3ー2「それで、紹介されたのが今の仕事というわけですか」

「それで、紹介されたのが今の仕事というわけですか」

「はい」

「仕事の内容を教えて下さい」

「男子寮の管理と、男子寮生の監督の仕事です」

「具体的には?」

「平日は朝に寮生の点呼をし、寮の設備管理の仕事をし、夕方は寮生宛の宅配受け取りをし、夜間は点呼をして、寮生の出入りをチェックして監督する仕事をしていました」

「それでは休みがないんじゃないですか?」

「日祝は、朝晩の点呼と夜の監視以外はまるまる休みのようなものです。平日の勤務時間は、途中に朝食休憩を入れて6時半時から9時までと、夕食休憩を入れて16時から23時まで。

 寮生の監督としてすることは、朝、晩の点呼と、消灯後の見回り。あとは、門限の22時以降、各出入り口に設置された監視カメラが動体検知すると警報を鳴らすので、警報が鳴ったらカメラの映像をチェックして、生徒が抜けだすところだったら録画スイッチを押してから捕まえに行くことです」

 実際のところ、と砂川青年は続けた。

「実際のところ、夜間に警報が鳴ることは、ほとんど無いんです。塩手高校の寮生は裕福な医者の家庭の子供が多くて、このあたりで夜に遊びに行けるようなところはつまらないんだそうです」

「田舎ですからねえ」

 安藤は苦笑した。

「で……仕事に、辛いことはありませんでしたか?」

「学校関係の方々は皆さんいい人ばかりでしたし、仕事も比較的楽でしたから、特に……。ああ、冬場は、雪そのものに慣れていないので大変でした」

「この冬はよく降りましたからね。学校の敷地は広いから、雪かきが大変だったでしょう」

「屋根は融雪装置がありますし、大型除雪機もあります。大体のところは慣れたスタッフがするんです。でも、除雪機を寄せきれなくて除雪後にも雪が残ってる車庫の前を、雪かきして車を出せるようにするのは人力なので、少し大変でした。

 東京生まれ東京育ちでしたから、雪の上を歩くのに慣れていなくて、とにかくよく転びました。雪道の車の運転も、怖かったです」

 T市は豪雪地帯に指定されているほどに雪が多い地域だ。東京から来て最初の冬ならば、さぞや戸惑ったことだろう。

 しかし、「冬場の仕事が少し辛かったから」というのは、上司を殺す理由には弱いだろう。

「仕事に不満は、ありませんでしたか?」

「寮監の仕事に不満はありませんでした」

 仕事に不満はないのに、雇用者を殺すということは、やはり雇用者と仕事を離れた個人的な繋がりがあったということか。

 そう思いながらも、安藤はそのことには触れなかった。

 今、下手にそのあたりに触れると構えられてしまう可能性がある。そこに切り込むのは、周辺人物への聞き込みをして情報を集めてからだ。

「では、次は家族について聞かせてください。ご両親の名前を教えてください」

 父、砂川五郎。母、砂川芙美。兄弟は無し。未婚。

「親しい友人は?」

「特に親しい友人というのはいません」

「現在、交際している女性はいますか?」

「いません」

「次は資産について聞かせてください。貯金はありますか?」

 安藤の言葉に、砂川青年は小さく笑った。

「どうかしましたか?」

「あ。いえ。裁判記録教材を見たことがあったので知ってはいたんですが、本当に、こんなことまで聞くんですね」

 金に困っての犯行の場合、経済状態によって情状酌量されることもあるので、こういう情報も必要なのだ。

「まあ、そういうことになっていますのでご協力ください。預貯金はありますか?」

「貯蓄らしい貯蓄はありません。こちらに来てから、金を使わない分少しは口座残高が増えていたんですが、父の死後の後始末のために、東京まで往復したりなんだりと相当使ってしまいました。あ、でも、先月の給料が振り込まれたばかりのはずです。それがほぼ残っているはずなので20万弱くらいは通帳にあると思います。後は、車に置いてある財布に、3万円くらいの現金が。それ以外に資産らしい資産はありません」

