全ての真相

「清掃員の仕事が入ってないかって?」

「はい」

「いくらか話は来てるけど、また急になんでさ。君が頼みもしないのに事務所をピカピカにするほど掃除好きなのは知ってるけど」

「ここを掃除するのは、やらないとあなたがネズミしか生活できない環境にするからです」


 あれから二日。本件を受けてから初めて事務所に顔を出したサミュ。経過報告がてら彼女は、ナッツを齧りながら新聞を読むタシュへ詰め寄った。


「いくら外で張っても野郎が尻尾を出さないんです。となると、残るはオフィスラブしかありません。乗り込む必要があります」

「あぁ、それで清掃員の募集にかこつけてシロッコ社の中に入りたいわけか。ナッツ食べる?」

「いえ、結構」


 タシュはナッツを一つ摘み上げる。


「地道だねぇ。街中で人とぶつかることなんていくらでもあるからさ。さっとやっこさんに触れてきたらいいのに」


 タシュがまたナッツに手を伸ばすと、サミュは皿を自分の方へずらした。タシュの手が空振り、テーブルをコツっと打つ。


「何するんだよぅ」


 タシュがさらにナッツを取ろうとすると、サミュは皿を頭より高い位置に持っていってしまう。


「触れている時間が短いと少しの、表層的なことしか読み取れません。それこそ浮気相手のことで頭がいっぱいなタイミングでもないかぎり」

「あ、そうか。昔それで何分も手を握ったせいで相手を勘違いさせて、浮気調査が囮捜査になったんだっけか!」


 ケラケラ笑うタシュに、サミュはナッツを投げ付けた。


「痛」

「日曜出勤までして監視しましたが。庭より外には出ないし、婦人が友人とお茶に、息子さんがフットボールに出掛けても、家に誰も呼びませんでした。もうオフィスしか場所は残っていないのです」

「分かった分かった。分かったからナッツ返してよ」


 サミュに返してくれる気配はない。タシュはごちゃごちゃ物が置かれた床から電話を拾い上げた。


『こちら、電話交換台です』

「ドーノートコーポレーションに繋いでください」

『少々お待ちくださいませ』


 タシュはサミュに向かって人差し指を立てながらウインクする。


「他所の事務所に話が入ってないか聞いてみるよ」


『ケンジントン人材派遣事務所』が人の秘密を調べる案件を得意とし工事現場への派遣を断るように。人材のバラエティ豊かな大手ならともかく、そうでもない事務所は得意な案件苦手な案件やりたくない案件が存在する。

 そういうときはお互いさま、その案件が得意な事務所に話を回すのである。そして時には他所から譲ってもらったり。

 そうやって持ち回り助け合い、おのおのが専門分野で質の高い仕事を提供する。こうして小さな個人事務所は大手との生存競争を生き残っているのである。


「そうですかそうですか、じゃあそういうことで。ありがとう」


 四つめの事務所に連絡を取ったところでタシュは受話器を置いた。


「サミュ。シロッコ社の清掃員派遣の案件、譲ってもらえることになったよ」

「そうですか」

「さぁ! 僕に感謝するがいい! キスでもディナーでも一日デートでも受け付けるよ!」


 タシュは大きく両手を広げる。が、サミュは一瞥いちべつもせず手袋にナッツの塩が付いたことを気にしている。


「ちぇっ。それとさ、サミュ」

「なんでしょう」

「触れた時間が短いと読めないんじゃさ。触れる時間が知れてるマッチ売りなんて、全部無駄だったんじゃないの?」

「……」

「……」


 サミュは皿の端に口を付けると、ザラッとナッツを全て口の中に入れてしまった。


「あーっ! 僕のナッツ!」


 タシュの叫びに、サミュはボリボリという咀嚼そしゃく音で返事をした。






「それでバッチリ現場を見たわけだ」

「ええ。こんなに早く済むなら最初から乗り込めばよかった」


 二日後。サミュはいつもの臙脂スーツに装いを戻し『ケンジントン人材派遣事務所』に帰ってきていた。清掃員の仕事はもう用済みなので違う人材派遣に回してサヨウナラである。


