1項目 時空をかける少女


 俺の名前は、小原おばら しゅう


 ひょんな事から一人暮らしをしている、誰から見ても至って普通の高校生だ。


 本来、思春期の学生ならば、そんな自立した生活を送る事に不安を感じるであろう。



 だが、むしろ充実しているというのが、事実としてある。



 何故ならば、好きな時に、好きな事を自由に出来るという利点に魅了されているから。



 それこそが、自分にとってかけがえのない特別な時間であり、最高の贅沢なのだ。



 今日は、春休みにも関わらず登校日などを設けた学校に対して、少々の不満を感じていた。



 だが、フラッと立ち寄ったスーパーで特売のナスとピーマンを戦利品としてゲット出来たからチャラとさせてもらおう。



 そう意気揚々と、エコバッグを揺らしながら、ワンルームのアパートの鍵を開いたのであった。



 コレが、俺の日常。



 コレこそが、俺の望む平凡な生活。



 ……などと言う戯言を抜かしてしまったが、今日だけは他の364日とは決して違うのだ。



 なにせ、この記念すべき日には、俺史上、最も大切な"特大イベント"が待っているから。



 理由は、趣味であるライトノベルの読書に由来する。



 これまで、数多の作品に触れてきた。



 そんな俺が太鼓判を押す最高峰に相応しい傑作の最新刊の発売日が、今日なのだ。



 もちろん、迷うことなく即購入。



 ……しかも、最終巻。



【才色兼備ガールは、レールから外れたい】



 このライトノベルは、10年以上前に連載を開始した、過去、秋葉原界隈で少しだけ話題になった事もある、知る人ぞ知るラブコメの名作。



 アニメ化もしていて、5周は観た。いや、7周は観たわ。



 五百タイトルを優に超える原作を舐め回してきた俺にとって、"さいけんガール"を超える娯楽に目を通した事など、一度もない。



 そう言わしめる程に、青春という名の幻影を、儚くも優しく表現している傑作なのだ。

 現状、全く青春を出来ていない俺にとっては、憧れ以外の何者でもない。



 中でも、作中で負けヒロインと揶揄される事の多い"紅葉もみじ あおい"の存在に惹かれていた。



 ここだけの話、彼女こそ、全ラノベの中で最も好きになった"推し"なのだ。



 性格は穏やかで、作内の主人公の"木鉢きばち あたる"の幼馴染。



 イラストに描かれる容姿は、俺好みの黒髪ロングに、南国の美しい水面を想像させるエメラルドブルーの瞳。


 身体的特徴も、出るところも出ていて、引っ込む所は引っ込んでいる。



 常日頃から彼を優しく甘やかす様子は、誤って、この世に紛れ込んできた天使と形容出来よう。



 だからこそ、もう一度言わせてもらう。



 彼女が、葵ちゃんこそが、俺にとっての"最推し"なのだ!



 ……と張り切ってみたものの、そんな自らの青春を投げ捨ててまで続けてきた推し活"も、今日で終わってしまうと思うとブルーな気持ちにさせられる。



 正直、寂しい限り。それに、これまで読んできた内容からして、彼女が主人公にフラれてしまうのも想像に難くない。



 なによりも、"例の正ヒロイン"と結ばれてしまうのが悔しい。



 ……何を隠そう、実のところ、俺はこの作品に出てくるヒロインの性格が苦手なのだ。



 2000年代後半のツンデレブームに則った結果なのは知っている。



 だが、どちらかと言えば、平和的なラブコメ展開を望んでいる俺にとって、あまり暴力的な表現は得意ではないのである。



 とは言え、作者の上手い描写には脱帽させられるからこそ、こうして根強くファンで居られ続けているのだが……。


 

 攻撃的な性格からの、激しいギャップに驚かされたのも事実だし。

 


 要は、正ヒロインには興味がないと言うだけの話。



 原作者である"夜桜よざくら 漆枝うるえさん"の繊細な作風も大好きだし。



 ……まあ、何にせよ、この記念すべき『完結』と言う名の大団円を清き心で迎える為に、俺はまず、身の回りの全てのミッションを終える事にした。



 炊事、通学前に干していた洗濯物畳み、入浴(何故かいつもよりも入念に)。



 3つのミッションを全て完遂させた俺。



 まさに、完璧。



 ……それから、遂に訪れる瞬間を待ち構えるかの様に、丁寧にテーブルの上に寝かせてある、まだピカピカな"さいけんガール"最終巻の前に正座をした。



 続けて、深呼吸。



 更に、ゆっくりと目を閉じる。



 心を落ち着かせる為に。



 どんな未来だろうと受け入れよう。



 だって、俺はもう、すっかり"さいけんガール"の信者なのだから……。



 葵たん、きっと、幸せになってくれよ?



