第32話「……キャロルは甘い」


 なにがどうしてこうなった。


 そう思ったのはおそらくキャロルだけではない。キャロルの前に庇うように立っているケイレブも同じだろう。表情は見えないが、困惑している様子は背後のキャロルにも伝わった。


「キャロル王女……! お願いいたします、オレを兄君──アルフィ王太子殿下に紹介してください!」


 そう言って異国風の衣装を身にまとった少年は両手を地面につけ、頭も地面につくのではないかというくらい深く下げた。


 キャロルに対して襲いかかって来るかに思えた少年は、その勢いのまま頭を下げたのだ。

 きっとケイレブは拍子抜けしたに違いない。キャロルも驚いた。


「……紹介するもなにも、そもそも名乗ってないじゃないか……」


 そう呟いた──突っ込んだとも言える──ケイレブの言葉にピクリと少年は反応する。


「そう言えば、まだ名乗っていなかった……では、改めて。オレの名は──」

「キャロル、ケイレブ!」


 少年が名乗ろうとしたとき、重なるようにライリーのキャロルたちを呼ぶ声がした。

 ケイレブはピクリと反応し、「殿下!」と嬉しそうに言う。

 キャロルもライリーの姿にホッとした。


 少年はそんなライリーを少し忌々しそうに見て、それがライリーと気づいたのか、身を固めた。


「二人とも無事か?」

「はい! キャロル様も僕も傷一つ負っていません!」


 褒めて、と言うように誇らしげにケイレブは敬礼をしながら言う。

 それにライリーは頷き、「さすがケイレブだな」と言うと、ケイレブは「滅相もありません!」と嬉しそうに言う。


「キャロル」

「はい」

「大丈夫か?」


 ライリーはケイレブの背後にいたキャロルに近づき、そう尋ねる。


「はい、大丈夫です。少し驚きはしましたけれど……」

「すまない、侵入されたのはこちらの落ち度だ。あとで徹底的に指導する。それよりも……これはどういう状況なんだ?」

「それがわたしにもよくわからなくて……そこの彼をお兄様に紹介してほしいとか……」

「アルフィ殿に?」


 そう言ってライリーは少年を見つめる。


「その衣装は隣国の……ヴェントゥスのものだな」

「……そうだ。オレはヴェントゥス皇国第五皇子シオン・クィントゥム・ヴェントゥスだ」


(隣国の第五皇子……! 少し前までこの国と争っていた敵国……和平条約を交わしたから、一応戦争は終結したけれど……今度は国内で内争が起きているのだったかしら。第五皇子のことは知らないけれど……)


「第五皇子……こちらの情報によると、後継者争いから早々と降りて領地に篭っているという話だったかな」

「……その通りだ。オレは皇帝の地位に興味はない」

「そんな君が、なぜこのようなところに?」

「キャロル王女に会いに」

「キャロルに?」

「具体的には、キャロル王女に頼み事があって来たんだが……ライリー王子と会えたのだから、この際あなたにも頼もう」

「私に頼み……?」


 ライリーは眉を寄せる。

 そんなライリーにシオンは体を向け、先程キャロルたちにしたように、地面に手をつけた。


「ライリー王子、どうかオレをフルーク王国に亡命するのを手伝っていただけないでしょうか!」

「……は?」


 予想外の頼み事に、ライリーの目が大きく見開かれた。




 ひとまず、シオンとその他の侵入者四名は無事捕らえられた。隣国の皇子を名乗るシオンに対しては貴人専用の牢に入れられた。

 これから彼らをどうするのかを検討していくことになる。


 この件でライリーとキャロルの東の砦への滞在期間は延びた。

 シオンの身分については、彼が隣国の第五皇子その人であることの確認がすぐに取れた。

 またシオンもこちらの取り調べに素直に応じ、国内の状況も事細かに淡々と述べている。


 今日、キャロルはライリーに連れられて、シオンの取り調べに付き合っている。

 シオンがそれを望んでおり、キャロルがいなければ話さないと言うので、ライリーも仕方なしにキャロルを同席させることにしたようだ。


 シオンは砦に侵入した経緯をこう語る。


「オレは継承争いから早々に降りた──にも関わらず、疑り深い兄上たちはオレの言葉をまったく信用せず、皇帝の座を狙っていると思い込んで次々に刺客を送ってくる。あの国にいては命がいくつあっても足りない。ならばいっそ国を出ようと考えるのが普通だろう?」