「婦人とイチャイチャしていた唇で他の女の唇を吸う写真も抑えました」

「任務ご苦労さまだね。ナッツ食べる?」


 タシュは棚から缶に入ったナッツを取り出す。


「いえ、結構」

「ナッツの油は体に良いのに」


 タシュは一人でナッツを食べはじめた。


「いやしかし、地道で普通な探偵業だったね。君の特技が生きる場面もなし、大変だったねぇ」


 タシュは椅子にもたれて新聞を広げる。


「いえ、案外そうでもないかもしれませんよ?」

「お? そうなの?」


 タシュが新聞を閉じてサミュを見ると、彼女は薄ら笑いを浮かべている。


「まぁ、まずは婦人に報告しに行ってきます」






「ついに浮気の証拠を抑えたんですって!?」


 旦那不在のトーリオ宅。待ちに待った瞬間に、婦人は意気揚々と紅茶を運んできた。


「えぇ、相手は職場の同僚のアンジェー・ナース。こちらが証拠の写真になります」


 サミュがテーブルに写真を並べる。


「あぁ、あぁ、やっぱり浮気してたんだわ」


 婦人は、といった様子で写真を眺めている。


「時間をお掛けして申しわけありません。何しろオフィスの外では鉄壁でしたから」

「いえいえ、いいのよ。きっちりと仕事を果たしていただいたのだから」


 婦人は手紙のテンションの高さを彷彿とさせるような上機嫌である。


「それで、請求書の方は改めて郵送させていただく形で……熱っ!」


 サミュが急に声を上げる。


「どうしたんですのメッセンジャーさん」


 見ると、どうやら紅茶を手に溢したようだ。サミュは慌てて手袋を外す。


「申しわけありませんがご婦人、ハンカチかタオルを貸していただけますか?」

「え、えぇ、どうぞどうぞ」


 婦人が慌ててタオルを持ってくると、


「ありがとうございます」

「あっ」


 サミュは感謝の意を込め、婦人の手をギュッと握った。手袋を外した手で。






「それで、どうだったんだい」

「思ったとおりでしたよ」


 翌日。場所はまた『ケンジントン人材派遣事務所』。

 サミュは自分のデスクで優雅に紅茶を飲んでいる。タシュは読んでいる新聞を閉じた。



「じゃあつまり」

「はい。やはりご婦人も浮気をなさっていました」



 サミュは紅茶にミルクを足す。


「おかしいと思ったんです。オフィスに入らなければ尻尾も掴めないような不倫を、婦人がどうやって嗅ぎ付けたのか。仮に家で怪しい何かを見つけていたとしても、手紙では『絶対浮気している』と騒ぐばかり。『何がどう怪しいのか』や疑うは何一つ書いていなかった。普通少しでも手掛かりになりそうなことを知っていれば、聞かれなくても書きつらねるものなのに」

で浮気してるって言ってたわけだ」


 タシュがティーポットに手を伸ばすとサミュはしたたかに叩いた。私が淹れた紅茶だ、お前の分はない、と目が語っている。


「ケチンボ」

「当てずっぽうというより願望でしょう。自分は不倫をしている。なんなら旦那と別れて間男と一緒になりたい。しかしこのまま別れては離婚調停で不利。なんとしても旦那有責の離婚にしなければならない。それこそ不倫でもしてもらっていないと困る」

「だからウチに依頼したわけだ。男なんて大なり小なり、心のどこかじゃ他の女をいいなって思ってたりするもんだ。サミュならそれを読み取れるからね。気持ちさえ確認できれば、あとはどうにか旦那の浮気をこじ付けられるかもしれない。今回は予想以上の獲物が釣れたけど」

「写真を見て、ウキウキで考えを巡らせていたようでしてね。一芝居打って少し触れただけで、全部読み取れましたよ」

「底意地悪い罠だなぁ。それで、婦人の浮気を読み取ってどうしたの」


 サミュは紅茶を飲み干すと、心底意地悪そうに笑う。


「旦那に全て話しましたよ? あと浮気の証拠をつかむ調査に、清掃員の仕事を譲ってくださった事務所を紹介しておきました」

「そりゃあいいや! 恩は返しておかないとね!」


 タシュは手を打って大笑い。一頻ひとしきり笑うとサミュの方を見て、


「あ、そうだ」


 とデスクの引き出しを開けた。


「なんでしょう」

「さっそく次の案件なんだけど、お手紙が来ててさ」

「伺いましょう」

PプリシラOオベナWウェルズっていう花屋の女の子から」


 タシュがサミュに渡した手紙には、幼い文字でこう書いてあった。




『マッチ売りのおねえさんを探してください』




「どう? この案件、受ける?」


 タシュが意地悪く笑うと、サミュは困ったように笑った。

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メッセンジャーは手袋をしている 辺理可付加 @chitose1129

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