痛みを知ったその先で①

「どうして……、何も言わないんですか……」


 ほとんど反射的だ。

 彼女をみすみす責任を、僕はあろうことか高島先生に迫ってしまう。

 

「……お前もだろうが」


 何も言い逃れ出来ない。

 本気になれば、力づくで止めることも出来たはずだ。

 しかし、どうにも足が動いてくれなかった。

 

「……すみません」


 悪気を感じた、というわけでもない。

 ただ、子ども染みた自我が表に出てしまったことが、たまらなく恥ずかしく思えた。

 こんな時まで、自分本位であることに辟易する。


「気にすんなって。皆、そんなもんだろ」


 僕が心の奥底で、無意識的に欲していた言葉だった。

 それをいとも簡単に読み取り、投げかけてきたからこそ、余計に腹立たしいと思えてしまう。


「……フォローしてるつもり、ですか?」


「俺はそんな人間じゃない。知ってんだろ? それこそお前はずっと前から」


「アンタがそれを言うのかよ……」


 僕がそう言うと、高島先生はバツが悪そうに視線を逸らした。


 その後、ホタカ先生を追いかけるでもなく、二の足を踏む僕を見かねたのか、高島先生は語り掛けてくる。


「なぁ。お前がどうしたいのかは知らん。ただな。これだけは言っておく。お前はアイツとがあるのか?」


「……随分と物騒な物言いですね。それは言葉通りの意味、ですか?」


 僕はそう言いながらも、高島先生の意図するものを薄っすらと悟りつつあった。


「アイツが過ごすべきだった時間。それはこの先、どう足掻いたところで、取り戻せない。それはアイツ自身も分かっていることだ」


「でしょうね……」


「考えてもみろ。トラウマに翻弄される時間、それを克服するための時間。どちらも、膨大だ。代償にするにしても、デカすぎる。そもそも克服できるとも限らねぇしな。だったら、ってのも一つの道だったと思わないか? 特にアイツの場合、現状を変えようと足掻いた結果、ああなっちまったんだからな」


 高島先生にそう言われた時、僕は愕然としてしまった。


「いいか? 時間と成果ってのは、トレードオフの関係じゃねぇ。俺はアイツとの一件で学んだ。後々、辻褄があったように見えても、それはただの思い過ごしだ。その間、膨大な犠牲を払ってるんだからな。アイツの場合、それが見過ごせるレベルじゃなかったってことだ。『人生いつでもやり直せる』なんて、欺瞞でしかない。それでもお前は、アイツに無責任なことが言えるのか?」


「べ、別に僕はそんなことを言いたいわけじゃ……」


「じゃあ、お前はどうするつもりなんだ? アイツにどうして欲しいんだ?」


 高島先生は僕を真っ直ぐに見据えて言う。


 言葉が、出てこない。

 自分を棚に上げ、散々に勝手なことを宣う目の前の大人に、一つや二つ言い返したい気持ちがないでもない。

 しかし、彼の言う通り、が頭を過ぎってしまったことも事実だ。


 もはや、何も言えまい。

 高島先生の言う通りだ。

 僕は、彼女にどうして欲しいのだろうか……。


 そんな煮え切らない僕を見て、高島先生は呆れるように大きく息を吐く。


「……話を戻すぞ。結果的に、だ。俺はアイツの期待を裏切り、安堂寺 帆空の一つの可能性を奪った。社会に負い目や疑念を持たずに、生きることが出来たかもしれない未来を奪った」


「そ、それはっ! 別に先生のせいじゃ……」


「何度も言ってるだろ。過程はどうでもいい。俺は安堂寺に踏み込み、安堂寺を期待させ、安堂寺を失望させた。それが全てだ。分かるか? 天ヶ瀬。アイツはそれが原因で、本来の自分を抑圧してきたんだ。人格の否定は、個人の否定だ。殺人となんら変わらん」


「オーバーなんですよ、さっきから……」


 聞くに堪えない戯言だ。

 そうは思いつつも、僕は答えのピースが一つ一つ組み上がっていく感覚がしていた。

 

「俺には分かる。安堂寺はお前に救いを求めている。いや……。なんて、そんな崇高なモンじゃねえな。アイツの本音は、お前と堕ちて欲しいんだよ。似たような絶望を味わったお前と、な」


 そう言われた瞬間、僕はハッとした。


 彼女の中にも、不本意ながらも存在していたのだろう。

 大人としての。カウンセラーとしての。

 としての矜持が。

 だから彼女は、僕をここまで誘導してきた。

 そして、僕を救った気になり、これみよがしに大人面を浮かべてきた。

 ただ……。

 所詮は、それも急ごしらえのつくり物だ。

 結局、こうして僕に真意を知られてしまったのだから。

 

