第24話オールドメイド【後編】


 ジェシカの一言で、アデルバートを始め、皆ゲームに対する熱意が変わった。

 もちろんキャロルもしっかりとゲームに集中した。恥ずかしい出来事は山のようにあるキャロルだが、それを言うのはできる限り避けたい。


 今、誰がジョーカーを持っているのか──恐らくはジェシカが持っているのでは、とキャロルは当たりをつけていた。


 どうやらアデルバートも同じように考えているらしく、ジェシカからカードを引くとき、彼女の様子をじっと窺っていた。

 一方のジェシカは余裕の表情だ。

 それがポーカーフェイスなのか、またはアデルバートに引かせる自信があるゆえのことなのか、まだ付き合いの浅いキャロルにはわからない。


 そんなことを考えながら、ライリーからカードを引く。そしてそのカードを見て、固まった。


(ジョ、ジョーカー!? ジェシカ様ではなく、ライリーが持っていたの!?)


 見当違いをしていたことに苦虫を噛み潰したような気持ちになる。

 しかし、ここでむやみに表情に出せば、アデルバートやジェシカにキャロルがジョーカーを持っていることがバレてしまう。

 キャロルはできるだけ平静を装い、いつも通りに自分の札にそっとジョーカーを加える。


 チラリとライリーを見れば、彼はいつもと変わらない朗らかな表情をしていた。

 その表情が、今だけは少し小憎たらしく感じてしまう。


 キャロルにジョーカーが渡ってから、すぐにジェシカが抜けた。そしてその次はライリーが抜け、キャロルとアデルバートの一騎打ちとなった。


「まさか姫がジョーカーを持っていたとはな……」

「ふふ、次はアデルバート様がジョーカーを持つ番ですよ?」


 キャロルの手持ちのカードは三枚。そしてアデルバートのカードは二枚だ。

 そして今はアデルバートがキャロルのカードを引く番である。アデルバートがジョーカー以外のカードを引いてしまったらキャロルの負けが確定する。だから、なんとしてもアデルバートにジョーカーを引かせなければならない。


(アデルバート様は慎重なお方。わたしの表情でジョーカーの位置を見極めようとなさるはず。それを逆手にとれば……)


 そう考えて、ふとキャロルは思った。


(……ここまで必死になるということは、アデルバートの恥ずかしい出来事というのは、こんなお遊びみたいなゲームに真剣になるほど、言いたくないことなのかしら? 少し興味があるかも……)


 俄然やる気の出てきたキャロルはにこりと笑う。


「さあ、どうぞお引きになって」


 アデルバートが引きやすいように、三枚のカードを前に出す。

 アデルバートは胡散さそうな顔をしながら、カードに手伸ばした。

 アデルバートが取ろうとしたカードはジョーカーだ。だから、キャロルは敢えて言う。


「そのカードでよろしいのですか?」

「……」


 チラリとアデルバートはキャロルを見る。

 アデルバートの目とキャロルの目が合い、見つめ合う形になる。

 傍から見れば、これは一組の男女の恋の始まりのように見えるかもしれない。


 しかし、キャロルとアデルバートにそんな甘い雰囲気は一切ない。むしろ、お互いの腹を読むべく、水面下では火花がバチバチと散っていた。

 それこそ、お互いのパートナーが呆れた顔をしてるのに気づかないくらいに。


 どれくらい見合っていただろうか。

 アデルバートは最初に選んだカードを引いた。

 

