雨の日

西しまこ

第1話

 俺は雨の日が嫌いだ。

 うまく動かない脚を撫でながら思う。雨の日は脚が痛む。病気をして以来、様々なことがうまくいかない。会社は早期退職をしてしまった。贅沢しないで暮らせばなんとか暮らしていけるが、こんな雨の日は憂鬱な気分になる。

「お父さん、今日は出かけるんじゃなかったの?」

「ああ、でも雨だからなあ」

 脚を撫でながら応える。妻も年をとった。ふと、四十年も前のことを思い出す。あの頃はお互い若く、希望に満ちていた。もっと違った老後を想像していた。漠然と。

 リビングの窓から雨を眺める。

 一戸建てだが狭い家だ。かつてはそれでも活気があって、もっと明るい雰囲気でいっぱいだった。狭いながらも、みんなが笑い合っていたのだ。

「由香里はどうしてる?」

 幼い笑顔を思い出しながら聞く。

「さあ、どうでしょうねえ」

 妻は絶対に娘と連絡をとっているはずなのに、はっきりとは言わない。いつも。

「卓也は?」

「卓也は仕事ですよ。今日は木曜日ですよ」

「そうか。卓也は結婚せんのかなあ」

「さあ、どうでしょうねえ」

 由香里はもうどうしようもないから、せめて卓也は、と思ったのだが。うまくいかないもんだ。今頃は孫の一人や二人、いるはずだったのに。そうして、また明るくにぎやかに暮らすはずだったのに。

 由香里は利発な娘だった。しっかり者の長女で長子だった。どうしてあんなことになったのだろう。自分は何を間違えたのだろう。「お父さんは、わたしがどうやって生きていきたいか、知ろうとしたことがあるの⁉」雨音に混じって、由香里の叫び声が聞こえた気がしたが、当然聞こえないふりをした。どうやって生きていきたいか。そんなことを、俺は考えたことはない。ただ、懸命に毎日まいにちを生きてきただけだ。そうして、一生懸命働き、一生懸命家族を養ってきたつもりだった。

 この雨は由香里が住む土地にも降っているのだろうか。

 俺は娘がどうやって生きていきたいかも知らないし、娘が住んでいる場所も知らない。娘の携帯電話の番号すら知らない。

「お父さん」

 幼い娘の声が聞こえた気がした。

 雨の日が好きな娘だった。長靴をはくのが好きで。日曜日、雨が降ると二人でよくお散歩をしたものだった。娘は覚えているだろうか。

 窓の外に見える赤紫色のツツジにも雨が降る。娘はあのツツジが好きだった。よくいくつか花をとって、持って帰ったものだった。

 雨が静かに降る。俺は雨の日が嫌いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨の日 西しまこ @nishi-shima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説