 『私と一緒に、死んでくれませんか?』


 僕が彼女と出会った時に交わした、あの言葉。

 その本質は、僕が思っていたよりもずっと、シンプルだったのかもしれない。

 マウントを取ろうとするのも、大概にして欲しい。

 彼女の異常なまでの自意識には、ほとほと愛想が尽きる。


「……教師のセリフとは思えませんね」


 怒りとも、軽蔑とも違う。

 名前のない彼女への情動が邪魔をして、頭が思うように働かない。

 だから、僕は咄嗟に取り繕うように悪態をついてしまう。

 しかし、高島先生はまるで気に留める様子がない。


「結局、アイツは何も変わっていない。だからああやって、大人の真似事をするんだ。大人のなんたるかを知らない分際でな」


 言行不一致も良いところだ。

 僕を救い出そうと差し伸べた手で、地獄へ引きずり落とそうというのか。


「いいか。天ヶ瀬。俺はもう、無責任なことは言わない。この世にお前を本当の意味で救える大人なんて、一人もいない。というより、むしろ救いを待ってるのは、大人の方なんだ。それは安堂寺も一緒だ。安堂寺を大人として見るな。一人の人間として、お前は……、アイツとどう向き合いたいんだ?」


 高島先生が僕に向けてきたその視線は、どこか縋っているように見えた。




 彼女の痛みを知った今。 


 僕はどうするべきなのだろうか。


 彼女のを解消するために、動くべきなのか。


 そもそも僕にとって、安堂寺 帆空とは何なのか。


 ただただ。投げやりに与えられた役割。人生を消化していた時。


 偶然、出会った。出会ってしまった。


 単なる、スクールカウンセラー?


 単なる、年上の変わり者?


 単なる、恩人?


 であるなら、僕が彼女に返すべき恩とは何だろうか。


 いや。


 そんな単純な問題じゃないはずだ。


 第一、恩情なんて呪いのようなもの。彼女が一番嫌いそうだ。


 一般論は、もういい。

 

 それよりももっと、明確にするべきことがあるだろう。


 僕が彼女に対して抱えている、感情の正体だ。


 感謝? 敬意? 親切心?


 本当に、そんな高次元なものか?


 自惚れも甚だしい。吐き気がする。


 そうだ。僕はもっと。


 一方的で。利己的で。支配的で。卑俗的で。破滅的で。


 醜悪でおぞましい、人間だ。

 

 だとしたら……。


 それに相応しい振る舞い方があるはずだ。


 ホタカ先生の想いなんて、知ったこっちゃない。


 僕がどうしたいか。それが全てのはずだ。


 それなら僕がするべきことは……。




「……なんとなくですが。方向性は決まりました」


「そうか」


 高島先生は、それ以上詮索してこなかった。

 杞憂なら、いい。

 僕にはどうにもそれが、うす気味悪く思えてしまった。


「なぁ。天ヶ瀬。ついでだから言っておく。こんなこと、お前は信じないだろうけどな。俺はお前を気に掛けている。そりゃあ、もうこの学校で一番と言ってもいいくらいだ」


「……何ですか、急に」


「まぁ聞け。それで、だ。アイツの例があるだろ? だから何ていうんだろうな。お前に対してのは、俺なりの経験則って奴だよ。一応、言っておくけどな」


 今更、何を言っているのか。

 そんなことは、分かりきっている。

 高島先生の対応は正しい。

 高校生活など、たかだが3年だ。

 僕に深入りするリスクを考えれば、至極理に適っていると言える。

 しかし、敢えて今、それを伝えてくる理由が分からない。


「……わざわざ言われなくても分かってますよ。ただ、何と言うか……、開き直っているようにしか聞こえませんね。何ですか? 懺悔か何かのつもりですか?」


「そうだな。懺悔だ。だが、そんなことをしたところで、何の免罪符にもならん。お前も分かるだろ? だから、下らん言葉遊びをするつもりもない。ただな、天ヶ瀬。これだけは覚えておけ」


 すると高島先生は気だるげに溜息を吐く。


「道義的な人間ほど過ちを犯す。そして、吊るし上げられる。本当の悪人ってのは矢面に立たないもんだ」


 高島先生は、唐突に要領を得ない一言を言い放ち、僕は一瞬混乱してしまう。


 しかし、不思議と腑に落ちる言葉だ。

 規範を基準に行動するからこそ、時折そこからはみ出てしまう。

 風霞も、小岩も、能登も、父さんも、母さんも、灯理も。

 少なからず、その意識を持っていた。

 

