12〈mof〉 べいくど・いぬ


 瀬名は、最近家に一人でいるときは、図書館に遊びに行くことが増えました。

 主に子ども向けコーナーに置いてある本を読んでいます。


 今日選んだのは、『鶴の恩返し』。人間に救われた鶴が、人間の娘の姿になって恩返しに来るお話です。


「わう……」

 まるで瀬名みたいです。


 このお話の結末は、正体を知られた鶴が泣く泣く別れを告げるという悲しいものです。でも、先輩は瀬名がいぬだということは知っています。それでお別れするということはありません。ずっとずっと一緒です。


 瀬名も、先輩に恩返しがしたいです。いぬの恩返しです。でも、瀬名に何ができるでしょう? 鶴のように機織りはできません。瀬名のもふもふは、高く売れるでしょうか?


 先輩が言うには、江戸時代の有名な物語にいぬと結婚したお姫様の話があるそうです。探せばきっと、いぬのお嫁さんの話もあるでしょう。


 図書館では、料理の本を読むのも楽しみのひとつです。

 色んなレシピが載っていて、この世にはたくさんの料理があるんだと感動します。


 瀬名のらぶが籠もった料理、先輩にいっぱい食べてほしいです。

 もっと料理の練習を頑張ろうと思う瀬名でした。




 * *




 バイトの休憩中。

 瀬名は、店長が焼いたお菓子をぱくぱく食べます。


 店長はときどき試作中のお菓子を瀬名に食べさせてくれます。

 今日は、キャラメルナッツチーズケーキでした。


「わうー、とってもおいしいです」

 芳醇なキャラメルとチーズの風味がよく合います。ナッツの香ばしさや歯応えが、いいアクセントになっています。


「ふふ、よかった。いっぱい食べてね」

 店長は笑顔で、瀬名の食べっぷりを眺めています。


「店長、なんでいつも瀬名に味見させてくれるんですか?」

 自分で言うのもなんですが、瀬名はなんでもおいしく感じられるので、的を射た感想などは言えません。

 味見役としては、不適当な気がします。


「瀬名ちゃんは、食べっぷりがとってもいいからね。ついつい食べさせたくなるんだよ」

「わうー」

 確かに、売れ残ったお菓子とか、余りものなら、瀬名はいくらでもたいらげます。


「店長の作るお菓子、全部おいしいので、瀬名はあどばいすできないです」

「ふふ、それでもいいよ」

 

