第8話 戦闘報告

 空母へと帰還したエルナを待っていたのは、艦内へ漂う異様な雰囲気と報告書の提出期限であった。

 カフェテリアで報告書を相手にする間も、無数の目線が背中へ突き刺さる。気にしないようには心掛けているものの、嫌な感じが消えない。

 明確な敵が現れて、腕の立つはずだった味方がやられているのだから、不安や憶測が飛び交ってこうなるのは分かる。

 それを蹴散らして仇討ちをしたというだけならば歓迎されたのだろう。

 でも、そこに着任したばかりのルーキー、しかも若い女性パイロットが初の実戦で墜ちたどころか、エースに混じって戦果を挙げて帰ってきたというおまけがついてしまったから、好機の目を向けられないわけがなかった。


「我らが特務大尉殿も1機撃墜ねぇ。近いうちに本物の大尉になるんじゃないか?」


 アレッサンドロはそう呟きながら紙カップをエルナの前へ置く。

 艦内にあるカフェで買ってきたコーヒーは差し入れだ。彼自身も湯気を浮かべるコーヒーを手に、その香りを楽しんでいる。

 エルナは軍に入る前、まだ学生だった頃にはカフェでアルバイトをしていた。

 カップに書き込まれた暗号のような文字の読み方もしっかり覚えていて、彼のコーヒーがカプチーノで、差し入れてくれたのは普通のブラックコーヒーのホットという事を聞かずとも読み取れてしまった。

 エルナが好きなコーヒーは甘めのカフェラテだが、人の好意に文句は言えない。

 ブラックでも飲めないことはないし、デスクワークで集中したいからブラックの方がちょうどいい。

 まだ熱を帯びているカップを手に、一口啜ってから清書へと戻る。コーヒーに文句をつけるより先に、本来の仕事を部下へ投げる上官に文句を言う方が先だろう。


「ま、頑張れよ。見ての通り、奴が書くと冒険小説になるからな」


 そう、清書の前に穴が開くほどユウジの書いた報告書を見返したのだが、空戦の部分が冒険小説もかくやという程のボリュームを誇っていた。

 上層部がこんなもの読むかと言いたくなるし、報告書作成を面倒臭がる割には、随分と筆が進んでいるようではないか。


「でも、細かいところも書いているんですよね」


 無駄ばかりに見えるが、ところどころ入る注釈は一見の価値がある。

 赤い星の識別章が見えたこと、それがコンメト連邦空軍章であることの他、過去の戦闘経験から遭遇した部隊は2線級部隊と推察されるなど、実際に戦ったからこそわかる事を漏らさずに書いている。

