第6話 交戦

 そんな彼の横顔を眺めていると、漸くアレッサンドロとイリヤが追い付いてきた。

 彼らもユウジに倣ってか黒い塗装で、アレッサンドロは尾翼に女性の横顔を描いていた。

 ソニアと書いてあるのは、その女性の名前だろうか。


「やっと追いついたぜ」


「エンジン冷やしておけよ。チャイカ、現在位置は?」


「はい、現在空母から10キロ地点……あれ、いつコードネームを?」


 まだコードネームを教えていないはずだ。人事記録にでも書いてあったのだろうか。

 隊長だから知っていてもおかしくはないだろうが、やはり不思議でならない。


「お前が飛ぶときの無線で聞いた。そのカラーリング、やっぱりカモメか」


 チャイカはベルクトと同じくリオールの言葉であり、カモメを意味する。機体のカラーリングは雲に紛れるためであって、カモメにしたかったわけではない。

 翼端を黒くしたり、機首を黄色く染めたのはただのおしゃれだ。


「優雅に飛んでるねぇ」


「俺だってツバメなのに、どうしてケツなんだよ」


「そら、お前さんがケツにキスするからだ」


 文句を言うイリヤだが、こればかりは自業自得としか言えない。

 しかし軍人は総じてゲンを担ぐ生き物である。この習慣を続けて生き残ってきたのだから、それをやめるというのは精神的に良くない。

 きっと、イリヤは退役するか戦死するまでこの習慣をやめることはないのだろう。しかし、全裸の美女がどうしても気になってしまう。

 配属されたばかりのエルナは見慣れていないし、そういう軍隊特有の下ネタみたいなものにはもっと慣れていない。

 せめて上着くらい着せればいいのにと思うが、彼が聞き入れるかは微妙だ。


「全機、周辺警戒。不明機とか、ヴァローナの残骸とか見落とすなよ」


 ユウジの指示でエルナは我に返る。そうだ、今やらなければならないのは不明機と味方機の捜索だ。学級委員長みたいなことは帰ってからやればいい。

 小言を言う相手が生き残っているかはさておき、自分の役目を果たすだけだ。


「12時の方角、距離5キロに機影4。同高度」


 アレッサンドロが早速見つけた。まだ小さく見える程度だが、旋回する機影は蓮龍ではない。

 機首にエンジンが搭載され、主翼も機体前部へ寄っている。その機影は訓練隊の座学でよく見せられた機影、コンメトのソロヴィヨフ設計局製戦闘機「アッキピテル」だろう。

 敵機は真っ直ぐ飛んでくる。このまま正面反航で撃ち合えば、双方ともに損害は免れない。

 何かしらの手を打つべきだが、ユウジはどう指揮するのか。エルナにとってはそれが気がかりでなかった。

 当のユウジは静かに笑っていた。空戦の時間がやってきた。ずっと待ち望んでいた青空のダンスパーティへ招待されたのだから、行かなければならない。

 目を閉じ、呼吸を整える。エンジンの音さえもが遠くに感じられる。湧き起ってくる歓喜を抑えて、手の力を抜く。

 そっと息を吐いて瞼を開ければ、再び青空が戻ってきた。


「ブラッドムーン隊、交戦を許可。ブレイク!」


 編隊解除の号令と共に、ユウジは機首を上げて高度を稼ぐ。アレッサンドロとイリヤは仲良く右旋回して、エルナは一瞬戸惑い、とりあえずユウジに続いて上昇していく。

 敵機はヘッドオンを狙っていたのだろう。正面からの撃ち合いは双方に損害をもたらすものの、格上相手でも撃墜のチャンスがある。

 ヴァローナ隊はそれで食われたはずだ。不明機の確認が任務だったから、迂闊に射撃出来ないという制約も大きなハンデになったことだろう。

 そして大混乱の中、全機撃墜されたと容易に推測できる。

 そうはいかない。敵機撃墜の任務を課せられている以上そんな煩わしい制約はないし、相手の思惑に乗ってやるほどお人よしでもない。ヘッドオンなんて味気ないことするか。

 敵機はやはり4機いて、うち2機がこちらへやってくる。

 後の2機はアレッサンドロとイリヤを狙ったか。あいつらならば対処できる。

 問題はない。こっちに来た奴らはまとめて相手してやろう。

 機体を反転させると、空の青と海の青が入れ替わった。操作は上昇なのに、機体は海面目掛けて降下していく。

