第40話 起きたらスッキリしました

 まるで深海にいる様である。


 ここは光が届かない闇の世界であった。


 何も見えない。何も聞こえない。身体を動かす事すら出来ない。

 しかしながら先程から体温の上昇や下降を感じる事は出来た。


 何故自分がこんな場所で、ただひたすらに体温変化だけをしているのか、その理由が全く見当もつかない。


 自分の存在価値や存在意義、何の役に立つのか考えてみるが答えは見つからない。


 何回も何回もただひたすらに体温変化だけが起きている。


 ふと、歌声が聞こえてきた気がした。

 透き通る様に美しい歌声である。

 その歌声は段々と大きくなっていく。


 歌声が大きくなってくると、次は目の前に一筋の光が見えてきた。

 それは歌声と共に段々と大きくなって俺の目の前に現れる。


 光の正体はそれはそれは美しい女性であった。


 女性が祈る様に、俺をジッと見つめて歌を歌ってくれている。


 そして俺の手を差し伸ばしてくれた。


 その歌声を聞いたからなのか、先程まで動かなかった腕が動く様になり、俺は彼女の手を握った。


 弱々しく握る俺に対して彼女は強く握り返してくれる。

 しかしながら不思議と痛くはない。むしろ心地良い。


 彼女はそのまま俺の手を引いて宙に舞う。


 まるで海中を自由に舞う人魚姫の様に。

 

 俺は彼女に身を委ねてそのまま海上へと駆け上がって行くのであった――。




♦︎




 目覚めは良かった。

 なんだか妙に頭がスッキリしているし、身体が何となく軽く感じる。


 夢を見ていた。それは絶対だ。だけれどもどんな夢だったのか内容を思い出す事は出来なかった。


 段々と脳が覚醒していく中で違和感があった。


 自分の家の天井はこんな形状だったか? いや、違うだろ。


 自問自答しながら上半身だけを起こす。


 起き上がって自分が被っている掛け布団を見ると、明らかに病院にでもありそうな真っ白い綺麗な掛け布団であった。


 ここでようやく思い出す。

 

「そうだ……。俺……テスト中に倒れて……」

『気が付いた?』


 ふとセクシーな声がしたのでパッと前を見る。

 目の前には白衣を着た中年女性が立っていた。


「ここ……病院ですか?」


 そう尋ねると彼女は首を横に振る。


「学校の保健室よ」

「学校の保健室……だと……」


 そ、そんなバカな……。


「本当ですか?」

「何で嘘言うのよ」


 嘘だ! だって保健医は若い綺麗な人だって……。こんなおばちゃ――んん! マダムな訳が……。


「体調は?」

「あ……。大丈夫です」

「そ。感謝しなさいよー。この子、ずーっと看病してくれてたんだから」


 マダムが指差す方――俺の左手を見てみる。


 窓から差し込むオレンジ色の光をバックにパイプ椅子に座って寝ているアヤノが左手にプリントを持って眠っていた。

 

 その姿は麗しく幻想的で儚い。


「体調大丈夫そうなら私は職員室へ行くわね。あなたの親御さんが来てくれているから連れて来るわ」

「ど、ども」


 保健医の先生は俺に伝えると保健室を後にした。


 母さんが来てくれているのか……。母さんの事だ、車じゃなくてチャリで来たんだろうな……。


 それにしても俺は一体何時間位寝ていたのだろう。

 時間を確認しようとポケットに手を突っ込むがスマホが見つからない。


 そうだ……。試験中だから鞄の中にしまったままだ。


 まぁ別に今すぐ時間を知りたい訳でもなし、夕陽が照らして差し込んで来ているのだから夕方だろうと予測も出来る。


 しかし、夕方となると俺はかなりガッツリ寝てしまっていた様だ。

 その間、アヤノが面倒を見てくれていたのだろうか?


 再度アヤノの方を見る。


「アヤノ……」

「ん……」


 無意識に名前を呼ぶと彼女がゆっくりと目を覚ました。


「あ……。リョータロー。おはよう」

「おはよう。――ってもう夕方だけどな」


 俺が言うと後ろを振り返り窓の外を確認する。


「もうそんなに時間経ってたんだ……」

「ずっと看病してくれてたのか?」


 俺が尋ねるとこちらに向き直しコクリと頷いた。


「長い時間ありがとな」

「別に……。テスト勉強してたからいい……。それに私のせいでもあるから、私が看病するのは当然」

「なんでアヤノのせいなんだ?」

「それは……。私がリョータローに無茶させたから」

「いや、今朝も言ったかもだけど、アヤノのせいなんかじゃないって」

「それは聞いてない」

「へ?」


 アヤノは頑張って俺の真似をする。


「『ふはは! 私め南方 涼太郎如きが絶世の麗しき美女、その姿はまるで天使、いや女神の様に美しくも儚い波北 綾乃様の世話をさせていただいておりますゆえに大丈夫でございます!』とは言っていた」