 だが、報告書の基本は「見たまま聞いたまま」だ。こんな冒険小説と注釈の盛り合わせを提出したところで叱られるだけだろう。

 お前は何を習ってきたと、あのヴェルシーニン少佐とやらが怒鳴り散らかす姿が想像できる。イリンスキー中将なら笑って再提出を命じるだろうか。

 それとも、少年のようにワクワクしながら読むのだろうか。想像がつかない。


「奴の注釈は役立つから、備考にでも載せといてやれ」


「戦闘中によく気付けましたよね」


「それがエースさ」


 最後の言葉の主はイリヤだった。格納庫から戻ってきた彼がゲッソリしながら置いたカップにはカフェラテを示すマークがある。

 そして額にはヤキを入れられたのか、何かで殴られたような跡が見えた。小さいがたん瘤になっているようにも見える。


「またシバかれたのか?」


「ああ、機体ぶっ壊すなって」


 イリヤはそう言ってコーヒーを啜り、溜息を吐く。被弾して整備主任に怒られたとしても、それは幸せなことだろう。

 全機撃墜と断定されたヴァローナ隊はそれも出来ないのだから。

 それにしても、燃料タンクを撃ち抜かれたのに出火もせず、空母まで戻って来ることが出来たのはジンクスのおかげなのかもしれない。

 せめて、あの美女にシャツの1つ着せてくれるならば文句もないのに。

 そう思いながらペンを走らせていたのだが、どうしても分からない部分があった。ユウジの記した注釈の1つ、敵部隊は傭兵の可能性が高いという部分の根拠が分からない。

 過去の戦闘経験からだとしても、ただ単純に2線級の部隊を威力偵察にぶつけてきたのかもしれないし、その根拠ない事には備考に書き加えるわけにもいかない。


「隊長はどこですか?」


「飛行甲板で海を見てたぞ」


 イリヤがここへ来る途中に見かけていたらしい。一体何をしているのかはさておき、彼に話を聞くのが一番早いだろう。


「ちょっと行ってきます」


 片手にコーヒー、片手に書類を持って席を立つと、イリヤとアレッサンドロは一言だけ、頑張れよと言って送り出してくれる。

 張り詰めた雰囲気の艦内で、彼らだけが変わっていなかった。

 まだ着任初日だというのに、どうしてこんなにも忙しいのか。

 まるで、状況が自分を待っていたかのように揺れ動く。波に揺れる艦よりも激しく、乱気流に突入したような気分にさえなった。

 キャットウォークは釣りをする隊員もおらず、代わりに忙しなく動き回る水兵たちとすれ違うことになった。

 狭い艦内だが、下士官や兵は士官であるエルナへ道を譲って敬礼する。それへ対してエルナは両手が塞がっているから敬礼を返せず、少し頭を下げてすれ違う。

 軍隊は階級が全てだ。だからこそ、父親くらいの年齢の軍曹さえもがエルナへ道を譲って敬礼する。

 少しむず痒い思いをしながら飛行甲板へ出ると、そこにお目当ての人物はいた。

 ユウジは傍らにカップを置き、静かに佇んで遠くの青空を見つめている。風を待ちわびる猛禽が向く先は、ヴァローナ隊が消息を絶った方角であるのは偶々だろう。


「サガミ大尉」


 どうせ返事は返ってこないのだろうから、勝手に隣へ座る。彼はエルナを見る事もせずにコーヒーを啜り、もう一度青空へ想いを馳せる。


「ヴァローナ隊、残念でしたね」


「パイロットなんてそんなもんだ」


 その瞳に悲しみはない。むしろ、羨ましそうにも見えた。

 そんな彼が再びカップを持ち上げたので、ついオーダーの印を探してしまう。こんな隊長ならば、どうせブラックでも飲んでいるのだろう。相場が決まっているのだ。


「で、何の用だ」


「報告書の事です。どうして、敵が二線級部隊って思ったんですか?」


 そんなことか。呟く彼がカップを置いて、漸く印が見えた。

 でもそれはブラックの印ではなくて、女学生がよく注文するものの印に見えた。思わず二度見をしてみるが、その印が変わることはない。


「キャラメルマキアート……それもキャラメルソース増量……?」


「悪いか。空戦は頭使うから糖分が欲しくなるんだよ」


 そうは言うが、脳味噌が使うのはブドウ糖であって、断じて砂糖から摂取出来る糖分ではない。それはどちらかというとストレス解消の方だろう。


「甘党なんですね」


「そういうお前はブラックか?」


「サンドロさんの差し入れですから。好きなのはカフェラテです」


「お前も甘党じゃねえか」


「いいじゃないですか」


 そんなことより本題を、と思って顔を見ると、微かに笑っているように見えた。

 表情筋が退化したかと思っていたのに、どうやら健在だったらしい。トレーニング不足は否めないけれども。


「奴らの連携不足。コンメト空軍は連携を叩き込まれてるから、あんな三々五々の戦い方、正規部隊らしくない。戦力が足りなかったんだろう」


「そんな奴に、私は墜とされかけましたけど」


 そう呟くエルナを、ユウジの鋭い目線が捉えた。

 まるで機関砲弾が飛んで来たかのように思えて、一瞬背中を寒気が伝う。きっと、彼は敵機の背後をそんな目で見ていたのだろう。


「ムキになり過ぎだ。撃つ瞬間は周りを見ろ」


 突き刺すような一言にムッとしてしまうが、事実なので受け入れるしかない。勝ったとはいえ、墜とされそうになったのは事実なのだから。


「ケツを取られたら墜とされたのと同じだ。前より後ろに気を配れ」


 ユウジはここまで目も合わせず、水平線の向こうだけを見つめて話していた。それが唐突にエルナへ顔を向ける。


「カウンターは見事だったな。ルーキーに出来るもんじゃない」


「ありがとうございます」


「頼りすぎるなよ。アレは起死回生の切り札と思え。次が続かん」


 ユウジは空になったカップを持って立ち上がる。話はここで終わりなのだろう。

 もう少し話をしていたいとも思うが、それはやめた方がよさそうだ。

 彼は多くを語らないが、翼が語ってくれていた。また、その背中を追えば何かわかることもあるのだろう。


「ようこそ、ブラッドムーン隊へ」


 立ち止まってのたった一言。何と言ったのか、理解するのに時間が掛かってしまう。

 そして、歩み寄ってきた彼から手渡されたワッペンへ目を落としているうちに、イヌワシはどこかへ飛び去ってしまったらしい。この手に羽を一枚だけ残して。

 エルナは何が起きたのか分からなくて、時間が止まったかのように動けなくなってしまった。

 ワッペンをもう一度見返してみる。それは何の変哲もない部隊章。赤い月と鷲座が描かれていて、その外枠には部隊名が刻まれていた。

 第136飛行小隊ブラッドムーン、ユウジが率いる飛行小隊のもので間違いない。

 私のことを隊の一員として認めたというのだろうか?

 そう思うと嬉しくて、こみ上げてくる喜びに酔いしれようとしたのだが、持っていた紙束が現実へと引き戻す。

 これから、報告書を仕上げねばならない。いつ終わるかもわからない面倒な仕事で、新人いびりの一種ではないかとさえ思ってしまった。

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