 ユウジを追いかけて上昇していた敵機も降下へ転じた。逃げるつもりだろう。そうしてくれて助かる。

 お陰で、簡単にその背後を奪えたのだから。さあ、楽しいドッグファイトにしようじゃないか。

 左へ逃げていく敵機を追尾する。エルナは右へ逃げた敵を追いかけるようだ。

 それでいい。そうしてもらわなければ邪魔で仕方ない。折角空は広いのに、せせこましく飛ぶ必要なんてないのだから。


「背後を取った」


 ユウジは一言コールして敵機を追いかける。その敵はもがくような回避機動で追尾してくるユウジを振り切ろうしているが、そんな小手先の機動では振り切れない。

 照準器に何度も敵の姿を捉えるけれども、まだトリガーは引かない。

 照準は敵機ど真ん中に合っているが、急旋回中の目標に当てるならば、敵機の少し前を狙わなければならない。ここで撃っても弾が無駄になるだけだ。

 敵が急旋回で逃げる。それに追従して操縦桿を思い切り引くと、強烈な負荷が圧し掛かってくる。

 血液が下半身へと寄っていき、血液が回らなくなった頭はぼんやりとして、視界は針孔から世界を見つめるかの如くブラックアウトしていく。呼吸さえも苦しくて、操縦桿を戻したくなってしまう。

 まだだ、もう少し。弱気になる右手へ左手を重ね、両手で操縦桿を引き続ける。先に限界を迎えたらしく、敵機が旋回をやめた。

 今だ。思うと同時に右手がトリガーを引く。機首の20mm機関砲4門が一斉に火を噴き、流星群が翼に描かれた赤い星を貫く。

 曳光弾と曳光弾の間に混じった徹甲弾や榴弾の雨を受けた翼が断末魔を上げて、ガラスのように砕けた。

 翼を失った機体は青空の底へと墜ちていき、青一色の世界へ赤い流星が墜ちていく。


「スプラッシュ・ワン!」


 ユウジは撃墜のコールをして、周辺を見渡す。敵を仕留める瞬間は一番無防備になる。

 夢中になって後方警戒をおろそかにした結果、撃墜された敵味方を何度も見てきた。今日はついていることに、漁夫を狙う奴はいないようだ。

 味方の状況に目を向けてみる。イリヤとアレッサンドロは緊密に連携して1機を撃墜し、もう1機を追い詰めていた。

 片方を振り切れば待ち構えていた片割れが襲い掛かって撃墜するか、回避を強いる厄介な戦い方だ。味方がやるにはいいが、自分がやられたくはない。

 旋回は速度を失う行為であり、速度のない飛行機は揚力を維持出来なくなって墜ちることになる。

 そこまでいかずとも機動性を失い、青空で溺れてもがくことになるから、あとは弱った獲物へ食らいついてトドメを刺すだけだ。

 そんな中、エルナはまだ敵機を捉えきれずにいた。

 当たるはずと思ってトリガーを引いても、敵機はそれを躱してしまう。ムキになって追いかけているが、それでも捉えられない。

 相手に合わせた行き当たりばったりの追跡で、いつしか彼女自身もかなり速度を失っていた。

 その時、敵機がエルナの視界から消えた。横転と機首上げを組み合わせた機動、バレルロールだ。大回りの機動でエルナを押し出して、背後に回り込む。

 攻守が途端に入れ替わり、エルナは追われる立場になってしまう。敵機を速度で振り切るのは難しく、旋回で躱すことさえ困難な状況に陥っていた。

 視野狭窄のツケは命で払うことになる。ルーキーはまだ知らないことだろうし、知ったところで後の祭りだ。次はないことが殆どで、そうして新兵は死んでいく。


「ヒップ、チャイカがマズいぞ!」


「遠すぎる!」


 アレッサンドロとイリヤの位置からでは援護しようにも間に合わない。

 エルナの手は震えていた。ワイヤーで繋がれた操縦翼面を動かすには弱いけれども、確かに彼女の手は痙攣したかのように震える。

 機関砲弾が機体を撃ち砕き、炎に包まれながら墜ちていくのだろうか。

 それとも、無数の砲弾にこの身を切り裂かれ、悲鳴を上げるどころか痛みを知るより早く砕かれるだろうか。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!

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