第30話 回復(リハビリ)29 あったかソックス

 人混みの中を、薬子やくこはほてほてと歩いていた。特に目的があったわけではない。このところあまりにも引きこもりすぎたから、闇雲に歩いているのだ。


 休日の午後だから、ある程度の人出は覚悟していた。


 しかしあまりにも混んでいる。商店街の道の真ん中にあるベンチには人がたむろし、気をつけていないと誰かと肩がぶつかりそうだ。


 薬子は呼び込みの声がかしましい表通りを抜け出し、一本横の路地に入った。とたんに声が消える。薬子はほっとして、馴染みの店が並ぶ通りを歩いた。


 しばらくして、見覚えのある籠が前方に見えてきた。店の前に籠が並べてあり、ここから欲しいものを勝手にとって、レジへ持っていく仕組みだ。誰も見ていないとき、商品をかっさらって逃げる奴がいたらどうするのだろう。店の人はそれを気にしないのだろうか。


「なんだかんだで平和なんだなあ、この国」


 薬子は呆れるの半分、感心するの半分でカートを見やった。そこには冬物のタイツや毛布、カイロなど雑多なグッズが置いてある。前に見た時は夏ものだったから、季節によって入れ替えているのだろう。


 特に力を入れて陳列してあるのが、冬用の靴下だった。爪先が温かい、冷えない、お風呂上がりの状態を、などと色々なキャッチフレーズがついている。


「こっちのは『履くこたつ』だって。面白い……」


 なんの気なしに手にとって、薬子は価格を見てみた。一足で千九百八十円。


 薬子は驚きで目が丸くなった。ほんの少し高い程度かと思ったら、普段薬子が履いているものとは文字通り桁が違う。ひょっとしたら二足の値段かと思ったが、違っていた。


「一足でこの値段って、結構攻めるねえ」


 薬子は苦笑した。よっぽど性能に自信があるのだろうか。今時、靴下なんて三足千円で買えるのに。


「まあ、今はプレミアム○○とか多いし。買う人もいるんだろうね」


 少し苦い思いで、薬子はその場を立ち去った。そのまま、近くのショッピングモールに入る。


「あの……お願いしていた写真を受け取りに来たんですが」

「お名前をお伺いします」


 有名カメラ店の支店で、メインはカメラの販売だが、店舗の隅に撮影ブースもあって、証明写真も撮ってくれる。経歴は変えられないが、せめて写真でも少しはましに、と薬子はここで撮影をしていたのだ。


「少々お待ちください」


 年配の店員はそう言って探しにかかろうとしたが、その時横手から若い店員が話しかけてきた。どうやら、専門的なことが分からなくて聞きに来たらしい。


 取り残された薬子は所在なくスマホを見ていた。暇なのでさっきのバカ高い靴下のことを、SNSで検索してみる。


 すると、思ったより詳しいレビューがいくつも出てきた。


『近くに入荷しててラッキー! 見逃すところでした』

『靴下なんてどれも同じかと思ってたけど、違うんですね』

『何枚も重ね履きしてたけど、それよりいいです!』

『ふくらはぎまであったかいので、他の靴下にしようと思ってもついつい履いちゃいます!』


 それを見ていると、薬子もだんだん欲しくなってきた。詳しい情報をさらに集め、一旦スマホを閉じる。


 本当に使うか? 後悔しないか? 投稿にのせられて、その気になっているだけじゃないか?


 元々自分は軽く物を買ってしまう方だと分かっているので、最近の薬子は自分にこう問いかけ、冷静になってから判断するようにしていた。


 結果。買おう、と決めた。冬の暖房代が少しでも節約できるなら、そちらの方が後々得だ。


 薬子がいつもの思案を終えたところで、ようやく店員が戻ってきた。


「申し訳ございませんでした。こちらがお客様のお写真です。出来上がりを確認いただけますか?」

「あ、はい」


 薬子は写真をちょっとだけ見て、すぐにうなずいた。もともと撮影時にパソコンで確認しているので、大きな瑕疵がなければそれで構わない。


 なおも詫びの言葉を述べる店員に手を振って、薬子は店を出た。


 小走りで引き返し、だんだん店が近付いてくると気持ちが落ち着かなくなる。まだ残っているかと不安になってくる。自分で買うのをやめたくせに、現金なものだ。


 荒くなった息を整え、さっきと同じカートの前で足を止める。薬子は品名を確認してうなずいた。よかった、まだあった。


 迷った末、黒とグレーの定番色を選ぶ。一足だけ買って様子を見てもいいが、次が買えないと困るので、思い切って二足まとめ買いすることにした。


 レジに並び、ようやく薬子の順番が来た。五千円札が吹き飛ぶ衝撃に、身を震わせる。さようなら、私の一葉。


「どうされました?」


 会計の時、よほど恨めしげにしていたのだろうか。店員が怪訝な目で薬子を見てくる。少し手を止めていた薬子はあわてて首を横に振った。


「い、いえ大丈夫です。ちょっと、細かいお金を探してて」


 ふんぎりをつけた薬子は、どうにか支払いを済ませた。


 その夜、薬子は風呂に入って体を綺麗にした状態で、靴下に足をつっこんでみた。まず、とても柔らかい素材なことに驚く。そして思っていた以上に長い。ふくらはぎ全体を圧迫感なく、優しく包み込む感触がたまらなかった。これなら足にゴムの痕がつくこともなさそうだ。


 そのままパソコンでブログを書き始める。不思議にいつまでも足が温かく、いい気分のまま書き終えることができた。爪先だけのカイロと違って、途中で冷たくならないのがいい。


「やっぱり、思い切ってよかった」


 薬子は満足し、靴下を洗い物の籠に入れてから寝床に向かった。

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