第28話 どうやら今日は給料日みたいです

 カレー皿というのは食べた後にすぐに洗わないと、面倒だから後で洗おうなんてすると汚れがこびりついて皿に残ってしまう。母さんに教えられ、もう既に癖になってしまった為、アヤノの食べ終えたカレー皿をすぐに洗う。


 あの後、彼女は泣き止んで、綺麗な瞳を腫らしてカレーを食べてくれた。

 ゆっくり食べてくれて良かったのに、言葉通り美味しかったのか、まるでカレーは飲み物だ! と言わんばかりにペロッと完食したのであった。


 食べ終えるとアヤノはすぐに部屋に戻ってしまった。

 涙の理由は何となく想像出来るが、結局それは俺の予想だ。真実ではない。なので気にはなったが、その理由を彼女の口から聞く事は出来なかった。

 そりゃ普段無表情の女の子が同級生の前で号泣してしまったのだから少なからず恥じらいを感じた事だろう。

 泣いた理由を彼女が話すまではこちらから詮索するなんて野暮な事はやめておく。


 パッとカレー皿を洗い終え、拭きの作業に入った所でリビングの扉が開く。


「ただいまー」


 帰ってきたのはここの家主様でアヤノの父親である波北 秀さんだ。

 リビングの時計に目をやる。どうやら今日は早い帰宅の様である。


「おかえりなさい」


 キッチンから彼の挨拶にカレー皿を拭きながら返す。


「お、涼太郎くん。いらっしゃい」

「お邪魔しております」

「ちょうど良か――」


 アヤノのお父さんは何かを言おうとして中途半端に言葉を止めた。


「――今日はカレーかい?」

「はい。食べますか?」


 尋ねると少し迷っている様子であった。

 

 母さんから話を聞いていたので、彼にも思うところがあるのだと察し、黙って返答を待つ。


「――おっと……。すまない。変な間を置いてしまって。お腹も空いたし、先に食事を頂くよ」

「分かりました」


 お父さんはソファーを見て質問を投げてくる。


「綾乃は?」

「もう部屋に戻りましたよ」

「そうか……。いや、特に用事はないのだがね。あはは。着替えてくるよ」

「分かりました。食事のご用意をしておきます」

「頼む」


 アヤノのお父さんがリビングを出て自室へ向かう。

 その間に宣言通りカレーの準備をする。


 準備が終えたところで、部屋着に着替えたお父さんがダイニングテーブルのいつもの席に座る。


「どうぞ、お召し上がり下さい」


 アヤノに出したみたいに少しボケようと思ったけど、スベッたら耐えられない空気になりそうなので普通に提供する。


 すると、彼もまたカレーをジッと見つめた。


「いただきます」


 カレーを見つめた後にスプーンを手にして1口頬張った。


 噛み締める様に食べると俺を見る。


「これは……。恵くんが作ったのかい?」

「いえ、僕が作りました」

「君が……。そうか……。君が……作ったのか……」


 そう言いながら天を仰ぐ。

 その瞳はキラリと光って見えた。


「おっと……。すまないね。年柄にもなく……」


 そう言いながら手で軽く涙を拭って再度こちらを見る。


「この料理はね、思い出の料理なんだよ」


 アヤノのお父さんは無意識に頷く。


「思い出……」

「そう……。妻のね……。私の妻が初めて作ってくれた料理なんだ」

「キリノさんの……」

「おや……。恵くんから聞いていたのかい?」

「あ、すみません。失礼ながら少しだけ……。母さんがキリノさんに教えた料理だって」

「はは。謝る事じゃないさ。――そう。涼太郎くんの聞いた通り……。霧乃が恵くんから教わった初めての料理でね。初めて作ってくれた料理。そして最後に作ってくれた料理でもあるんだ」


