第28話 夢の世界に引きこもった妃を迎えに行く

 太陽が二つ近づきすぎて一つに見える朝。


 ワイファの長男であるパステルをあやしている最中に、フリーが突然倒れた。顔を青くして心配するワイファに自室に行ってもらい、ベッドに寝かせて回復魔法を施す。


「フリー、しっかりして!」


 呼吸は穏やかで、平熱で、傷も無いのに、意識だけが戻らない。羽パンダのライライを連れてきて背中に乗せてみても効果は無い。


「メイド長さん、これは特殊な病気でしょうか」


「逃避かもしれませんね」


 聞きなれない言葉に首を傾げていると、メイド長さんが詳しく説明してくれた。


「現実が辛くて夢の中に逃げているのです。フリー王妃の状況は複雑ですから。姉が第一王子を産んだ以上、自分にはもう価値が無いと思ってもおかしくありません」


「そんな!」


「恋愛結婚でもない訳ですし」


「それでもぼくは、フリーが大好きですよ」


 メイド長さんは、丸い石が先に付いた糸を取り出した。右に左に揺らしていくと、ユンユンユンと不思議な音がする。


「これは何ですか?」


「私の魔法でフリー王妃の夢の世界にトリリオン様をいざないます。どうぞき出しの心で対話してきてください」


 だんだん瞼が重くなってきた。

 夢を覗くなんていけない事だけど、フリーはいつも元気で優しい子──それ以外の姿を見てみたい。ちょっとだけお邪魔します。




 ゆらゆらした水面から光が差し込んでいる。

 薄桃色の短い髪の女の子が、ちょこんと覗いてくる。小さいワイファだ。可愛いな。


「フリー、大魔女様からお薬を貰ってきたわよ」


「ゲホゲホ。お姉ちゃん、今日はみんなと遠足じゃなかったの」


「フリーの方が大切だもの」


 昔は病弱だったんだ。二人には親がいないそうだから、ワイファが世話を焼いていたんだ。二歳しか違わないんだから、きっと大変だっただろう。



「お姉ちゃん。出した物は元の場所に戻してよ。どうしてこんな簡単なことが出来ないの!」


「ごめんなさい」


「それに何よあの歌、恥ずかしいったらないわ。二度と人前で歌わないで!」


「分かったわ……」


 思春期か、反抗期か。親代わりであるワイファにキツく当たっている。悲しそうな姿をしっかり覚えているんだから、きっと後悔しているんだ。



「お姉ちゃん、また男に貢いだの。いったい何回目よ!」


「貸しているだけよ」


「返して貰ったこと無いじゃない!」


「フリー、お願い。そんなに怖い顔をしないで」


「自信がなくて何も断れない。ダサいお姉ちゃんなんか大嫌いよ!」


 ヒドい言葉で傷つけて、ズキンズキンと胸が痛む音がする。心配で、苛立って、言ってはいけない事を言ってしまったんだ。



「……お姉ちゃん?」


「フリー、痛いの。血が止まらない。助けて……」


「なによコレ、ウロコを削り取ったのね、なんて馬鹿な事を!」


「仕方ないじゃない!」


 ワイファが初めて叫んだ。フリーは息が出来ないぐらいに驚いて、たたずんでいる。


わたしみーには親も友達もいない。人魚のクセに歌も下手で、何にも取り柄がないの。貢いでいる時だけチヤホヤしてもらえるのよ!」


「お……ねえ……ちゃ……」


「一番大好きなフリーにまで嫌われて。もう、誰にも愛してもらえない。だったら死んだ方がマシじゃない!」


 そこまで叫んで気を失った。

 フリーはワイファを貝殻のベッドに寝かせて、必死に手当てをした。助けてくれる人を海中泳いで探して、大魔女様にも頼み込んだ。

 だけど誰にもどうにも出来なかった。


「全部私のせいだ。私の病気のせいで友達が出来なくて、私がヒドい事を言ったから自信を無くしたんだ。ごめんなさい、お姉ちゃん!」


 苦しむワイファにすがりついて泣いて、やがて強い眼差しで陸に上がっていく。ウロコを奪った男を見つけて殺すために。


「一人で寂しく死なせはしない。絶対に仇を討つ。そして私もお姉ちゃんと一緒に行く」


