番外編

〈mof〉 こどもの日りばーす


 ある日目が覚めると、先輩が小さくなっていました。


「わう?」

 瀬名は首をかしげます。


 今目の前にいるのは、いつか先輩の家のアルバムで見た、ちっちゃい先輩です。


 焦がしたカラメル色の髪。瞳は、晴れの日の空の色。

 ここまではいつもの先輩と同じですが、ほっぺたが丸いです。細い手足は、少しぷにぷにしています。


 試しにくんくん匂いをかいでみますが、先輩の匂いによく似ています。

 ちっちゃな先輩は、瀬名にくんくんされて目を丸くしています。


 ほっぺたぷにぷにでかわいいです。

「わうー!」

 瀬名はちっちゃい先輩に抱きつきました。


「むぐぐ!」

 ちっちゃい先輩はもがいています。声が高くて女の子みたいです。


 瀬名が離すと、ちっちゃい先輩はきょろきょろ周りを見回しました。


「ここどこ?」

「ここは先輩の家です」


「せんぱいってだれ?」

「先輩は先輩です」

 先輩はなんだかむずかしそうな顔をしています。


「ぼくが、せんぱいってこと?」

「そうです」


「きみは?」

「わう? 瀬名は瀬名です」

「せな?」


「先輩、瀬名のこと覚えてないんですか?」

「うーん、おぼえてない」

「わう……」


 なんだかさみしいですが、ちっちゃい先輩は頭の中まで小さい頃に戻っているのでしょう。その頃はまだ瀬名と出会っていないので、仕方がありません。


「先輩は、瀬名と一緒に暮らしてます」

 少し、経緯を説明します。


「先輩は本当はもっと大きいけど、急にこんなに小さくなりました」

「大きい?」


「はい。昨日までの先輩は、瀬名よりうんと背が高くて、声はもっと低かったです」

「大人ってこと?」

「そうです」


「なんで瀬名と暮らしてるの?」

「瀬名は先輩のいぬですから」


「いぬ?」

「はい。瀬名は人間になったいぬです。先輩に飼われてます」


「そのみみとしっぽ、ほんもの?」

「そうです。瀬名はいぬですから」

 ちっちゃい先輩は目を輝かせます。


「さわってもいい?」

「いいですよ」

 そう答えると、ちっちゃい先輩は身を乗り出して、瀬名の耳やしっぽをぺたぺたさわります。


「わあ、もふもふだ」

「わう……」

 くすぐったいですが、先輩になら悪い気分じゃありません。


「せな、ほんとうにいぬなんだ」

「わう。先輩のお嫁さんになるために人間の姿になりました」


「お、およめさん?」

 ちっちゃい先輩は、またむずかしい顔をしました。


「先輩は、大きくなったら瀬名をお嫁さんにするって決まってます。この花の髪飾りが、ぷろぽーずの証です」


「そ、そうなんだ……」

「そうです。先輩と瀬名は、生涯連れ添う運命なんです」


「瀬名は、ぼくのお嫁さんになりたいの?」

「わうー、瀬名は先輩にメロメロですから」

 瀬名の顔が熱くなります。


「瀬名、先輩のために頑張っていいお嫁さんになります」


 ちっちゃい先輩は立ち上がると、座り込んでいる瀬名の頭をなでなでします。


「わうー」

 小さな手ですが、撫で方はやっぱり先輩です。とってもぽかぽかします。


 そのとき、ちっちゃい先輩のおなかが、ぺこーと鳴りました。


「先輩、おなかぺこぺこですか?」

「うん」


「だったら瀬名がごはんを作ります」




 * *




「いただきます」


 瀬名が作ったのは、オムライスとサラダでした。

 ちっちゃい先輩は、もぐもぐ食べています。


「せなのつくったごはん、おいしい」

「わふふ、瀬名、先輩のお嫁さんになるために修行してますから。いっぱい食べてください」


 先輩は、あっという間に完食してくれました。立ち上がって、また瀬名をなでなでします。


「よしよし」

「わうー」


「ふわああ……」

 ちっちゃい先輩はあくびをしています。


「先輩、おねむですか?」

「うん……ねむたい」

 ごはんを食べるとねむたくなるのは、瀬名もよく知っていることです。


「じゃあ、一緒にお昼寝しましょう」