 キャラメルナッツケーキを、瀬名はあっという間にたいらげました。


「店長はすごいです。こんなにおいしいお菓子が作れるなんて。店長のけーきは最高です」

「あはは、ありがとう」


「瀬名もいつか、こんなにすごいお菓子を作りたいです」

「ん? 瀬名ちゃんはお菓子作りがしたいの?」


「わう。先輩にらぶたっぷりのお菓子を作りたいです」

「ら、らぶ……」

 店長はなぜかたじろいでいました。


「じゃあ、時間あるときにでも、お菓子の作り方を伝授するよ」

「いいんですか!?」


「うん、私も初心に返ることで新たな発見があるかもしれないし」

「わうー! ありがとうございます」




 * *




 仕事の合間、クッキングタイムが始まります。

 まずは、クッキーの作り方を教えてくれるそうです。


「クッキーはお菓子作りの初歩だけど、コツを抑えないと失敗するからね」

「はい。頑張ります」


 レシピ通りの材料をボウルに入れ、こねこね混ぜます。


「わ、わう……」

 結構力が要ります。生地は想像より重く、なかなか上手く混ざってくれません。


「ちゃんとしっかり混ぜないと、おいしいクッキーにならないからね」

「は、はい……」

 先輩へのらぶを込めて、力いっぱいこねこねします。


 なんとか混ぜた生地を、冷蔵庫でしばらく寝かせます。

 その間、瀬名はわっせわっせとバイトしました。


 一時間後、冷蔵庫から生地を取り出します。

 麺棒でちょうどいい感じに薄くし、いよいよ型抜きタイムです。


 店長はいくつか型抜きを出してくれましたが、瀬名が選ぶのはもちろんハートの形です。

 平べったい生地を、どんどんハートの形に切り抜いていきます。


「折角だし、大きいクッキーも何個か作ってみようか」

「わう」

 店長は、瀬名の手のひらより大きいクッキーを二、三個作りました。


 型抜きが終わったら、トレイの上に丁寧に並べ、オーブンに入れます。


 店長は、慣れた手つきで温度と焼き時間を調整します。

「うーん、大きいのもあるしこれくらいかな」


「大きさによってちょうどいい焼き時間とか、分かるんですか?」

「あはは、ずっとやってるからね」

「す、すごいです……!」


 バイトしながら、店長の調理の手際は何度も見てきました。

 豪華なパフェも、あつあつのフォンダンショコラも、色んなメニューをてきぱき作っています。その上、どれもとてもおいしいのです。


「瀬名も、早く店長みたいになりたいです」

「ふふ、瀬名ちゃんはかわいいね」

 店長は、キッチンを片付けながら、笑顔を見せました。


「料理で大事なのは気持ちだけど、気持ちを形にするときに必要となるのが、技術と経験なんだ。瀬名ちゃんは気持ちはもう持ってるから、練習すればきっとすごくおいしいものが作れるよ」

「わう……! 瀬名、頑張ります!」


 さすがその道云十年の店長は、お菓子作りに詳しいのでした。




 * *




 瀬名が期待に胸を高鳴らせながらホールで働いていると、クッキーが焼き上がります。

 仕事が途切れる時間を見計らって、キッチンに戻ります。


 オーブンを開けるといい匂いが漂い、焼き色もばっちりです。

 早速、ほかほかのクッキーをいくつかつまみます。


「わうー、できたてのクッキー、とってもおいしいです」

「できたてが食べられるのは、手作りの特権だからね」


 先輩にもできたてを食べてもらいたいと思う瀬名でしたが、それはまたの機会のお楽しみです。ここで作り方を覚えれば、今度は家でも作れるのですから。


 つまみ食いばかりしていられません。

 最後に、焼き上がったクッキーをデコレーションしていきます。小麦色のお菓子を、アラザンやカラースプレーチョコ、アイシングなどでカラフルに華やかにしていきます。


 瀬名は、大きなクッキーにチョコペンでにっこりの先輩を描きます。


「瀬名ちゃん、チョコペンでそこまで描けるなんてすごいねえ」

「わふふー、いつも描いてますから」


 チョコが固まるのを待ったら、完成です。


「これ、おうちに持って帰ってもいいですか?」

「もちろんだよ。先輩に食べさせてあげな」

「わう! ありがとうございます!」

 店長は、丁寧にお持ち帰り用の包装をしてくれます。


「初めてのクッキー作り、上手く行ってよかったです。店長のおかげです」

「瀬名ちゃん、とっても飲み込みがいいから。それに、手先も器用だし。教え甲斐があるよ」


「店長、いつも瀬名によくしてくれて、ありがとうございます」

 そう言うと、喫茶店の主はしゅるしゅるとリボンを結びながら、どこか感慨深げな眼差しをしました。


「……昔、瀬名ちゃんみたいに甘いものが大好きな子どもがいたんだ」

「わう? 店長の子どもです?」

「ああ、瀬名ちゃんを見てると、思い出すんだよ」


 赤いリボンがきゅっと結ばれ、包装が終わります。

「そういえば私も、昔は大切な人の笑顔が見たくて、いっぱいお菓子作りを練習したんだった」


 店長は、綺麗にラッピングしてくれたクッキーを手渡してくれました。

「はい、大切な人にプレゼントしてね」




 * *




「先輩、ただいまですっ」

 急いで家に帰ると、既に帰宅していた先輩が出迎えてくれます。

「おかえり。今日は遅かったな」


「わふふー、瀬名、今日は秘密の特訓してました」

「秘密の特訓?」


 瀬名は、鞄から綺麗に包装されたお菓子を取り出します。

「店長に、くっきーの作り方を教わりました。先輩へのぷれぜんとです」


「へえ、かわいくデコったクッキーだなぁ――おっ、これ、俺の顔じゃないか!」

「わうー、描いてて楽しかったです」

 やっぱり、にっこりの先輩が一番です。


「先輩、ごはん前ですけど、ちょっと味見してほしいです」

「あはは、分かったよ」

 先輩はクッキーをひとつ手に取ると、口に運びます。さくさくと、軽妙な音が聞こえてきました。


「先輩、おいしいですか?」

「ああ。すごいじゃないか! お店で売ってるクッキーよりずっとおいしいよ」

「先輩のためにいっぱい心を込めて作りましたから」

「あはは、そうだな」


「わふふー」

 にっこりの先輩が見られてうれしいです。

 先輩ににっこりになってもらえるなら、もっとおいしいお菓子や料理を作りたいです。

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