 シオンは心底うんざりしたように言う。

 兄弟間で疑い、揚げ足取りをし、兄弟の失脚させようとするだけでは飽き足らず、その命まで狙う──後継者争いとはなんて恐ろしく、醜いものだろう。


「しかし、どうしてフルーク王国へ亡命を希望する? 他にも亡命先はいくつかあるだろう?」


 そうライリーが尋ねるのも無理は無い。

 キャロルの祖国であるフルーク王国は建築技術に強く平和な国だが、決して裕福とは言えない小さな国だ。

 亡命先に選ぶのならば、もっと他の裕福で平和な国がいくつかあるはずだ。


「フルーク王国は極東の国と親交があると聞いた。オレは極東の医学に興味があるんだ」

「極東の医学に……?」

「後継者争いなんてしても、民は救えない。むしろ争いは苦しめるだけだ。民を救うために我が国は医学を発展させるべきだと、オレは思っている。だからオレが率先して医学を学び、民に伝えれば、救える命が増える。そしてそれは国を救うことに繋がると、オレは信じている。そのために、極東の医学を学びたいんだ」


 皇子として立派な心がけだと、キャロルは思う。

 彼の国は平時ではない。そんな中で他国に医学を学びに行くことはできないだろう。


(だから亡命をしたい……自分の身の安全の確保ももちろんだけれど、なによりも民のために。すごく立派だわ)


 シオンはキャロルよりも五つ歳が下だ。自分が彼と同じ年の頃、民のためになにかできることはないかと考えはしても、実際に行動できたかと問われれば首を傾げざるをえない。

 祖国を自ら離れる決意をするというのは、大きな決断だ。並大抵の覚悟でできることではない。


「シオン殿下が医学を学ぶためにフルーク王国へ亡命したいというのはわかった。だが……なぜわざわざ侵入を? きちんと手続きをしてくれれば、このような騒ぎにはならなかったはずだ」

「それは……」


 ライリーの質問にシオンは苦虫を噛み潰したような顔をする。


「……手違いで……手続きができなくなった……そ、それでもきちんと正面から堂々と入ろうとしたんだぞ? だけど、そちらの門番がなかなか信じてくれなくて、やむを得ず強行手段に……」


 シオンの語尾は段々と萎んでいく。おそらく本人も悪いことをした自覚はあるのだろう。


「それにしてもたった四人で侵入するとは……殿下は良い部下をお持ちだな」

「普段は口うるさい奴らだが……よくやってくれている。彼らはオレの命令に従ったに過ぎない。罰ならばオレが受ける。だから、どうか彼らは見逃してやってほしい」


 部下思いなのだな、とキャロルは思う。

 自らの野心のために侵攻してきた国の皇子ならば、きっと同じように野心家なのだろうと思っていたけれど、それは完全なる偏見だったようだ。


「それはこちらが決めることだ」

「……その通りだ。身勝手なことを言って申し訳ない」


 素っ気なく言ったライリーに、シオンはしゅんとする。

 それを見てもライリーの表情は揺るがない。キャロルならば絆されてしまっただろう。そういうところはやはり軍人なのだなと思う。


「シオン殿下の部下を含め、あなたたちの処分は王都で王太子殿下の采配により決まる。明後日には王都へ向けて出発することになるので、そのつもりで」

「……わかった」


 そう言うなり、ライリーは立ち上がり部屋からでようとする。キャロルもそれに続こうとすると、シオンがキャロルに声をかけた。


「キャロル王女」


 思わず足を止めてシオンを見ると、彼はまっすぐな目をして頭を下げた。


「こちらの都合であなたを怖い目に遭わせて、大変申し訳ありませんでした」


 深く頭を下げたシオンにキャロルはなんと答えようかと考える。

 別に答えずに去ってもいいのだろうけれど、なんとなくそれは気が咎められた。


「……わたしの運が悪かっただけのことです。よくあることですし、わたしは気にしていません。けれど……その謝罪は受け入れましょう」

「……よくあること……? あ、いえ。寛大なお言葉、誠に感謝いたします」


 シオンは不思議そうに首を傾げたが、すぐに再び頭を下げた。

 おそらく、シオンはこの謝罪をするためにキャロルの同席を望んだのだろう。普通に謝罪したいと言ってもそれが通るとは限らない。


(直接謝罪したのは彼なりの信念があるから……きっと悪い人ではないのだわ)


 できることなら、彼の望みを叶えてあげたいと思う。しかし、それを決めるのはキャロルではない。


 キャロルはシオンに小さく頷き、先に部屋を出ていたライリーの元へ行く。

 近づいてきたキャロルにライリーはぼそりと言う。


「……キャロルは甘い」

「なんのことですか?」

「いや……不運に慣れすぎるのもどうかと思っただけだ」

「えっと……それはどういう意味でしょう?」

「そのままの意味だ」


 そう言ってライリーは歩き出してしまう。

 キャロルはそんなライリーに戸惑いながら、彼に続いた。

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