TAMAYA!

ノミン

TAMAYA!

 チっと舌打ち一つ。

 それから、〈ホープ〉をやる。

 〈ホープ〉と言って、〈希望〉なんぞのことじゃない。希望の事で言えば、俺は今、絶望している。〈ホープ〉だの〈ピース〉だの、皮肉めいた銘柄が多い。煙草の話さ。

 ふうっと、夜景に白い息を吹きかける。

 この煙草も、今日が最後だ。

「先輩、本当に行っちゃうんですか?」

 隣の亮子が俺に言った。

 俺はそこで、また一つ舌打ちをした。

「もう決めたって言っただろ」

「でも……」

 ピカピカ、キラキラと、花火が上がる。

 俺の事を気にかけていた亮子は、しかしその大量の花火があがると、すぐにそっちに気を取られてしまう。

 ――絶景。

 この花火も、今日が最後だ。

 それなのに、俺の目に映るその絶景には、大した輝きもない。

「綺麗ですよ、先輩!」

 亮子が言った。

 その無邪気な声と笑顔が、今は腹立たしい。

 俺を元気づけてくれているのか、それとも、何も考えていないのか。あるいは、これはこれで、俺に強がって見せているのかもしれない。

「先輩、明日からは、ここにいないんですよね」

「そうだな」

 俺は応える。

「明日から一人かぁー」

「他の奴探せよ。お前だったら、すぐ見つけられるだろ」

 少し薄情かもしれないが、俺には、そういうことを言って、憎まれるくらいしかやりようがない。本音を言えば恋しいが、この居心地の良さは、俺をダメにする。ずるずる、だらだらと、俺はずっと甘えてきた。だから、決定的な堕落へと足を踏み外す前に、俺はここを離れるのだ。

「先輩、でも、また戻って来そう」

 亮子のその声には、魔性が潜んでいる。

 もう二度と戻ってこないよ――と、そう言うべきだった。それなのに俺は、言葉を詰まらせた。決断したはずなのに、まだ決心は出来ていないということか。

「いつでも戻ってきていいですよ。私、待ってますから」

「ふざけんな」

 俺が言うと、亮子はニヤッと笑った。

 腹に響くような音がして、誰かが歓声を上げた。

「でも別に、いいじゃないですか、まだ居たって」

「だめなんだよ」

 どうして――と、亮子が聞こうとした瞬間、今までで一番大きな花火が、俺の眼前に上がった。うおおっと、俺は思わず声を上げた。

 花火が、大きな花火が、次々と上がる。

 亮子も興奮して、目を輝かせる。

 花火が終わらない。

「ヤベ、赤だ!」

「またループですか!? 確定じゃないですか!」

「来い、来い、来い、よし!」

 ボーナスステージ、ループが止まらない。

 ナイアガラ、大玉花火、ヤバい。

 じゃらじゃらと、球が吐き出される。銀色の球、芳しい音にドーパミンが漏れそうだ。

「箱頼む、箱!」

「はいはい! 激熱じゃないですか!」



 大当たりのラッシュがひと段落した後、俺は満足を覚えて、煙草を――これも最後の煙草に、火をつけ、一服する。これが旨いのは、こういう時に限る。勝った時の煙の美味さよ。

「さて――」

 腕時計を確認する。

 最近貰ったばかりの腕時計。ミルクティー色の皮のバンド。COACHだ。こういう甘ったるいのは俺の趣味じゃないが、つけてみるとそう、悪くない。

 ――そろそろ、約束の時間だ。

「じゃ、俺行くわ」

 そう言うと、亮子が目を丸くした。

「え、もう行くんですか!? まぁでも、大勝利じゃないですか」

「それ、やるよ」

 積まれたドル箱を顎で指して、俺は言った。

「え、いいんですか!?」

「いいわけねぇんだけどよ、まぁ、餞別だよ」

 ありがとうございますと、亮子はそう言って、躊躇いなくドル箱を自分の椅子の下に持って行く。「じゃあまた会社で!」と、亮子はそう言いながら、もう目は、次の花火に夢中だ。

「お前もほどほどにしろよ」

 そんな事を言って、俺は煙草を消し、店を出る。

 自動ドアが背後で閉まると、パチンコ屋の騒音は、すっと消えた。

 空気が旨い。

 春らしい風と、青い空。

 ぶらぶらと歩いて、そのまま徒歩五分、駅前の、なんだかよくわからない流線型のモニュメントの前まで歩く。

 そこには、あいつがいる。

 薄手の白ニットセーターに青色スキニー、淡いピンク色のカーディガンをその上から着ている。そしてその左手の薬指には、銀の指輪が光っている。

 あいつは、俺を見つけると、手を振りながらやってくる。

 こっちまで頬が緩んでしまうような笑顔を見せて。

「おはよ」

「おう……」

「今日は朝ごはん、ちゃんと食べたの?」

「いや……喰ってないな」

「なんでよもう。――じゃ、何か食べよっか」

「うん」

 ふふっと、笑顔。

 俺には勿体ない笑顔。

 そして、さっきまでハンドルを回していた俺の右腕に、抱き着いてくる。

 やっぱり、こんな可愛い生き物を失望させられないな。

 ふうっと、俺はため息の代わりに、上を向いて息を吐いた。

 最後の花火に捧げる追悼。彼女の勘尺玉に火をつけるのは御免なんだ。

「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

 彼女の、マスカットのような香りが肺に入ってくる。

 ぐいっと引っ張られて、俺は歩き出す。〈ホープ〉よりこっちだなと、そんな事を思いながら。

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TAMAYA! ノミン @nomaz

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