6 せな・そーきゅーと


 俺には、大きな悩みの種があった。

 そう、瀬名の下着を買わなくてはならないのである。


 服なら、一緒に服屋に行って、適当なものを見繕えばいい。

 しかし、さすがに男の俺が一緒に女性の下着を買いに行くわけにもいかない。世の中、カップルで下着を買いに行く人間もいるらしいが、そんなのは別世界の話だ。


 瀬名ひとりで行ってもらうしかないのだが……。


 俺は、横目でちらりと瀬名を窺う。彼女はボールを転がして遊んでいた。まさしくいぬだ。


 それはいいとしても――こんなに屈託のない彼女に、お金を渡して自分で下着を買って来させるなど、可能なのだろうか?


 親切な店員に訊けば、きっと一から教えてくれるだろうが、そもそも瀬名をおつかいに行かせるのはまだ不安だ。


 外でひとりでいるときに何かあっても、助けてあげることはできないのだ。


 買い物の仕方はゆっくり覚えてもらおう。だが、その間ずっと下着を身に着けないのは看過できないし、何より瀬名のためにならない。ひとまず何枚かだけでも用意しておけなければ。


 幸い、今はネットが発達している。その気になれば、ネットショッピングでいくらでも買えるだろう。


 案の定、大手通販サイトで検索すると、ずらりと女性用下着の商品が並ぶ。スタイルのいい女性モデルが着用している煽情的な画像つきで。俺はそれらをまじまじと眺めた。


「…………」

 いや、違う。別に変態じゃない。自分の性的欲求を満たすために下着を選んでいるのではない。まだ人間社会をよくわかっていない少女のために買うのだ。何もやましいことはない。


 必死に自分に言い聞かせながらも、気恥ずかしさが収まらない。


 瀬名をそういう目で見たくないのに。

 こんなこと、せずに済むならそれが一番いいのに。


 いや、そうやってずっと後回しにし続けているわけにはいかない。

 既にだいぶ先送りにしてきた問題だし。


「ぐ……なんでこんなにいっぱいあるんだ」

 大量の下着の中から選ぶなんて、どうしても俺の好みに依ってしまうじゃないか。このままでは自分の好みで選んだ下着を、何も知らない女の子に着させて喜ぶ変態になってしまう。違う。俺は変態じゃないんだ。


「せっ、瀬名は、この中に気に入りそうなものはあるか?」

 仕方がないので、彼女に画面を見せて訊ねる。


「なんですか? それ。そんなの着けても鬱陶しいだけです」

 訊いた俺が間違っていた。


「あのな、瀬名。下着は体調のためにも、体型を整えるためにも重要なんだぞ?」


 彼女は、頭にはてなマークを浮かべている。ダメだ、伝わっていない。これまで服もへったくれもなかったもふもふな生きものに、下着の必要性をすぐ理解してもらうのは無理があるのだ。


 そもそもなんでいぬの神様は、瀬名を人間にするときにワンピースを着させたのに、下着は身に着けさせなかったんだ? なんとも気の利かない御仁だと言いたくなる。


 こうなったら詮方ない。俺は目についた下着の上下セットを何枚かカートに放り込もうとして――止まった。


 しまった。大事なことを忘れていた。

 一気に血の気が失せていく。背中に汗が伝う。


 サイズだ。

 下着を買うには、サイズを知らないとどうしようもない。


 俺は再び瀬名を見る。彼女はきょとんとする。とても自分の下着のサイズを知っている顔には見えない。そして、サイズの測り方を知っている顔にも見えない。


「…………」

 心が折れかけてきた。もう下着なんで後回しにすればいいじゃないかという気すら起きてくる。


 いや……いや。ここまで来て諦めるのは男が廃る。瀬名のためにも、ここは奮起しなければならない。


「瀬名」

「なんですか?」

「ちょっと頼みがあるんだが――」




 * *




「はぁ……」

 寿命をすり減らした気分だ。


 家には、俺が命を削って買った品が届いている。

 わうわうな女の子は、テーブルの上のダンボールをぱちくりと見つめている。


「瀬名、開けてくれ」

 自分で開ける気力はもうなかった。


 彼女はごぞごぞと袋を開けて、薄っぺらい布を取りだす。

「なんですか? これ」

「……下着だよ。服の下に着るんだ」


「別にこんなのいらないです」

 予想通りの反応だ。


「俺からのプレゼントだよ。人間の姿になったのなら必要だから」

「ぷれぜんと?」


 途端瀬名は顔を赤くする。

 な、なんだ? 異性に下着をプレゼントする変態だと思ったのか?


