3

 目が覚めた瞬間、けたたましいアラートが船内に響いた。

 操縦席で落ちていたコルトは飛び起きて、前方一八〇度に広がった外の景色を一瞥する。

 ――淀みのない漆黒が視界を覆っていた。

 船内はアラートともにAIの警告が木霊する。

『危険危険! 重力増加により操舵不能! 繰り返す――』

 即座にエンジンをフル稼働させ推力を上げる。操舵の向きを九〇度に向け、リバーシスが引っ張られながら横に傾く。

 変わらない漆黒の中、コルトは真横に立っていたミィミィを垣間見た。

「どうなってるんだ!」

 目が覚めたばかりのミィミィは両手で座席を掴んで、揺れの衝撃に抗った。

「最初はブラックホール付近に移動して、そこから一日かけて近づく予定でしょ」

「簡単に言わないで! 常時エネルギー放出する太陽や惑星に比べて、ブラックホールは内側に隠れているから見つかりづらいの! 流体テレポーテーションだって万能じゃない」

 く! 唇を噛んで堪える。

 文句をいったところで彼女なしにここまで来れなかった。

 頭を切り替え、船を反転させて重力離脱を試みる。船は減速こそするものの、引力に逆らえず引っ張られる。

 いきなり計画変更か!

 死を予感しつつ、瞬時に後のプランを練り直す。


 すぐさまモニターを外部カメラから電子モードに切り替える。リバーシスの先端から四点のレーザーが放たれる。そのレーザーは熱光線ではなく電磁波の塊だ。電磁波は対象物に当たることにより、宇宙空間と暗黒宙域の境界を映し、ブラックホールの外径を炎のような光をつくる。これで中心のブラックホールシャドウを掴み距離を測ろうとした。

「くそ、手遅れか!」

 画面には炎のような揺らぎは映らない。もはやブラックホールに飲み込まれている最中だ。

「このままだと事象の地平面に触れる! ミィミィ、船をブラックホールの引力の外側へ移動できる?」

「逃げるってこと? 無理だよ、あたりに目印の惑星コアは見つからなかった。この距離でもブラックホールの中心からは遠いほうだよ」

「じゃあ突入するしかない。飲まれたら船全体が引き延ばされる可能性があるけど、その手前でテレポーテーションするんだ!」

「タイミングがわかんない!」

「俺が指示する!」

 重力の濁流に飲み込まれながら、コルトは前方の漆黒の穴を凝視する。握った操縦桿から船内の装甲を察し、第六の目で想像力を働かせる。

 光学用のライトも当てるが、光はブラックホールの穴に吸い込まれて何も見えない。

 来るんじゃなかった!!

 咄嗟に後悔が押し寄せるが、負の感情に飲まれれば死に直結する。

 くだらない戯言は考えるな。ひたすら感覚を研ぎ澄ませろ!

 人間は感情的な生き物だ。だが、生死を決める場面で流されるのは生を諦めるに等しい。死ぬ間際こそ知恵と決意で乗り切るのだ。

 信じるのは己の理性。脳を最大限に稼働して生き残る術を模索しろ。

 ――操縦桿の重みから外の粒子を感じるんだ。

パイロットは死んでいる最中でも最善を尽くせ。

酒と女癖が悪かった祖父の言葉が蘇る。家庭を顧みなかった人だが、マクスタント家の教えだけは守っていた。

装甲越しからブラックホールの粒子を感じろ。糸口は必ずある。


 スロウスト粒子は感じるもののまだ浅く、奥からは深く重いものを本能で感じ取れた。

 事象の地平面に着くにはまだ早そうだ。せめて、現在と境界面との距離がわかれば、突入までのカウントダウンが可能なはず。

 視界は奪われ、情報を手に入れる電波や光さえ飲み込まれる。

「こうなったら目視でいく」

「へ、どうするの?」戸惑うミィミィを無視して、電子パッドを叩いてレーザーの設定を切り替える。

 十字型のリバーシスの各頂点から、小型の砲門が外装を開けて現れる。それらは青色の光を充電した後、一斉に放って船の外周を取り囲んだ。

『バリアモード展開』


 ディスプレイには、十字架の外観を包むように、青白い球体の電磁シールドが船を覆う。シールドの濃度は100%に上昇すると、画面横に表示していた目盛りが緩やかに下がっていく。