 お父さんはもう1口カレーを口に運ぶ。


「あれ以来カレーという料理を食べて無くてね。いや、別に避けてた訳じゃないんだ。妻がいなくなってから食べる機会が無くてね。数年振りだよ……」


 お父さんはまた泣きそうになるのをグッと我慢して笑いかけてくれる。


「涼太郎くんには失礼な言い方なのかもしれないが……。妻のカレーと似ていて……。とても美味しいよ」

「いえ、そんな……。勿体ないお言葉ありがとうございます」

「――綾乃はこのカレーを食べたのかな?」

「はい。完食していただきました」

「そうかそうか……。だから部屋に……」


 アヤノが俺のカレーを食べてどうなったのか、想像出来たらしく、お父さんは何も聞かずに黙々とカレーを食べたのであった。




 アヤノのお父さんも俺のカレーを完食してくれて、食べえると「ふぅ」と一息吐いた。


「ありがとう。本当に美味しかったよ」

「そう言っていただけると本望です」


 空いた皿を下げてキッチンに持って行っていく途中に声をかけられる。


「涼太郎くん。まだちょっとだけ時間良いかな?」

「はい。大丈夫ですよ」

「良かった。では、そこにかけて待っていてくれ」


 そう言ってお父さんの正面の席を指定される。


「分かりました」


 俺が返事をするとお父さんは席を立ちリビングを出て行った。


 その間にパパッとカレー皿を洗い、指定された席に座る。


 少し待っているとすぐに戻ってくる。その手には封筒を持っており、俺の目の前で立ち止まる。


「お疲れ様。今月分の給料です」


 両手で渡そうとされたので「あ……」と俺は声を漏らして立ち上がる。


「ありがとうございます」


 そう言って両手で受け取った。


「中身を確認してくれたまえ」

「はい」


 言われた通りに封筒を開けて確認すると1万円が10枚入っていた。


「えっと……」


 日給7000円に対して10万円というのはおかしな数字の為、首を捻って?マークを出しているとお父さんは言ってくる。


「日給7000円を14回。残りの2000円は細かいのが無くてね。まぁ中々の重労働をさせているからおまけさ」


 なんというホワイトバイト。


 しかし、こんな普通の高校生が10万円なんて大金を目の前に、しかもそれを持つなんてした事ないので手が震えてしまう。いつもは振り込みだしね。

 それにコンビニバイトの2倍の給料である。これ持って帰るのめっちゃ緊張するな。落としたらどうしよう……。めっちゃ慎重に帰ろう。


「どうかな? アヤノの世話をするバイトは」


 ふいにそんな質問が投げかけられる。


「えっと……。こんなに貰って本当に良いのかなー。って感じです」


 あ……。違う……。


 大金を貰ったばかりで少し動揺し、質問に対しての答えになっていなかった。


 しかし、お父さんは大きく笑ってくれた。


「朝早く……。私よりも早く家を出て、彼女を起こす所からスタート。そして様々な仕事のノルマをアヤノから出されて、それをこなしていく。そう考えると当然の賃金だと私は思うがね。君がこんなに貰っても、と思うのは……。コンビニのバイトだったかな? それと比べると君にとってウチのバイトが働きやすい環境だと思ったなのかもしれないね」

「働く環境……。ですか」

「コンビニのアルバイトは上司がいて、世代の違うバイト仲間がいて、それでいて丁寧な態度を取らないといけないお客がいてといった中での様々なノルマがある仕事だと思う。しかし、このバイトは同級生の女の子を相手にする仕事。どちらも仕事としての苦労はあると思うが仕事の環境が大きく異なる。環境は仕事に大きく関わってくる。私の世界でもそうだ。人間関係、設備関係……。そういった環境で人間の気持ちは大きく変わるのさ。君の発言はウチのバイトの方がストレス負荷が少ない、所謂環境の良い仕事と言ってくれているものさ」


 そう言ってお父さんはテーブルに肘をついて、手を組んで俺を見てくる。


「私は君に娘の世話を頼んで本当に良かったと思っている」


 そう言うと少し俯いて話してくれる。


「妻がいなくなってから綾乃は塞ぎ気味でね。友人も積極的に作らず1人でいる事が多くて……。まだ母親がいなくなった事を受け入れられず、前に進む事が出来ていなくて……。このままだと1番楽しい時期を台無しにしてしまうと思ってね。君にバイトを頼んだ。このバイトの件も正直億劫な所があったんだよ……。親が金で友達を作らせている様な行動をしている。そんな事をすると娘は私を憎むのではないか……。でも、娘が暗い青春を送るよりは随分マシだと考えて……。幼馴染で信頼出来る隆次郎と恵くんの息子である君に頼んだ」


 そして俺を見て軽く頬を緩ます。


「最近ね、明るくなったんだよ綾乃。会話も増えてね。良い傾向にあると思うんだ」

「そうなんですね……」


 明るくなったのかどうかは正直分からないが、1番近い存在であるお父さんが言うのならそうなのだろう。


「だから私としてはこれからも涼太郎くんに娘の世話を任せたい。約1ヶ月働いてもらった区切りとして君の意見を聞きたいんだが……。勿論、断ってくれても構わない。どうだろう?」


 その問いかけに瞬時に思い返す。

 この1ヶ月――。

 

 朝起きないアヤノ。それが本当に大変で、毎回起こすだけで骨が折れる。そしてその後のモーニングティー。

 時間が無くても構わずに飲むスタイル。マイペースにも程がある。

 そして、毎度毎度バイクで送れと言ってくるワガママぶり。

 その為に敢えてモーニングティーを飲んでいるのか、はたまた歩くのかだるいだけなのか……。


 最近で言えば、仕事を理由に足を速くしろなんてノルマを与えてくる。

 俺は陸上の監督でもコーチでも選手ですらないのに教えてこいとの無茶振り。ホントまじで無茶振りだった。


 そんな大変な事が大半だったが――。


「続けます……。いえ、続けさせてください」


 常に無表情で何を考えているのか分からないけど、笑うと破壊力抜群の笑顔とか、儚い泣き顔とかを思い返して、もっと彼女の表情の変化を見届けたいと思い俺は首を縦に振った。


「ありがとう。では引き続き頼むよ」

「はい」


 返事の後に「しかしだな!」とお父さんは強めに言ってくる。


「娘をやる訳じゃないからね。節度を守り、分別をわきまえて接してくれたまえ」

「は、はい……」


 いきなりの父親モードに萎縮してしまい、弱々しい返事になってしまった。

 それを見てお父さんは楽しそうに笑っている。


「――それから、これは個人的な願いなのだが……。また涼太郎くんのカレーを作ってはくれないか?」


 その台詞に萎縮した心が暖和される。


「分かりました。また言って頂ければいつでもお作りいたします」


 そう返すとお父さんは嬉しそうな表情を見してくれた。

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