もう一つの特異点
1
見たことのない緑の世界が広がっていた。
地上を除いた境界線は雲も太陽もない翡翠色で、鳥が羽ばたければどこまでも飛べるような澄んだ空だった。地面とおもえる下はさらに青々しい。大小の広葉樹が、地上から伸びて葉を広げて伸びており、空に浮かぶダガーヘッドが正面でぶつかるほどの山のような大木が点在していた。
操縦席にいるコルトは、軽くなった上昇のレバーをそっとあげた。ハンドルはさらに軽く曲がった感触がほとんどなかった。
また重力の少ないところに来たみたいだ。
ミィミィはモニターに顔を押し付けながら、水面から生える無数の木々を眺めた。
「ほえー。あれが森っていうの?? はじめてみるー」
「確かに珍しいな」
コルトも頷きながら視界を拡大させる。
人口コロニーでは、レジャーのための森林公園がつくられているが、すべて人の手が加わっている。
緑の多い惑星も、資源採掘に難があり宇宙国家は関与せず野放しであった。
「ブラックホールの中心にこうした場所があるのは興味深いな」
マウが長い顎ひげを触りながら呟く。
「マウさんは天然の森を見たことがないんですか?」
「私は船の中で機械ばかりいじっていたからね」
苦笑した口元から八重歯が覗いた。野性的な遺伝子なのに、とコルトはおもう。
「画像接続……周辺索敵中」ダガーヘッドと繋いでいるルナは、両目のセンサーを光らせて「サーマルセンサー変化ナシ。生命体不明。紫外線ナシ」
「でかーい! 何あれ! 隕石が刺さってるじゃん!」
ミィミィが正面に見える巨木を指した。
なんてありえない光景だろう。
巨大隕石が巨木の枝に突き刺さり、そのままの状態になっている。
「特異点内が低重力だったにしても、この船と同じ大きさの隕石なら大木を貫通しそうだがな……クレーターすらできないのは驚きだ」
「俺からしたら木が燃えないほうが気になります。摩擦による熱量もあるはずです」
「調査の必要がありそうだ。それに、リバーシスに乗り換えるためにもね。コルトくん、そこの隕石近くに船を止められるかい?」
「了解です」
正直、ここまでくるのに精神は擦り切れている。いますぐ休みたいものだ。
「あー疲れた。アイス、アイス!」
「私もサンフラワーをいただこうかな」
跳ねるミィミィと目を細めるマウ。
「特異点ノ調査、ワクワクシマス。皆サンハ危険デスノデ外デオ待チクダサイ」
ルナはキュルルと脚部のローラーを使って一回転する。
コルトは一人座席を倒してぐったりした。
みんな元気すぎだろ……。
夢を見ていた。
まだ、家業を継ぐ前。父が仕事でコロニーから出航しようとしていた時だ。
夢の中のコルトはいまの年齢で、きょうまでの記憶を持っていた。
父が背にするのは白銀の十字船で、新品同様に輝いていた。
いや、何かが違う――夢の中のコルトは違和感に気づき、すぐに思い出す。
父の乗る船は三世代前から受け継いでいる旧式の船だ。何度もメンテナンスとチューンナップを施しており、外装はいくつもの傷がついている。
これは夢なのだとコルトは思った。
「大きくなったな」
赤茶色の頭髪に数本の白髪がある父は微笑んだ。
「父さん、俺、仕事を継ぐか迷っていて……」
「気にするな。ここまで来ただけでも立派にやり遂げたよ。家を任せてすまなかった」
「それはいいんだ。でも――」
コルトは何かを伝えたかった。だが、その先は喉が潰れたように声がでない。
胸の奥から、スロウストのようなモヤモヤした感情が湧いてきた。それは首から頭にのぼり、目の中で熱くなった。
コルトは咄嗟にその感情が何かを悟った。
「息子よ。どちらかを選ばなくてならない。どちらを選んでも、私に悔いはないし、それが正しいと信じている」
「父さん、俺――」
ジギルはコルトに近づくとそっと抱きしめた。