 物真似の才能はないみたいだ。


「え? それ俺が言ったの?」

「言った。深夜のノリでウザかった」

「まじで言ったの? 絶世の美女とか、天使とか、女神とか?」

「言った。中二病臭かった」

「何か文脈おかしくない?」

「リョータローそのものがおかしいから」

「うっはー!」


 俺そんな事言ったの? 今朝? まじで痛いやつやん。はっず……。

 今後秘奥義は使用禁止にしよう。体調不良の他にも代償が大きい。


「ま、ままま、まぁ。まぁね。その、あれよ、あれ。それでも……。うん。それでも? まぁともかく――」


 コホンと咳払いをしてアヤノにキメ顔で言ってやる。


「アヤノのせいなんかじゃないよ。看病してくれてありがとう」


 改めてお礼を言うとアヤノは「べ、別に……良いよ」と照れながら言ってくる。


「さてと……。母さんもそろそろ来るかもだし、帰る支度するか」

「お母さん?」


 アヤノは首を傾げた。


 何故彼女が首を傾げたのか分からない。その為に何でアヤノが首を傾げたのか問おうとすると、先にアヤノから声をかけられる。


「リョータロー? 顔真っ赤」

「え?」


 言われて自然と片手で片頬を触ってしまう。


「もしかしてまだ熱あるの?」

「測ってないから分からない――というか、俺熱あったのか……」

「あった。39°程度」

「そんな高熱だったのか……。でも、今は――」


 言葉の途中でアヤノの俺の頬を触ってくる。


「ア、アヤノ……?」

「うーん……。これじゃあ分からない」

「だ、だろうな。やるとしたら普通デコだろ。つか普通に体温計使おうぜ」

「あ、なるほど」


 納得した声を出して俺の前髪を掻き分けて額を出してくる。

 どうやら俺の後半部分の台詞は闇に消えたらしい。


 そしてアヤノは自分の額をくっ付けてくる。


「なっ!?」

「うーん……?」

「ちょ……」


 近い近い近い近い。めちゃくちゃ近い。アヤノの匂いがする。息が当たる。こんなん熱上がるわっ!


「分かんない……」

「なら離れよう。一旦離れよう」


 俺の声が聞こえてないのか、測定に集中してるのか、アヤノは離れようとしなかった。


『涼太郎ー。生きてっかー?』


 俺達がデコ測定をしていると男性の声が聞こえてきて保健室に入って来る。


 男性は俺達を見て瞬時に何かを察して回れ右をする。


「うぃー。邪魔したなー。停学にならん程度にハッスルしろよー」


 あっさりと保健室を出て行った。




♦︎




「いやー……。マジでビビったわー」


 我が家の車を運転する中年男性。

 将来は俺もこんな感じな顔になるのかなー。

 なんて思われる俺の父親の南方 隆次郎が運転しながら誰に言うでもなく言い放った。


「こっちもビビったわ。いつ帰ってきたんだよ」


 俺は父さんの座席の後ろから声を出す。


 父さんは単身赴任中だったはず。


「今朝方にな。始発の新幹線で帰ってきたわ」

「そうなんだ」

「つか、え? なに? 2人付き合ってるの?」


 赤信号になり、停車した時に父さんの隣に座るアヤノに問いかける。

 俺を家に送るついでにアヤノも送る事になった。

 どうやらアヤノは父さんとも面識があるらしい。

 その為、助手席が良いと言ったのでそっちに座っている。


「付き合ってない」


 アヤノは視線を合わせずに言う。


「ふーん。保健室でキスしてたのに?」

「してない」

「ほっほー。あれをしてないってか?」

「おじさん。青」

「あ! てめっ! リュー兄ちゃんだって昔から言ってんだろ!」

「知らない」

「永遠の兄ちゃんなの! 俺は!」

「早く行かないと鳴らされるよ」

「くっそ。ホントそういう所は秀そっくりだな……」


 ブツブツと言いながら父さんがアクセルを踏む。

 あー……。自分の父親が幼馴染の子供に兄ちゃん呼びを吹き込んでいるとか聞きたく無かったな……。

 はぁ……。折角治りかけなのに何か身体がだるい。これは俺の体調不良が原因じゃなくて父さんの痛い所を見た為だろう。


「しかし綾乃も大きくなったな。今年で何歳になった?」

「おじさんの息子と同じ」

「だっ! おめっ! 人の話聞いてた? お・に・い・ちゃ・ん! ほい! リピートアフターミー」

「おじさん」

「ヘイヘイヘイ。さてはお前英語出来ないな?」


 英語関係なくない?


