第50話 クーデレお嬢様のお世話をやめることにしました

 見慣れた高層マンションのリビング。相変わらず高級ホテルのスイートルームみたいな部屋。

 最初は臆したが、何回も出入りさせてもらっていくうちに慣れた部屋。

 失礼だから絶対に口にはしないが、まるで実家の様にくつろいでしまっている時もある。


 しかし、今はまた違って見える。

 

 リビングにアヤノがいないにしろ、この家の中には彼女がいるから、どうしても意識してしまう。


「どうかしたかい?」


 俺がリビングで立ち尽くしているとお父さんが聞いてくる。


「あ、いえ……」

「うん? かけてくれ」


 そう言ってダイニングテーブルを差す。


「はい。失礼します」


 お言葉に甘えてダイニングテーブルのいつも座らせてもらっている席に座る。


「すまないね。お疲れのところ」

「いえ。僕も少しお話があったので」

「話? 私にかい?」


 お父さんは尋ねながら鞄を足元に置いて俺の正面に座った。


「はい」

「なにかな?」

「あ、すみません。僕の話よりも、先に用件をお伺いさせてもらっても良いですか?」


 失礼を承知の上でお父さんに言うと、特に不審な顔をせず頷いてくれる。


「ふむ。私の話の方が早く済むだろうからね。なら、こちらから」


 そう言いながら鞄から封筒を取り出して机に置いた。


「先月分の給料。渡すのが遅れて申し訳なかったね」

「あ……」


 そういえば、貰ってなかったな。

 しかし、これは好都合。俺のしたい話に持っていきやすい。


 俺は首を横に振って意を決してお父さんに言う。


「すみません。受け取れません」


 そう言うと面食らった表情を見してお父さんが困惑した声を出す。


「どうしてだい?」

「それは……」


 息を大きく吸う。

 あ……。やばい、吐きそう。


「もう、この仕事を辞めたいからです」

「辞め……たい……?」


 お父さんの表情は変わらずだったが、その声は少しショックを感じている様に思えた。


「すみません。もう僕にこの仕事を続ける資格は――」


「ふぅ……」と息を吐きながら首を横に振る。


「続けたくありません」


 高鳴る心臓を抑えて、ハッキリと言う。

 いきなりの申し出にお父さんは怒る様子も無く、無意識に頷いてくれた。


「君の意思は分かった。だが、続けたくない理由を聞かせてはくれないだろうか?」

「それは……」


 口籠もってしまうと優しくお父さんが悟る様に言ってくれる。


「君の事を『君はこういう人間だ』と言えるほどに深い仲ではない。しかし、君が1度引き受けた仕事を何の理由もなく手放す事をしない人間だという事は仕事振りから理解しているつもりだ」

「そのように評価していただいていたのですね……。ありがとうございます」

「君への評価は非常に高いよ。だからこそ、いきなり辞めたいと言われてショックなんだ」


 言いながらお父さんはテーブルに両肘をつく。


「何か言いにくい理由かね?」


「アヤノの事を好きになったからです」と言う言葉。

 アヤノにも言ってないのに、先にお父さんに言うのはなんだか違う気がする。

 しかし、それが理由なので何も言えずに沈黙が流れる。


 気まずい雰囲気が流れ、嫌なドキドキが続き、気分が悪くなって吐きそうなのを踏みとどまる。


 怖い沈黙。次のターンをどうクリアしたら良いか全く分からない。

 