 強く願う。自分でも不可解と感じる"謎の儀式"を終えると、俺は決意を固めた。



「よし、読むぞっ!!!! 」



 そう叫ぶと同時に、眼力たっぷりに目を見開き、本を手に取った。




 ……まさに、緊張の瞬間である。



 そして、脳内がすっかり好奇心で満たされた事を自覚すると、ついに1ページ目を開いたのであった。



 さあ、冒頭の展開は……。



 ――しかし、そんな時だった。



「えぇ……? こ、ここ、どこ……? 」



 何故か、背後からは聞こえるはずのない声が耳を刺激した。



 それも、どこかで聞いた様な気が……。



 ……えっ? これって一体。



 帰宅時、必ず施錠はしている筈。



 つまり、空き巣が入る可能性など、決して考えられない。



 ……いや、待てよ。もしかしたら、さいけんガールに対する熱い気持ちが流行り過ぎて、怠った可能性も……。



 そう考えると、これまでに感じた事がない程の恐怖感に苛まれた。



 ……もしかしたら、俺は、殺されるのか?



 いや、そんなの、絶対に許されない。



 せめて、この作品を読み終えるまでは……。



 そう思うと、今、この突然に訪れた張り詰めた状況を打破する為には、一握りの勇気が必要なのだと自覚した。



 必ず、この人生で一番の危機を乗り越えねばならない。



 すっかり何かの使命感に取り憑かれると、永遠にも感じる時間を経た後で、覚悟を決めた。



 ここで刺されたら、我が人生に一片の悔いしか残らないのだから。



 きっと"推し"との日々を完結させてやる。



 ……そう決意を固めると、俺は小さく身体を震わせながらも、その空き巣と思われる女を駆逐する為、勢い良く振り返って捕獲の構えを見せたのであった。



「お、おいっ!! 俺は、ぜっ、絶対に、死なないからなぁ〜!! 」



 ……多分、声は裏返っていたと思う。



 だが、止む無し。



 どんなにカッコ悪くても、惨めでも、絶対にここで死ぬ訳には行かないのだから。



 だからこそ、一度も喧嘩の経験のない俺は、綺麗なダイブを決め込んだのである。



 まるで、美女に向かって飛び込む大泥棒の様に……。




 __「ドサッ」




 ……そして、顔を見る余裕もないままに勢い良く相手を掴むと言う不意を突く作戦は、どうやら功を奏したみたいだ。




 結果を証明する様に、敵の両腕を掴んだまま、完全に動きを止める事に成功したのだから……。



「わ、我が家に、盗む金なんて、一文もないんだからなっ!! 」



 そうテンパりながら叫ぶも、女からの返事は無かった。



 これは、完全に勝利と言っても良いだろう。



 ……だが、それにしても、これからどうしたら良いものだろうか。



 それに、相手の顔が胸元に埋まっているので、容姿すら分からない。



 しかも、どう考えても空き巣とは思えない程、力が入っていない。返事もない。つまり、無抵抗なのだ。



 あと、なんか、随分とフォルムが小さい気が……。



 考えるうち、次第に頭の中にクエスチョンマークが浮かび上がった。



 ……この小さいの、本当に"空き巣"なのだろうか。



 そう疑問を抱いている内に、この"不可解な人間"に興味が湧いてしまった。



 だからこそ、ゆっくりと腕を解く。



 もしその行動が罠だったのならば、すぐに形成逆転されてしまうという状況にも関わらず。



 そして、顔を見た瞬間、俺の先程までの"疑問"は更に深まって行った。



 ……何故なら。



 理由は、身体の小さい女の容姿にあった。



 美しい金色の髪はツインテールに束ねられていて、きめ細やかな顔の肌艶。


 真紅の瞳は気を抜くと吸い込まれてしまいそうな程に魅力的だった。



 なによりも、親の顔より見た事がある"例の制服"を身に纏っている。



 そんな、あり得る筈のない事実を積み重ねて行く内に、信じられない現実が足音を立てて近づいて来るのが分かった。



 この娘って……。