「お前は自分のことをロクな人間じゃないと、考えているのかもしれない。だがな。言ったろ? 『皆そんなもんだ』って。お前はこうして、アイツから槍玉に上げられた。後味の悪さを押し付けられた。それだけでもお前はだいぶマシだ」


 高島先生は淡々と、そう言った。


 確かに、一理はあるのかもしれない。

 しかし……、全ては結果論だ。

 究極を言えば、ホタカ先生は、きっと。誰でも良かったのだろう。

 自分の中のケリをつけるため。

 僕のような存在を探していたのだ。

 そう考える方が自然だ。


「偶然だって、お前は思っているのかもしれない。偶然、お前が安堂寺と出会って、偶然お前が断罪されただけ、と思っているのかもしれない。だけどな。アイツなりに考えてお前を抜擢したんだ。だから、お前が負い目を感じてる分については、もうは済んだと思っていいんじゃないか? 知らんけどな」


 高島先生は、他人事のように言い放った。


 随分と、慎重に言うものだ。

 しかし、これが今の彼のなのだろう。

 確かに、間違いなく。

 高島先生は、僕を気に掛けてくれてはいたようだ。


「……何ですか、それ。そんなこと言って何になるんですか?」


「何にもならねぇよ。ただな。やっぱり、腐っても教師なんだよな……。生徒が迷っていたら、何かしら導いてやりたいって身の程知らずにも思っちまう。何だ? 職業病みたいなもんだよ! だから、まぁ……、あんまり真に受けんなよ!」


 そう言って浮かべた胡散臭い笑顔は、何故かいつもより少しだけ、頼もしく思えた。

 

 ホタカ先生は、言っていた。

 高島先生もまた、被害者なのだと。

 が社会によって不本意につくられた姿であっても、彼はまだ初心を失ってはいない。

 教師であることを捨てきれていない。

 それが分かっただけでも、僕は高島先生を許す大義名分になる気がした。


「……あなたがそう言うなら、一つだけ。さっきの質問に答えておきます。別に僕は高島先生のことを恨んでいません」


「そうか……」


「はい。高島先生の判断は間違ってなかったと思います。先生が深入りしないでいてくれたおかげで、事態は拗れずに済みました。だから僕はずっと、あなたのことを先生だと思ってましたよ。あなたが僕にをくれたんです」


 皮肉でもあり、ある意味での全否定でもある。

 でも、これが僕と高島先生とのけじめだ。

 教師として。生徒として。

 正解がない中でのベターを探り合った、同志としての。


 これで手を打つ、なんて上から物を言う気は更々ない。

 ただ、僕としても足枷だらけの大人を追い詰めるような趣味はないし、何より時間の無駄だ。

 だから。今日で、終わりにしよう。

 僕と彼の間には、端から何もなかったのだ。


「辛辣、だな……。まぁ、それもそうか」


 高島先生は僕の言葉に、苦笑いをつくる。


「はい。第一、僕も具体的には何も話していませんでしたからね。ですから、そもそも高島先生は何も失敗していないんです。何か僕に対して、負い目を感じているのでしたら、迷惑なんで止めてもらっていいですか?」


 僕がそう言うと、高島先生は大きく目を見開いた。

 すると、しばらく黙り込む。


「……だよな。そうだ! 俺は悪くない! どの道、お前は手遅れだ! お前がどれだけのトラウマを抱えているのかは知らんが、この先も成るようにしかならん! そのくらいに考えていた方が、これから先絶望しなくて済むだろ!」


 意を決し、口を開いたかと思えば、ここぞとばかりに勝手なことをまくし立ててくる。

 少なくとも、整理がついたのだろうか。

 

「……いや、開き直り過ぎでしょ? いいんですか? 教師が子どもの前で、そんなペシミスティックなこと言って」


「ダメだろうな。俺だって人は選ぶ」


「ヒトのこと、お先真っ暗みたいな言い方しやがって……」


「それはお前の抱えているもの、次第だな」


「正直に言い過ぎでしょ……、色々と」


 僕がそう言うと、高島先生は小さく笑った。

 初めて。本当の意味で。

 僕は高島先生と、一人の人間としての会話が出来た気がした。


。アイツのこと」


 どうにも、引っ掛かる言い回しだ。

 僕はその瞬間、先ほど高島先生から感じた嫌な胸騒ぎを思い出す。


「……高島先生は、どうするんですか?」


「俺か? 俺のことは良いだろ。今更……」


 高島先生はそう言って、僕の質問をはぐらかした。

 結局、僕はそれ以上追及することが出来ず、そそくさと相談室を後にした。

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