「い、今は……。まだ言えません……」


 精一杯出した言葉は中途半端な台詞であった。


「今は……? だったら辞めた後になら言えるのかい?」

「いえ……。そういう訳ではなくて……。えっと……」


 頭が真っ白になりパニックになってしまう。


 お父さんを見ると不信感たっぷりな表情でこちらを見ている。そりゃそうだ。いきなり従業員が辞めたいと言い出して、その理由を言ってくれないのだから。

 怒ってるよな? 絶対怒ってるよ。こえぇ……。


「分かった……」とお父さんが立ち上がる。


「君は今、異常な位の緊張状態だ。その様な人間を追い込む様な事はしない。私は今から忘れ物を取りに行く。時間はかかりそうだ。その間に整理しておいてくれないか?」

「あ……」

「くれぐれも逃げない様にね」


 そう言い残してお父さんはリビングを後にして、家を出て行った。


 逃げない様に――。


 それというのが、俺の中で、アヤノにさっさと告白しろと変換される。




 タイミングよくお父さんと入れ替わりで部屋着に着替えていたアヤノがリビングに入ってくる。


「アヤノ……」


 彼女と目が合い、先程の気まずい雰囲気と相まって、もう胃液が出そうな位にリバースしそうだ。


「なんでリョータローがいるの?」


 無表情で冷たく聞かれる。


「いや、お父さんと話があってな」

「そう」


 興味なさそうな声を出して、アヤノはキッチンへ向かう。


「何か飲むなら淹れようか?」

「ありがとう。でも、必要ない」


 怒ってる訳ではない。だが、いつも通りとは言えない態度。いや、出会った当初に戻った様な感じが近い。


 俺はリビングから見える窓の外を見た後に意を決して立ち上がりキッチンに向かう。


「アヤノ。ちょっとだけベランダ――バルコニーに出ないか?」


 ペットボトルの水をコップに淹れ終えてからアヤノがこちらを見る。


「どうして?」

「いやー……。ほら、ちょっとこの部屋熱くない? 外出たら涼めると思って」

「クーラーついてるけど?」

「あー……。ほら、俺って機械の冷えた風より、自然の風の方が身体冷えるから」

「相変わらず変態だね」

「あははー。そうかなー」


 頭を掻きながら言うと、アヤノは不審な顔をしてから言う。


「別に良いけど……」

「そ、そうか、なら」


 コクリと頷いてくれたが、アヤノは不信感を抱いた顔をしたまま水を飲んでバルコニーに出る。

 それに続いて俺も出た。


「い、いやー。良い風だなー」

「蒸し暑いんだけど……」

「そ、そうかな? あはは……」

「蒸し暑いから部屋に戻って良い?」

「ちょ! ちょっと待った!」

「なに?」


 俺は柵に腕を置いて夜空を見上げる。

 少し田舎だからだろう。夜空には無数の星々の輝きが見えた。

 その中でも一際輝きを放つフルムーン。俺はそれを見上げながら深呼吸した後に言ってのける。


「月が綺麗ですね」


 そう言うとアヤノは反射的に月を見上げながら返してくれる。


「そうだね」


 ですよねー。そうなりますよねー。まさか「死んでもいいわ」なんてアヤノの口から出ませんよねー。

 分かっていました。ええ。分かっていましたとも。

 遠回しに言った俺が悪いんだ。


「アヤノ……」

「なに?」

「俺、もうこのバイト辞めたいんだ」


 そう言うとアヤノは目を大きく見開いた。

 その後に小さく「そう……」と呟いて言ってくる。


「そうだよね……。疲れるよね……。私の世話のバイトなんて……」


 アヤノの瞳からスーッと一滴の涙が流れた。


「仕方なく付き合ってくれてたんだよね。仕事だから。なのに何してるんだろ……。私……」

「アヤノそうじゃなく――」

「ありがとう。今まで我慢して付き合――」

「好きだから!」

「え?」


 涙を指で拭きながら俺を見る。


「アヤノの事好きになったから……。だから、もうこんなバイト続けられない」


 彼女に好きと言うと意外にも心拍数は落ち着いて、冷静に話す事が出来た。


「成績悪くて、運動神経悪くて、口悪くて、頑固で、無表情で、無機質で、コミュ力なくて――」

「言い過ぎ……」

「でも! 過ごしていくうちに、どんどん氷が溶けていく様に、表情豊かになっていって……。それを俺にだけ見してくれて……。どんな時も――体調悪くて寝込んだ時も、テストの補習も……。いつでも側にいてくれて……。俺の為に長い髪切ったとか言われりゃ好きになるに決まってるだろ!」


 弾丸の様に言い放つとアヤノは目から涙を流していた。

 しかし、笑って答えた。


「そ、そっか……。リョータロー私の事好きなんだ……。へぇ」


 思ってた答えと違い焦ってしまう。


「お、おうよ! 好きだ」

「そう」


 へ、返事がない。何で返事してくれないんだ……。


「あ、アヤノは、お、俺の事どう、お、思って?」


 いても立ってもいられないから、呂律が上手く回らないながらもアヤノに問う。


「私はリョータローの事好きなんかじゃないよ」

「え……」


 瞬間、頭をハンマーで思いっきり叩かれた感じがしてその場に倒れそうになる。


 やはり俺の勘違いだったのか? 俺の為に切った髪は俺のモチベーションを上げる為だったのか?


「口うるさくて、お節介で、変態で、エッチで、気持ち悪くて……」


 ダメだ。ツッコミたいけどショック過ぎて言葉が出ない。


「そんなリョータローが私は大好きだよ」


 そう言いながら抱きついてきた。


「え?」


 最初意味が分からなかった。何が起こったのか分からなかった。

 段々とアヤノの温もりを感じ、汗が出てきたところで彼女が抱きついてきたものだと理解できてくる。


「好きなんかじゃない。大好きなんだよ。リョータローの事」


 そう言われて俺は倒れそうになる。


「だから望み通りバイトをクビにしてあげる」

「クビか……」

「うん。クビ。お世話のバイトはクビ」


 そして顔を上げて俺を見つめながら言ってくる。


「今度からは私の彼氏として側にいてね」

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