「1番の得意科目」

「おっ! なんだよ。将来は留学でもするのか?」

「将来はイタリアに住みたい」

「良いねー。イタリア。行ってみてー。あ、パスタ食いてー」


 イタリアは英語圏じゃないから英語が出来ても通じない人多いよ。日本と同じ感じだよ。あとそいつ英語大して得意じゃないよ。とツッコミたいが、まぁどうでも良いや……。




 数分のドライブの後、アヤノの家に到着した。


「じゃあな綾乃」

「ありがとう。隆次郎さん」


 そう言いながらアヤノは車を降りた。


「お……。それはそれでアリだな……」


 おっさんがJKに名前呼びされて喜んでいる。居た堪れない気持ちになる。


「あ、アヤノ」


 そんな気持ちもあり、俺も車を降りて彼女に声をかける。


「なに?」

「いや、ちょっと気になってな。テストどうだった?」


 そう尋ねるとアヤノは一呼吸置いてから俺を見つめて言ってくれた。


「リョータローが頑張ってくれた事を絶対に無駄にはしないよ」


 そして微笑んで言ってくれる。


「だから見ててね」


 その笑顔に曇りはない。


「分かった。信じてるよ」


 素直に言うと、強く頷いてアヤノは家に帰って行った。


 彼女の背中を見つめながら、結局俺の質問には答えてくれてない事に気が付いたが、今から追いかけて「結局どうだったんだ? 今日のテストは?」と聞くのも面倒くさい。


 彼女がエントランスまで入るのを確認すると、助手席に座る。

 シートにはまだアヤノの温もりを感じて少しドキッとした。


「もう良いのか?」

「あ、ああ」


 俺の返事に親父はギアをPからDに切り替えてサイドブレーキを解除し発進する。


「そういや土産買ってきたぞ」

「土産? もしかして?」

「東京さんところのバニャーニャだ」

「お! テンション上がるわー」


 中々食べる機会のない東京土産。

 しかし疑問が残る。


「あれ? でも父さんの単身赴任先って栃木じゃなかった?」

「おうよ。ふふっ攻めてきたぜ。いろは坂を」

「え!? まじで!? うわー。良いなー」

「レンタカーのヴィッツでな」


 車じゃなかったらコケてたね。


「コンパクトカーで峠攻めたのかよ」

「ははは! そもそも峠を攻めたかった訳じゃなかったからな。戦場ヶ原に行ってきたのよ。観光観光」

「へぇ。でも栃木なら日光東照宮じゃない?」

「そこも行った。いや、ほんと単身赴任中の休みってやる事ないんだわ。レンタカーのポイントめっちゃ溜まったもんな。あと店の人に顔覚えられたしな。店員さんの栃木弁めっちゃ可愛いんだわ。あの頑張って標準語に寄せようとしてるけど出ちゃう健気な感じ? たまらないね」


 このおっさんは息子に何を語っているんだろうか……。


「ま! 恵が1番可愛いけどな」


 このおっさんは息子に何を語っているんだろうか……。


「ま、1人旅はそれはそれで楽しかったけどな。お前ら最近遊んでくれないし」

「そりゃ親離れするだろ。それでも他所の家族より仲良い方だぞ? 絶対」

「ははっ! そりゃちげーねぇ。紗雪なんて年頃なのに俺のパンツと一緒に洗っても何の文句言わないしな。全く恵の教育方針には感謝しかない」


 アイツはパパっ子だからな……。


「ん……。そういや娘のパンツ一緒に洗う問題を秀とも議題に挙げた事あるけど、あいつん所も別に言われた事ないって言ってたな」


 アヤノはそういうのに関心がないからな……。


「しかしまぁ涼太郎。秀の所で特殊なバイトしてるとは聞いたけど……。仲良さそうなこって」

「ん? うん。まぁ……」

「惚れてんのか?」

「いや、マジでやめて。ただでさえ恋バナとか苦手なのに親とするとかないから」

「かっはっは! ま、そりゃそうだわな。でも、良かったわ。お前が綾乃と仲良さそうで」


 父さんは言葉通りに安堵した様な表情を見せる。


「何で?」

「ん……。まぁ色々な……」

「色々ねぇ」


 親同士が仲の良い幼馴染だから、その息子達が仲良さそうで良かったといったところか?


「俺には幼馴染なんていないから分からないけど、親同士が幼馴染だと子供同士を幼少の時から仲良くさせるとかしなかったの?」

「あー。漫画でよくあるパターンの奴な。そりゃ俺らも大学生の時とかそんな夢物語を語った事あるけどさ。ま、社会人になると仕事があって、家族が出来てってなって忙しくなるからな。そもそも住んでる県が違うかったから会わせる機会もないってもんだ」

「あれ? 波北さん家は元々ここに住んでたんじゃないの?」

「あれ? 聞いてない?」

「何も」

「あー……。そうか……」


 小さく言った後に誤魔化す様に少し大きめの声で言ってくる。


「今日のご飯はなんだろな?」


 我が親ながら話題変更がとても下手である。

 しかしながら、それはこれ以上の追求を拒んでいる事の証。

 幼馴染といえど、父さんに他の家族の事をベラベラと喋る権利はない。そこをちゃんと線引きしての下手クソな話題変更。

 俺は素直に父さんの話題にのり、くだらない話に付き合ってあげたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る