 ――思わず呆然としていると、「ボコッ」という音が6畳の部屋に全体に鳴り響いた。



 同時に、股間からは耐え難い痛みが……。



 彼女の"蹴り"が、大切なところにクリティカルヒットしたのである。



「グエッ!!!! 」



 股間を押さえ悶絶する俺に対して、少女はこう叫んだのであった。



「何するのよ、この変態っ!!!!! 」



 呼吸が出来ない程の痛みに耐えながらも聞こえた彼女の声が、ダメ押しだった。



 もう、これは完全に"アレ"しか考えられない。



 ……いや、でも、そんな訳……。



 そう思っている内に痛恨の一撃すらも忘れて、慌てて彼女の身体から離れたのであった。



「あ、あの……」



 ……だ、だって、この女って……。



 現実ではまず有り得ない状況に動揺を隠せず、恐る恐るそう問う。



 だが、その様子など全く気にも留めない彼女は、小さくため息をついた後で立ち上がったのだ。



 ……それから、続け様にこんな雄叫びを上げたのであった。



「……もう、何なのよっ!! 起きたら知らない"汚くて狭い部屋"にいるし、いきなり変態に襲われるし!! 一体、なんだって言うの?! 」



 両手の拳を握りしめながら、心の声を思いっきり吐露する彼女。



 今も、現実を受け入れられない俺。頭の片隅で「毎日掃除してるわっ! 」とか叫んだりもしたが。



 ……まさに、カオスな状況。



 だが、そんな気持ちなど何も考えない彼女は、まるで親の仇でも取るかの様な表情で、俺を睨みつけた。



 続けて、一寸の恐怖すらも見せずに、ただ、颯爽と、眼前に近づいて来たのであった。



「……説明しなさい、これは一体、どう言う事なの?! 」



 ……ああ。やっぱりそうだ。



 この傲慢な度胸のある美少女は……。



 そう思うと、真剣な表情でこちらを見る彼女に対して、無意識にこんな問いかけをした。



「そ、それは、お、俺も同じ気持ちなんだ。なんでここに君がいて、どうして今、こんな状況にあるのか、全く理解出来ないんだよっ! 境遇は同じなんだっ! 信じてくれっ! だから、まずは、君の名前を教えてくれないか?! 」



 全身に脂汗をかきながら辿々しい口調でそう聞くと、少女は俺も状況を理解していない事を察した様子だった。



 すると、突然、彼女は冷静になって一度離れた。



 ……それから何度か小さく頷く。



「……なんかこいつ、ヒョロガリで弱そうだし、ウチの"財産"を狙った犯行に巻き込まれたって訳ではないようね」



 余りにも心外な声が聞こえる。



 タイムラグが生まれたことによって、こちらにも少し心の余裕ができた。



 ……それから、何かに納得したかの様に振り返ると、小さな胸を張りながら、俺に向けて堂々とこう名前を名乗ったのであった。



「私の名前は、“忍冬すいかずら 朱夏あやか”よ!! それで、アンタの名前は? 」



 自信満々に名乗った何度も観て来た"その名前"を聞くと、全てのピースが揃った。



 やはり、彼女は俺の大嫌いな、さいけんガールの"正ヒロイン"だったのである。



 ……これは、夢か? いや、そうに違いない。



 きっと、最終巻を見ようとした所で寝落ちしてしまったのであろう。



 そう、これは、夢なのだ。



 ならば、俺だって物語の主人公っぽく名乗る権利がある筈。



 考えている内に、妙な自信が湧いてきた。



 せめて夢ならば、得意げに格好良く名乗るのも悪くはないじゃないか。



 葵ちゃんじゃないのが玉に瑕だけど。このヒロインっていうのが、ね。



 なんにせよ、ここは俺史上最高なイケメンに振る舞ってやろうではないか。



 ずっと憧れてきた演出もあるし。



 披露するには、最適な瞬間だ!



 そう思うと、俺は最近流行りの異世界ラノベの主人公を倣って、不敵な笑みを浮かべ始めたのであった。



「ククク。それならば、心して聞くが良い。俺の名前は……」

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