「……チッ」


 お行儀悪くアデルバートが舌打ちをする。

 それにキャロルはほくそ笑んだ。だから言ったのにと目配らせをすると、アデルバートは忌々しそうな顔をし、手持ちのカードをシャッフルした。


「次は姫の番だ」

「わかっておりますわ」


 キャロルは余裕な表情を見せながら、内心ドキドキしていた。

 アデルバートのシャッフルを目で追ってジョーカーの位置を確かめようとしたのだが、巧妙なアデルバートの手口によってわからなくなってしまった。


 繰り返して言うが、キャロルは己の運をまったく信じていない。

 きっとジョーカーを引くのだろうなと思い、カードを引くとアデルバートの口角が上がった。


 キャロルが引いたカードはジョーカーだった。

 やっぱり、とキャロルががっくり肩を落とすのをアデルバートは愉快そうに見つめる。

 それにキャロルは──先ほど自分も同じようなことをしたのに──ムッとした。


 そこからはまったく進展がなかった。

 キャロルの運のなさは折り紙付きだが、アデルバートも同じくらい運がないようだった。


 お互いジョーカーを行き来し、やがて見るのに飽きたらしいジェシカがライリーをチェスに誘い、別のテーブルに移動してしまうくらい、勝負は長引いた。

 なお、勝負に集中していたキャロルはそのことに気づかなかった。


 そして、ようやく勝負の決着が付き──


「わたしの勝ちですね」


 ニコリと笑い、最後のペアをキャロルは捨てた。

 アデルバートは渋面だった。恐らく、負けて悔しいのと、恥ずかしい出来事を言いたくないという思いが混じった表情だ。


「……まさか、姫に負けるとは……」


 苦し紛れなのか本心からなのか、そんなことをアデルバートはボソリと呟いた。どちらにしろ、とても失礼な台詞だ。


「どういう意味でしょうか?」

「深い意味はない。気にするな」

「……」


 素っ気なくそう言ったアデルバートに腑に落ちないものを感じながら、キャロルはようやくライリーとジェシカがいないことに気づいた。


「……あら? ライリーとジェシカ様は……?」

「二人ならあそこの席でチェスをしている。……白熱しているようだな」


 アデルバートの指さす方を見ると、ライリーとジェシカは一見にこやかにチェスをしていた。

 しかし、ライリーの目が笑っていないことにキャロルは気づく。


「ライリーが真剣になっているわ……」

「ジェシーもああ見えてチェスの名手だからな。さすがのライリーも手こずるだろう」

「そうなのですね……」


 感心するキャロルにアデルバートは足を組み、「あの調子だと、まだしばらく勝負はつかなそうだな」と呟いた。

 その言葉にキャロルはハッとする。


 つまり、しばらくは一人でアデルバートの相手をしなければならないと言うことだ。

 どうしよう。とても荷が重たい。


 とりあえずキャロルは机の上に散らばったカードをまとめ、机の端に寄せる。

 気まずい沈黙がキャロルたちを包む。早くライリーたちが戻ってこないだろうかと、チラチラとそちらばかり見てしまう。


「そ、そうだわ。アデルバート様、喉が渇きませんか? お茶の用意をしてもらいましょう」

「そうだな。飲むかはわからないが、ジェシーたちの分も頼むか」

「では、お願いして……」


 きます、と言いきる前にに控えていたメイドたちがさっと動き、キャロルたちの目の前にお茶を出してスッと下がる。

 とても優秀なメイドたちだわ、とキャロルは遠い目をしながら感心した。今だけはその優秀さを発揮しないでほしかった。


 キャロルは出されたお茶を取り、口に含む。

 その仕事ぶりに違わず、淹れられたお茶も美味しい。


 しばらく無言でお茶を飲んでいたアデルバートだったが、唐突に話し出す。


「もし……仮の話なのだが」

「はい?」


 首を傾げるキャロルに、アデルバートはもう一度念押しして「これは仮定の話だが」と言う。そして、少し言い淀むように口を閉ざしたが、すぐに口を開く。


「……私に万が一があったとして」

「……」


 思いの外、重そうな話にキャロルは静かに耳を傾ける。


「そのときは……どうか、弟を幸せにしてやってほしい」


 アデルバートはいつになく真剣な顔をして、そう言った。そして皮肉げに「私が頼むことではないな」と言って笑う。


「……お体の調子がよろしくないのですか?」


 アデルバートは体が弱いと聞いている。

 もしかしたら、体の調子が悪くて彼らしからぬことを言ったのかとキャロルは思った。

 しかし、アデルバートは首を横に振る。


「いや、体の調子は悪くない。……すまない。私らしくないことを言ったな。今の言葉はどうか忘れて──」

「──前に、ライリーにも言ったのですけれど」


 キャロルはアデルバートの言葉を遮って言う。

 アデルバートは失礼なと怒ることもなく、じっとキャロルのことを見ていた。


「幸せってなんなのでしょう?」

「……は?」


 アデルバートはらしくなく、ポカンとした顔をした。


「アデルバート様から見て、わたしは不運だと思いますか? 正直にお答えください」

「…………そうだな。私から見て、あなたはとても不運だと思う」

「では、そんなわたしをあなたは〝不幸〟だと思いますか?」


 アデルバートは目を見張る。

 そした少し考えたあと、静かに「……いや」と答えた。


「あなたを〝不幸〟だとは思わない」

「わたしも自分のことを〝不幸〟だと思ったことはありません。けれど、よく言われるのです。『お可哀想に。なんて不幸な姫様』と」

「……」


 アデルバートは黙り込んだ。

 頭のいい彼だから、恐らくキャロルの言いたいことがなんなのか、見当がついているのだろう。


「こちらに来る前に、ライリーに言われました。『あなたを不幸にしたくない』と。だからわたしはこう言い返しました。『わたしの不幸を勝手に決めつけないで』と」


 キャロルはアデルバートに微笑む。


「アデルバート様、わたしはこんな不運ですけれど、幸せです。誰になんと言われようと、幸せなのです。幸せは誰かに決められるものではなく、自分でそう感じるものなのだと、わたしは思います。幸せは誰かに頼んで得られるようなものではありません。だから、アデルバート様。ライリーを幸せにしてやってほしいとわたしに頼むのは違うと思います」