 瀬名がいつも使っている、いぬの足跡柄のブランケットを取り出します。これは瀬名の宝物ですが、先輩なら使ってもいいです。


「わふふー」

 すやすや眠っている先輩もかわいいです。

 瀬名も先輩にくっついて寝ます。

 ちっちゃい先輩は、いつもよりぽかぽかしています。




 * *




 お昼寝から起きると、すっかり夕暮れの時間になっていました。


「じゃあ、そろそろくらくなるし、おうちにかえるよ」

 ちっちゃい先輩は、目をこすりながら言います。


「え、先輩のおうちはここですよ!?」

「でもかえらないと、おかあさんしんぱいするし……」


「わうー! やです! 先輩は瀬名とここでずっと一緒に暮らすんです」

「うーん……」

「瀬名を置いていかないでください、わうーっ!」


「しょうがないなぁ……よしよし」

 ちっちゃい先輩は瀬名を撫でました。


「どこにもいかないから、なかないで」

「わう……」

 ちっちゃい先輩は、小さな指でそっと瀬名の涙をぬぐいます。その仕草は、いつもの先輩ととてもよく似ています。


「先輩、瀬名とずっと一緒にいてくれますか?」

「うん、ずっといっしょにいるよ。ペットのめんどうをみるのは、飼い主のやくめだから」


「わうー! 先輩、大好きです」

 ぎゅっと抱きつくと、また先輩はじたばたしました。


「むぐ、くるしいって!」

「わう……」


 瀬名は慌てて離れます。いつもの先輩相手の感覚で思い切り抱きつくと、ちっちゃい先輩からすると痛いようです。気をつけないといけません。


 そっと抱きつき直します。

「よしよし、せなはかわいいなぁ」

「わうー」

 先輩は、小さな手で瀬名の頭をなでなでしてくれます。


「せなは、なんかほっとけなくなるんだ」

 目の前には、お天気のときの空の色の瞳がありました。それは、この世で一番好きな色でした。


「安心して。せなは、ぼくが一生飼いつづけて、ずっとずっと永遠にかわいがってあげるから」

「わーい!」


 ちっちゃい先輩もにっこりになっています。

 小さくなっても、瀬名の大好きな表情でした。




 * *




「むにゃ……わう……」

 ぬくぬくのお布団の感触。心地よいまどろみから、徐々に現実に意識が引き戻されていきます。


 今日もおひさまはぽかぽかで、いい天気のようです。

 そう思いながら、ぱちんと瀬名の目が開きます。


 そうだ、ちっちゃい先輩は?

 慌ててその姿を探すと、


「わう!」

 いつもの先輩がいました。もう起きていて、小さくないです。


「ん? 瀬名、どうしたんだ?」

 声も低いです。聞き慣れていて、安心する声。


「昨日、先輩はちっちゃくなってました。でも、今はもとに戻ってます」


 先輩の頭の上にハテナが浮かびます。

「俺が? 小さく?」


「わう! 子どもになってたんです」

「子どもに?」

 困惑しているのか、先輩はオウムになっています。


「ちっちゃい先輩、とってもかわいかったです。小さくて、でもほっぺはぷにぷにしてて、先輩の匂いがしました」


 先輩は少し考え込んでいましたが、

「そうか、子どもの頃の俺に会ったんだな」

「わう! そうです」


「楽しかったか?」

「ちっちゃい先輩と遊んだり、お昼寝したり、なでなでしてもらったり、とっても楽しかったです」

「そうか、良かったな」


「わうー!」

 瀬名が思い切り抱きつくと、しっかり支えてくれます。大きな手で撫でてくれます。

 ちっちゃい先輩もかわいいですが、やっぱりいつもの先輩が一番好きです。


「今日はこどもの日だから、どこかに遊びに行こうか」

「こどもの日?」

 聞いたことがあります。


 五月五日は端午の節句――こどもの日なのです。


「こどもの日は、男の子をお祝いする日じゃないんですか?」

「あはは、昔はそうだったけど、今は性別関係なくお祝いするんだよ。折角だし、今日はどこかに出かけようか」


「わうー!」

 先輩とお出かけ、楽しみです。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る