「金を使わない……ということは、その髪の毛は染めてるわけじゃないんですか?」

 その状況で髪を染めるために金を使っているとは思えないが、一応確認をしておく。

「地毛です。生まれつき色素が薄い方なので」

 このあたりでそんな髪色に生まれついたら、それこそ「やんちゃ」なガキどもが放っておかなかっただろうが、都会のいい学校ではそんなことにはならなかったということか。

 そういうトラブルとは縁のなさそうな、純粋培養的育ちの良さだけが感じられる。

「なるほど。……借金は?」

「ありません。父の死後、丸ごと相続放棄したので、私の借金はゼロです」

「趣味はなんですか?」

「本当に必要なんですか? ……趣味は読書です。父が事件を起こしてからは、そういう気力もなかったですが」

「休日や勤務時間外の暇なときは何をして過ごしますか?」

「平日に行き届かない自室の掃除や洗濯をしています。理事長や先生に頼まれて、車を出して寮生の遠出につき合ったりもします。特にすることがない時は、テレビを観ています」

「仕事関係の人達と飲みに行ったりはしないんですか?」

「入院中の父を養うために働いているということは公言していたので、皆さん誘うのは遠慮してくださってました」

「ギャンブルは?」

「しません」

「理由を聞いてもいいですか?」

「公営ギャンブルは、主催がお金を儲けるためのシステムですから、するだけ損です。それ以外は、法律違反です」

 殺人も法律違反だぞ?

 この青年らしい返事だと思いながらも、安藤は心の中でそうツッコミを入れた。

「預貯金がほとんどないということは、収入の大部分は、お父さんのために?」

「はい。人工呼吸器使用料などは高額医療費補助があるので、支払うのは4万円くらいになるんですが、高額医療費補助の対象にならない入院関係の諸経費が何やかやとかかるんです。

 父が金を借りた先には性質の悪い闇金もありまして、病院に迷惑かけないためには、やつらに利子を振り込み続ける必要もありました」

「親の借金の返済義務は、子供にはありませんよね?」

「その理屈が通じる相手なら、私も大学生を続けられて、ここにはいなかったかもしれませんね」

 砂川青年は他人事のように言う。

「法律という武器で戦い抜くことができれば、絶対に勝てるとわかってました。けれど、入院生活を余儀なくされる父を抱え、自分の住む場所すらない私には、働いて自分の生活を成り立たせながらそれをするだけの余裕がなかったんです。月に数万円を渡すことで病院やバイト先に押しかけられなくなるのなら、そのほうがよほど楽でした」

 それまでは、と砂川青年は続けた。

「それまでは、こういうときは法律が弱者を守るものだと思っていました。けれど実際は、その手段を選ぶのにも、体力と気力と経済力が必要なんです。新たに誰かに金を借りること無く、誰かの手を煩わせることなく、法的手段で対抗することが私にはできませんでした。そして、これ以上は金を借りたくなかった私には、利子を払い続ける以外の選択肢がなかったんです」

 長年警察に勤めていると、こういう話が珍しくないことが分かる。

 余裕のある人間にはできるベストの選択が、余裕のない人間にはできないことが珍しくないのだ。この場合、人に頼ることを選べる精神的余裕も含む。

「お父さんがそうなってからの生活は、苦しかったですか?」

「こちらに来るまでは結構。でも、こちらに来てからは収入が安定しましたし、苦労は感じなくなりました」

「健康状態はどうですか? 持病、既往症はありますか?」

 安藤は、「身上調書」に必要な最後の質問をした。

「健康状態は……いいです。持病、既往症は、特にありません」

 穏やかに砂川青年は答えた。

 こうして得た必要な供述を元に富田が作った供述調書を見せながら読み聞かせ、間違いないかを確認し、署名と指印をさせて、被疑者・砂川史朗の初日の取り調べは終わったのだった。

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