 これはキャロルの信念だ。

 幸せは誰かに決められることでないし、ましてや無理やり与えられるものでもない。

 たとえ他人から見て驚くような状況であっても、自分が幸せだと思えられればそれでいいのだ。


「もしもあなたが心からライリーのことを想ってそうおっしゃったのなら、どうかライリーとの時間をたくさん作ってあげてください。ライリーに兄孝行をさせてあげてください。ライリーはあなたのことが本当に大好きなのですから」


 関わりたくないなあ、なんてうそぶきながら、ライリーはいつも嬉しそうにアデルバートのもとへ向かう。

 そして笑いながら、今日も兄上は面倒くさかったと言うのだ。

 キャロルにはそんなライリーが幸せそうに見える。


 もしもアデルバートが自分の体のことに不安を感じていて、自分がいなくなったあとのことを心配しているのなら、キャロルに幸せにしてやってほしいと頼むのではなく、二人でたくさんの思い出を作り、できるだけライリーが後悔をしないようにしてあげてほしかった。


「……」


 アデルバートの緑色の瞳から、ポタリと雫が零れた。

 彼は慌てて下を向き、その雫を隠す。


 少しして顔を上げた彼の目は微かに赤かったが、涙は消えていた。

 なので、キャロルはなにも気づかないふりをすることにした。


「……あなたの言う通りだ。私は病弱だが、自分のことを不幸せだと思ったことはない。確かに、幸せは誰かに決められるものではないな」

「はい」

「先ほどの言葉は撤回する。まずは──弟と過ごす時間を増やそうと思う」

「ええ、それがいいと思います」


 ニコリと笑ったキャロルに、アデルバートの表情が微かに和らいだ。

 そしてボソリと「……姫を選んだ私の目に狂いはなかった」と呟いた。


「はい?」

「なんでもない、こちらの話だ」


 アデルバートはもとの気難しい顔に戻った。

 それを少し残念に思いながら、キャロルはふと思い出した。


「そういえば……アデルバート様の恥ずかしい出来事とはなんなのですか?」

「…………」


 アデルバートは眉間の皺を深くした。

 そして、ボソリと小さな声で言った。


「……ジェシーにプレゼントした指輪のサイズを間違えたことだ……」

「……」


 ああ、それは恥ずかしいかも。

 キャロルはそう思い、神妙な顔をした。


「──その指輪、結婚指輪だったのですよ」


 不意にジェシカの声がして振り向くと、ライリーと一緒に戻ってきたところだった。


「自分の指輪を間違えてわたくしに贈ってしまったのよ。ふふ、あのときは指輪がブカブカで驚きましたわ」

「……頼む、忘れてくれ……」


 死にそうな声で言うアデルバートにジェシカはにんまり笑い、「気が向いたら」と答えた。アデルバートは絶望した顔をした。


「ライリーはそんな可愛いミスをしないように、ね?」

「は、はあ……」


 ライリーは兄を気遣ってか、神妙な顔をして曖昧な返事をした。

 アデルバートは「くっ……」と呻いていたが、ハッと顔をあげてキャロルを見た。


「そ、そうだ、姫。姫はチェスが得意だと聞いた。どうだろう、私と一局……」

「──バート、逃げようとしても無駄ですわよ」

「ジェシー……」

「まだ他にも恥ずかしい出来事、あるのではなくて?」

「いや、だからさっき言っただろう……」

「一つだけでいいなんて言っておりませんわ。わたくしも知らないバートの恥ずかしい出来事、ぜひ聞かせていただきたいわ」


 ニコニコとして言うジェシカにアデルバートは眉間に皺を寄せた。

 そして助けを求めるようにライリーとキャロルを見たが、キャロルたちではジェシカを止められない予感がひしひしとする。


「……アデルバート様、チェスはまたの機会にお願いいたします……」

「兄上、頑張ってください……」


 そう言ったキャロルたちに、アデルバートは裏切り者と言わんばかりに絶望した顔をした。



 ──その後、アデルバートは幼い頃の恥ずかしい出来事を洗いざらい吐かされ、しばらくキャロルたちと顔を合わせてくれなくなったのだった。



【オールドメイド・完】

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