だが、その両腕も胴体も透けたように何もない。
「我々は意志を紡いでいく、これからも。そしてこの先も。あとは頼んだよ」
父の姿が消えていく。
目が熱くなって呼吸が苦しくなる。
声をかけなければ。最期の別れを伝えなければ――
「コルト!!!」
ミィミィの声を聞くや、胸に柔らかいものが飛び込んできた。
操縦席で眠っていたコルトだが、優しいぬくもりにすぐに頭が冴えた。濡れた頬には尖った耳があたり、熱い頬を少しだけ冷ます。彼女の頬もまた濡れていたが、不快感はなかった。
ミィミィが泣いていた。
何かと思ったが、一瞬でそれを理解した。
父の夢は偶然ではないのだ。
「ミィミィ、案内して」
「……うん」
離れたミィミィは両指で涙をぬぐった後、コルトの腕を取ってブリッジを出た。
外に出ると生暖かく湿った空気が体を包んだ。
風はない。甲板から軽く跳躍すると身体がふわりと浮いて、ゆったり戻ってくる。
激しく飛んで何かにぶつからなければ怪我はなさそうだ。
甲板ではルナがあちこちを動いて、少ない角度で顔を動かしていた。
「コルト様、少シヨロシイデショウカ?」
涙ぐむミィミィが立ち止まってこちらを見る。すぐに案内したいのだろうが、急ぎではないのかもしれない。
「手短に頼む」
『コノ植物二ハ鉱石ノ成分ガ含マレテオリマス。接触ニハ十分キヲツケテ下サイ』
「本当! すごいな」
一瞬、父のことを忘れている自分に気づき、すぐに思考を振り払う。特異点の調査は必要だが、それはあとでいい。
「わかった。引き続き調査をお願い」
「カシコマリマシタ」
ルナはパチクリとセンサーを開閉させて作業に戻る。
ミィミィに腕を引っ張られながら、改めて地上の森林群を眺める。本当に不思議な場所だ。隕石が衝突しても突き刺さったままなのは、木々の硬度によるものか。
不時着していれば無事ではすまなかった……。
だからこそミィミィの案内先が気になる――いや、先ほど見た夢から父の船で間違いない。
『選ばなければならない』とは何なのか。
それに、以前見つけた自分あてのメッセージも。あれを書いたのは父さんなのか。
わずかな期待と、半分以上の絶望を抱いていた。父が生きていると縋りたい。
数百メートル進むと、巨大な広葉樹がまた現れ、ミィミィは飛んで上に向かう。コルトも続き、枝葉の上についたところでミィミィがある方向を指した。
最初はただの巨大な木だった。枝も葉も健在で、点在する山のような巨木と変わらない。ただ衝突したらひとたまりもない、そんな危険意識が悪い予感を加速させた。
それは、鮮明に映った。
中央に何かが突き刺さっている。それを覆うように伸びた枝の下に、丸い鉄のような人工の球体がある。その人工物は生きているようにゆっくり赤い光を点滅させていた。
怪しんだその瞬間、球体の下に見慣れた船の翼が見えた。
頭が熱くなり、皮膚がざわついた。心臓の鼓動が早くなって目が熱くなる。
まさかと思ったその瞬間、見慣れた船が頭から葉の間に突っ込んで止まっている。
「父さん!」
叫ばずにはいられなかった。跳躍して一気に近づく。
先頭のブリッジに細い枝が食い込み、右ウイングが傾いて半分破損している。
脱出していなければ確実に絶命している。
どこかに逃げて生き延びているのか。
わずかな可能性を縋って半壊した船に近づく。下部にある出入口は完全にふさがれ、壁を壊すか引っ張り出さなければ入れなかった。
「ミィミィ、道具と、みんなを呼んでくる。ここで待っていてくれ」
「うん……。でも、コルト……中を見なくても……」
彼女がいわんとしていることは理解できる。
覚悟の瞬間に立ち会わなければならなかった。
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