっくっ……』


 なんだ? 急に笑い声が――。


 暴風の中でマグホーニーが笑っている。細く引き伸ばされても奴は生きていた。


『いいだろう! 今は封じられてやる! しかし覚えとくがいい! 次に相まみえたときキサマ等を確実に殺してやる……はっはっははははっ!!』


 黒血の騎士マグホーニーは最後まで高らかに嘲笑い、黒琥珀浄瓶へと飲み込まれていった。


 そしていつしか黒い嵐はその鳴りを潜め、辺りは静寂が戻ってくる。


「やったのか……」


 マグホーニーの姿は無い。全部終った。全身の力が抜け、二人して地面に崩れた。


 地面にポツリ、ポツリと雨が滲み、やがて温かいシャワーのような雨が降り注いでくる。


「ようやく、全部終わったね。ミナト、もうこれで……」


 ――きっとアルナは本国へ帰ってしまう。


 マグホーニーはもういない。ボースワドゥムにいる必要もないと思ったら、気付けば彼女を背中から強く抱きしめていた。


「……苦しいよ、ミナト」


「ごめん……でも……離したくない。君を帰したくない」


「……うん、私はどこにもいかないよ。ミナトと一緒にいる」


 その言葉に感情がこらえきれなくなって、想いの丈を彼女の耳元へ囁いた。


「ねぇ、アルナ。僕の実家のあるエレネスに来ないか?」


 目を丸くするアルナに微笑みながら、徐に種の入った袋を見せる。


「これ……アルナ覚えている?」


「……あ……長尾鳶尾チェンメイユァンメイの?」


「うん……そこで一緒に植えよう。あそこならきっといいと思うんだ」


 僕の告白に、アルナは瞳に涙を溜め、いつか見た、零れるような笑顔を見せてくれた。

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