「……わかりました」

 焦る俺を尻目に、彼女は手に持ったものを見つめる。


「先輩、これ、どうやって着るんですか?」

「…………」

 俺の寿命はいよいよ底をついた。




 * *




 下着を用意したことで、ようやく瀬名の服を買いに行ける。下着がなきゃ試着もアレだしな……。


 デパートの中の、レディース向けの服屋が並ぶフロアを、一緒に歩く。

 別に女子の服に詳しいわけではないが、困ったら店員に訊けばいいだろう。


 とりあえず、ティーン向けの服屋に入る。傾向としてはガーリーめのブランドだ。

 ひらひらしたワンピースや、リボンがついたブラウスなどが並んでいる。


「瀬名はなんか着てみたい服あるか?」

 そう訊いてみても、ぴんと来ていない様子だった。


「人間の服は全部同じに見えます」

「そうか……」

 俺が適当に見繕ってみるか。


 試しに色んな服を着てみれば、瀬名が気に入るものもあるかもしれない。

 何枚か選んで、彼女を試着室に入れる。


「服を買うときは、サイズやデザインが合うかどうか、試しに着てみて、買うかどうか考えるんだよ。瀬名も着てみてくれ」

「わう」


「売り物だから、大切に扱うんだぞ」

 うなずいて、小柄な女の子はカーテンの向こうに消えていった。


 いくらかの時間も経たずに、カーテンが開く。ガーリーな服に身を包んだ瀬名が、そこにいた。


 白いノースリーブのトップスに、ふわふわの水色のシフォンスカート。瀬名がくるりと回ると、ふわりとスカートが広がる。まるで妖精のような可憐さだ。


「かわいい……」

 思わずそんな声が漏れる。


 こんなにかわいい格好で道を歩いていたら、さらわれてしまうんじゃないか? 俺だったら絶対にかどわかす。危険だ。


 いや……とりあえず買うか。何といってもかわいいしな……。


 その後も、服や店を変えながら、服選びは行われた。


 瀬名は甘めの服も落ち着いた服もよく似合っていた。素材がいいからな。

 あまりにも様々な服が似合うので、どれも買いたくなってしまって財布がピンチだった。


 次に瀬名が身に纏ったのは、西洋人形が着ているような、甘めの薄桃色のワンピース。


 瀬名は水色や濃い赤も似合うが、桃色もかわいくてよく似合っている。


「瀬名はキュートだなぁ」

「きゅーと? どういう意味です?」

「すっごくかわいいってことだよ」

「わう……」

 瀬名は耳まで真っ赤にしてうつむく。


「先輩も、きゅーとです」

「あはは、ありがとう」

 褒められたら褒め返さないといけないと思っているらしい。




 * *




「わうー、服いっぱい着るの、飽きてきました」

 さすがに試着させ過ぎたらしい。


「ごめんな、瀬名があまりにもどんな服でも似合うから、ついつい色んな服を着てもらいたくなるんだ」

「先輩、もう服いっぱい買ってます。これ以上いらないです」


 言われてみれば、袋の数が随分増えている。反対に、財布の中身は随分軽くなっている。これを予想して多めに持ってきたというのに、だ。

 げに恐ろしきは瀬名のかわいさ、といったところか。


 春服はもちろん、夏服もいくらか用意できたし、買い物はこの辺りでいいだろう。


「じゃあ、服を見るのはもうやめにしようか」

「わう」


 服屋だらけの区画から離れると、店はどんどん雑多になっていく。

 ふと目についたのは、アクセサリーショップだ。


 瀬名は服には興味ないようだったが、いつも着けている花の飾りは気に入っている。もしかしたら、アクセサリーならお眼鏡に適うものがあるかもしれないと思って、入ってみたが……。


 瀬名は大した興味がなさそうに、並べられた商品を見ている。やはり人間のファッションは他人事なのだろう。


「わう!」

 突然、鈴を転がすような声が張り上げられる。


「これ、首輪です! 人間用ですか?」

 瀬名の視線の先には、チョーカーがあった。


「せ、瀬名、それはチョーカーっていうアクセサリーだよ」

「わう? ちょーかー? 首輪じゃないです?」

「ああ」


「でも、瀬名、これ着けたいです。首輪がある方がしっくり来ます」

「そ、そうか……」

 チョーカーなら人間の女の子が着けていても不自然じゃないし、いいのか……?


 瀬名は首輪っぽいデザインのチョーカーを欲しがったが、一応無難でシンプルなデザインのものも購入した。


「先輩、ちょーかー着けてほしいです」

「あ、ああ……」

 まぁ、最初は自分じゃ着けにくいだろうからな……。


 シンプルで黒いものを選んで、恐る恐るその白く細い首にチョーカーを巻き付ける。


 買ったばかりのアクセサリーを首に着けて、瀬名はるんるんだ。

 人間の感覚ではなんとも言えないが、彼女が喜んでいるのだから、いいのかもしれない。


「首輪、好きです。飼われている証ですから。ずっと着けていたいです」




 * *




 駅前で夕食を摂ってから、家に帰る。

 買った服を入れたら、クローゼットが随分華やかになった。


 チョーカー類は、瀬名専用のカラーボックスに収める。


「わう……」

 瀬名は今にも船を漕ぎ出しそうになっている。

 もうおねむの時間らしい。今日は歩き回ったしな。


「瀬名、無理しないで寝ていいんだぞ」

「わう……先輩も一緒に寝ましょう」


 瀬名と一緒にいると、自然と早寝早起きになるな。いいことだが。

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