 槍の先端を撫でて、滲んだ血が海の中を浮かんでいく。フリーの決意の表れのように。



「誰にも知られたくないんです。ぼく達だけの秘密にしてくれますか?」


 ぼくが現れた。

 実物とは違いキラキラしている。


「フリーは思い込みが激しくて暴走しがちですが、いつでも真っ直ぐで、お姉さん思いの優しい子です。それにすごく可愛いです!」


 公開プロポーズの時だ。叫び出したいぐらいに浮かれている。良かった、この時こんな気持ちだったんだ。



「姫がまだ子供だから手を出さない約束だったのに、お姉ちゃんが抜け駆けした。パステルは可愛いけどに落ちない」


 フリーの心が黒いモヤモヤで覆われていく。


「オオカミ男にそう言ったら、フリーも夜這いをすればいいって言われた。出来るわけないじゃない。経験が無いんだから。今から経験なんか積めない。姫にしか触られたくない!」


 フリーはボロボロ泣きながら膝を抱えて座り込む。これが今の状態なんだ。見たくない現実からの逃避なんだ。


「私は、姫に求められたい……」


 近づいて、後ろから抱きしめた。フリーは尻尾を踏まれた猫みたいに飛び上がり、悲鳴を上げた。


「な、な、な、な、なんでここにぃぃぃ!」


「迎えに来たよ、フリー」


「はいい?」


「ねえ起きて。ぼくはフリーが大好きだから、たくさんイチャイチャしたいよ。体中にキスしたいよ」


「か、か、体中に!」


「ぼくの子供、産んでくれる?」




「喜んでえええ!」


 フリーは飛び起きて、ついでにぼくも覚醒した。

 その様子を見て小さくガッツポーズをしたメイド長さんは──


「人払いをいたしますので、どうぞごゆっくり」


 と言って部屋から出ていった。

 アゴが外れそうなほどに大口を開けて、リンゴみたいに真っ赤になったフリーは、プルプル小刻みに震えている。


「フリー、可愛い」


 服を脱がそうとしたら、大慌てで逃げられた。

 両手を前に出して、勢いよくブンブンと首を振っている。


「イヤなの?」


「そうじゃないです。ただ、あの、心の準備というものがですね!」


「じゃあキスだけでも……ダメ?」


「ダメじゃないです!」


「目を閉じて」


 震える肩をそっと掴んで、まず固く閉ざされた瞼にキスをする。ビクッと震える反応が愛おしい。鼻の頭に、両頬に、好きな気持ちを込めてキスをする。


 あごを指で触れると、薄く瞼が開いた。


「私の初めて、全部もらってください。出来たら優しく!」


「ありがとう……大切にするね」


 唇を重ねながら、起きたばかりのベッドにまた寝かしていく。ワイファはずっと上に乗っていたから、見下ろすのは新鮮だ、なんて絶対に言ってはいけない。

 フリーの肌はスベスベで、どこを触っても気持ちいい。

 控えめに背中に回される手が嬉しかった。




「あんな事までするなんて! 姫の変態! ドスケべ! エッチ!」


 フリーがずっと布団の中から出てきてくれない。

 なにかマニアックだったのかな。ワイファに変なこと教わっていたのかな。


「責任とってもらいますからね!」


「ぼく達もう夫婦だよ?」


 布団の中から伸びてきた手に腕を掴まれて、中に引きずり込まれた。暗い視界の中で、フリーの声と匂いだけを感じる。


「もう私は姫のものなんですからね、絶対絶対、別れませんからね!」


 フリーの叫びが可愛くて、胸が幸せな温かさでいっぱいになる。布団の中で裸の体を絡め合う。


「うん。フリーは死ぬまでずうっと、ぼくの可愛い奥さんだよ」




 二十日後。

 フリーは双子の人魚の赤ちゃんを出産した。


 先輩双子のメガとギガは抱き合ってはしゃぎ、ワイファはパステルを抱っこして泣いて喜んでいる。

 母子ともに健康そうで本当に良かった。


 第一王女プラムと、第二王女ラヴェンダー。

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