第34話 メリー・メアーの長い首 3

3


 世古田よこだ縦親たてしたを置き去りにしようとしているのだろうか?


「ひひひひひひひ」

 というのは再び泥酔した縦親たてしたの声。

 彼の足もとには握り潰されたビールの空き缶が大量に溜まっている。


 屋台の横のちょっとした段差に腰掛けて、我々も飲み食いした。

「これなに? かき氷シロップみたいな色してるけど」

 詞浪しろうさんが屋台から肉桂水ニッキすいを見つけてきた。

 私もよく知らないが、要するにジャンジャーエールみたいなものだ。

 飲んでみれば、というと、甘いなら要らないが一口だけならほしいという。

 私たちは協力して、肉桂水の妙に小さくて硬いキャップを開けた。

 一口舐めるなり詞浪さんは「いー」といい、香料で真っ赤に染まった舌を出して見せた。

「辛~。生のショウガに砂糖まぶしたような味」

 私も飲んでみたが、舌に電気流されたのかと思うような刺激で、個人的にはなかなか好きな味だった。


 世古田よこだもチビチビ飲んでいる。

「肉桂水か。こいつと遊んでると、こいつのばあさんが飲ませてくれたな。いったどこで買ってたんだろうなこんなの」

 そうしているところに、地べたに転がった縦親たてしたが湿った放屁の音を響かせたので、彼は、その尻を平手で叩いた。


「ばあちゃん」

 その衝撃で酔っ払いが飛び起きた。

 そして、なぜだか屋台の側面に張ってあるボンカレーの広告を撫で回しだした。

「ばあちゃ~ん。俺寂しかったよ~」

 縦親たてしたはボンカレーの広告にすがりついて何やら繰り返している。


 屋台には迷い猫の情報だとか、「人さらいに注意!」と描かれた毒々しい色のポスター、他にヨードチンキやらヒロポンの広告といったものが貼ってある。どれもかなり古く、色が落ちて、ものによっては青一色になっている。

 ボンカレーの広告で有名な女優はたしか、松山容子さん。鮮明ではないが目の前にある広告の女優は別人だ。

「ああ。ばあちゃんだなコイツの」

 世古田よこだが覗きこんでいった。

 この夜祭りの悪夢の構成要素は、彼らの欲求や記憶だから、こういうことがっても不思議ではない。

「肉桂水の?」と詞浪さん。

「肉桂水の死んだばあちゃん」

「肉桂水でボンカレーの死んだおばあちゃん?」

「コイツばあちゃんっ子だったからな」

 長い付き合いなのですねと私がいうと、世古田よこだは「小学校からな」と答えた。

 彼の父親が縦親たてした金融に金を借りたのも、それくらいの頃だったらしい。


 ○○○


「当時はお互いガキだったけど、ある程度は察してたね。コイツんちはそもそも町での評判が悪かったからな。『あの金貸し一家』だ――」

 ボンカレーの横には「人さらいに注意」の張り紙がしてあったが、世古田よこだはそちらを見て何か思い出したみたいだった。

「……こいつのばあちゃんがいってたな。俺らが遠くへで遊ぼうとするたび『人さらいに攫われてサーカスへ売られちゃうよ』って。サーカスへのひでえ中傷だよな。ああいう年寄り世代にとってのサーカスってのは――」

「サーカス追っかけてったろ」

 急に縦親たてしたが、はっきりとした声でいったので、我々は彼の方を見た。

 彼は横を向いてゲボを吐きはじめた。

「汚っ」と詞浪さん。


 代わりに世古田よこだが思い出していった。

 昔、彼らの町にサーカス団がやって来て、そんなもの日本では滅亡したと思っていたから、少年だった彼らは大層驚いた。

 失礼なことに、ショーの内容は良く憶えていず、駐車場にサーカステントが設営されていく様子が印象深かったそうである。

「で、それが撤収するってんで、チャリで追っかけていったんだな。俺ら。ホントに人攫いなのかって確かめたくて。まあ、けっきょくパンクしたうえ、コイツの親父に連れ戻されたけどな」


 そこまでいったとき、よれよれの縦親たてしたが引き返してきて、唾を吐きながらいった。

「思い出した……お前にあのときの五〇〇円まだ返してもらってねえ……」

「覚えてねえな」

 そういって世古田よこだは友人の尻をもう一度叩いた。最後に彼はこう付け加えた。

「こいつ親父が怖いくせに金貸し家業なんか継ぎやがって。家で働いて、同郷の人間から金を取り立てて、世界が狭えよな。こいつに金借りてる俺もその狭い町から出られねえわけだけど」

 世古田よこだは短く笑った。縦親たてしたはまた向こうへ行って吐いている。

「あれ? 仲いいのか?」

 詞浪さんが首をかしげた。私にもわからない。


 そうしているうちに世古田よこだはまたさっきのように、遠くを向いて、眼鏡越しに妙な目つきをした。

 そうしてまた友人に酒を勧めた。

「腐れ縁だよ。借金がなけりゃなあ。こんな酔っ払いとは即刻縁を切れるんだが」

 彼は立って新しい酒を取りにいった。

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