5〈mof〉 いぬ・ばいと



 瀬名は、今日も先輩にすりすりして構ってもらおうと寄っていきます。


 だけど先輩の様子は、少しヘンでした。

 何やら数字がたくさん書かれているノートを見ながら、うんうん唸っています。


「先輩、どうしたんですか?」

「いや、そろそろバイトでも始めなきゃと思ってな……」


「ばいと?」

 瀬名には横文字はむずかしくてよくわかりません。甘いものの名前はすぐ覚えられますが。


「お店とかで働いて、お金を稼ぐことだよ」

「先輩、お金がないんですか?」

 そう訊くと、先輩は苦笑いしました。


「あはは、そろそろ仕送りだけじゃ厳しくてな……まぁ暇な大学生なんだから今までバイトしてなかったのがおかしいくらいなんだけど」


 人間が生きていくにはお金が必要なことくらい、瀬名だってわかります。しかし、そんなに生活が逼迫していたとは知りませんでした。


 うん? 瀬名は首をかしげます。

 もしかして、瀬名が人間になったせいでしょうか。


 人間になってから、瀬名はドッグフードではなく色んなものを食べるようになりました。大きくなった分、食べる量も増えました。それに、お散歩に行くたびに甘いものをねだっています。


 先輩は瀬名に服を買ってくれたり、色んなものをプレゼントしてくれます。これまで何も考えずただ喜んでいましたが、とてもお金がかかったのではないでしょうか。


 瀬名が勝手に人間になったせいで、先輩の負担になっていたのです。自分は何も返せていないのに。


「わう……」

 「無駄飯食らい」という単語が重くのしかかります。

 このままではいけません。


「瀬名がばいとします」

「えっ」

「そうすれば、先輩はばいとしなくても済みますよね?」


「せ、瀬名にはまだ早いよ。俺がバイトするから――」

「わうーっ! 先輩と一緒にいられる時間が減るくらいなら、瀬名、甘いお菓子もおもちゃも全部いらないです。先輩とずっと一緒にいられるなら、瀬名、ほかに何もいりません」


「うーん……」

 先輩が大学に行っている間にバイトすれば一緒にいる時間は減らないし、万々歳です。


「で、でも、瀬名がバイトなんて……人見知りだし……」

 先輩はおろおろしています。


「瀬名だって人間です。ばいとくらいできます」

「そんなこと言ったって……何をするのか知ってるのか?」


「…………」

 確かに、瀬名にはバイトは分かりません。

 

「それは勉強します」




 * *




 瀬名は、いくらかバイトについて調べました。


 人間は大体高校生くらいから、おこづかい稼ぎのためにお店で働き始めるというのです。

 バイト先も、見繕ってきました。


「瀬名、このかふぇで働こうと思います」

「うーん、カフェか……」

 先輩は腕組みをしています。


 お散歩中にときどき立ち寄るお店で、甘いものがとってもおいしいです。雰囲気もよくて、店員さんも親切です。

 瀬名が働くなら、きっとこんなところがいいです。


 ちょうどバイト募集の広告を出していたので、面接の申し込みをしました。


「……瀬名がそこまで真剣なら、今更俺も止めない。精一杯協力するからな」

「わうー!」




 * *




 きゅぽん、といぬ耳としっぽを引っ込めます。

 今日はいよいよ面接の日です。


 先輩といっぱい練習をして、対策をしました。

 きっと大丈夫なはずです。


 先輩は、カフェまで瀬名を送っていってくれました。

 約束の時間にカフェに着くと、店長が出迎えてくれます。長い髪を後ろで束ねた女性で、年齢は四十代くらいです。


「じゃあ、また」

 軽く手を振って、いなくなる先輩。瀬名は店長とふたりきりになりました。どきどきです。


 喫茶店は、木目を基調とした落ち着いた雰囲気でした。

 丹念に磨かれていることが分かるカウンターやテーブルは、重ねた年月が木の色合いを味わい深くしています。


「それじゃあ、早速面接を始めようか」

 休憩室に案内され、椅子に座って店長と向かい合います。


「えっと、名前は――」

「もふ山瀬名といいます」

 苗字は、先輩が考えました。もちろん、もふもふしてるからです。


「もふ山さんは……ええと、十六歳? もっと低そうに見えるけど……」

「わう! せ――わたしは十六歳です!」


「そ、そっか……」

 瀬名はちゃんと十六歳なのに、どうしていつも子どもに間違われるのでしょう? どこからどう見ても大人です。


 店長は、穏やかな声色で話します。

「どうしてここでバイトしようと思ったの?」

「わう! ここのかふぇのお菓子がとってもおいしいからです」


「そうか、元々ここのお客さんだったんだね」

「はい。ここのお菓子は、どれも甘くてふわふわで、いくらでも食べられそうです」


「ありがとう。でも、仕事中はお菓子を食べられないんだよ。もちろんつまみ食いもダメだ」

「…………」


「もふ山さん?」

「も、もちろん、つまみ食いしないです! お客さんのお菓子ですから」

 危ないところでした。つまみ食いがダメなんて、盲点です。


「でも、まかないくらいは出してあげられるよ。お茶の一杯とか、売れ残ったお菓子とかね」

「わーい! まかない、楽しみです!」


「……もふ山さん、あくまで働くことがメインだよ?」

「わ……分かってます! 真面目に働きます!」

 カフェは誘惑がとっても多くて、危険です。


「ここで働くとしたら、週に何日くらい入れそう?」

 予測していた質問が来て、瀬名は事前に用意していた台詞を答えます。


「十月から、週に三~四日くらい働きたいです。午前中から大丈夫ですが、夕方くらいには帰りたいです」

「なるほど……」


 瀬名のバイトは、先輩が大学に行っている間だけです。先輩の大学がない日や、先輩が帰ってくる時間には家にいたいです。


「今回はホールスタッフの募集だから、接客の仕事になるけど、接客の経験はある?」

 先輩が、バイトは経験者が有利だと言っていました。でも、瀬名は接客どころか、バイトの経験もありません。

 誰だって最初は初心者なのに、経験者が有利なのはねじれている気がします。


「せ――わたし、ばいとは初めてですが……頑張って仕事を覚えます! 瀬名がこのお店でにっこりにしてもらえたように、瀬名もお客さんをにっこりさせられるように頑張ります!」


 一番にっこりになってほしいのは、先輩ですが。

 もちろんお客さんにもにっこりになってほしいです。


「わたし、一生懸命ばいとします! ぜひこのかふぇで働かせてください!」




 * *




 カフェから出ると、先輩はお店の近くのところで待っていてくれました。


「せんぱいっ」

「瀬名、大丈夫だったか?」


「わうー」

 瀬名は先輩に抱きつきます。やっぱり、心細かったです。

 いつもは、外では抱きつかないよう言ってくる先輩も、今日ばかりは優しく抱き止めてくれました。


「店長、その場で採用してくれました。瀬名、働いてもいいそうです」

「すごいじゃないか!」

「わふふー、瀬名、頑張ります」

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