「バリアと船の間はおよそ一〇メートル。事象の地平面には、必ず先にバリアが接触する。バリアと本体の誤差の間で流体テレポーテーションを行うんだ。問題は流体から個体に戻るまでの再生時間だけど――」

 コルトは前方に輝くバリアを睨みながらミィミィに振る。

「転移から戻ってくる間は、およそ何秒?」

「時間なんてほんとにかからないよ。せいぜい長くてコンマ一秒。距離なんて関係ない。一メートルでも一パーセクでも一緒」

「そんなに早いんだ」

 普段使用しているコルトからすれば、その短さに驚きを隠せない。

「驚いてる場合じゃないよ! 例の境界線にバリアが接触しても、それを瞬時に判断しなきゃならないし、テレポーテーションが早すぎても、船が境界の途中で現れるかもしれない。ナノメートルの穴に繊維を通すより難しいよ」

 ミィミィが不安げに眉根を寄せる。

「距離さえ分かればどうにでもなる。でも、バリアに触れる予兆もなければ、事象の地平面を認識できる暇もない」

 前途多難だ。わかってはいたけど無理が多すぎる。


「コルト、巨大ブラックホールには上下から膨大なガスを放出しているって聞いたよ。その放出先に近づけば地平面が見つかるかも」

「転移した場所がその近くだったらね」

 ブラックホールがガスを噴射する様を見れるのは、何百光年先からだ。間近にあれば山より高く見えるだろう。

 電子キーを叩いて、リバーシスのAIに指示を送る。

『電磁波放出。確認がとれました。いま表示します』

 無機質な男性の声が流れ、ディスプレイに映像が映し出される。

 ガスの柱はたしかに見えた。だが、巨大なビルに相当するサイズだ。もし近くなら視界も埋まるだろう。

 そう都合よくないよな。もっと現実的に考えなければ。

「シールドの前に目印があればいけるか」

 動かない操縦桿を握りながら思案していると、ミィミィが近づいた。

「近くに隕石はないの?」

「とっくに吸い込まれているよ。みんな吸い込んだあとだから、何もない空間が続いている。それより、流体テレポーテーションで隕石をこっちに取り寄せることはできない?」

「そんな都合よくないよ。転移は最初に自分たちが流体化するのが前提だから。それより光とか飛ばせない?」

「ライトを照らしてもブラックホールに吸い込まれて見えなくなる」

「そうじゃなくて! 目印にぽつんと置くの」

「そんな機能は――」

 不意に船に常備していた道具を思い出した。ユユリタ三世が提供してくれた救難信号だ。使用後、三六時間は点滅し続けるし、太陽光があればそれで充電できる。

 事象の地平面までの障害物はない、リバーシスの前方に救難信号を置いて、信号と同じ速度で流れていけば、常時明かりが見えるはずだ。

だが、一つの点滅ではいつ突入したかわからない。光が消えた時点で事象の地平面に入っていれば、こちらのタイミングも読めない。

いや、待て。記憶では三つ貰っている。点滅のタイミングをずらしながら置いていけば、一つ欠けてもほかでわかる。

「そんな大事なもの使っていいの? 救難信号だよ」

「こんな死地に誰も来ないよ。使えるものをすべて使ったほうがいい」

タイミングが重要だ。三つの信号灯を順に点滅させたあと、船のハッチを開け、外に逃がす。信号灯は大気が逃げる勢いで船より先に進む。これを順に放出すればいいが、遠すぎれば点滅する光は見えず、近すぎれば意味がない。

さらにいえば、信号灯を流した直後に船を加速しなければ光が見えなくなる。

「ミィミィ手伝って。時間がない」

「どうしよう、ボク、船の設備に触れたことない」

 時間が惜しいコルトは、操縦桿の横についたスロットルレバーを前に出す。

 リバーシスが唸り声をあげて重力の中で加速した。今度はレバーを後ろにして減速する。

「信号灯は俺が外に出す。ミィミィは三つ目の光が見えたらレバーを前にだして後を追うんだ」

「でも、コルトがいない間に突入したらタイミングわからないよ」

「そのときはアー宙域まで転移するんだ。生きてれば仕切り直せる。わかった!?」

 コルトはミィミィの返事を待たずに船内の倉庫へ走った。

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