能登の痛み③

「帰る……」


 彼女の煽りとも取れる言葉に気分を害した能登は、席を立ち上がり、部屋の入り口へ向かう。


「待ちなよ」


 ホタカ先生は、すかさず能登を呼び止める。

  

「何だよ……」


 能登は振り向くことなく、応える。


「このままでいいの?」

「このままも何も……。俺はもう立派な犯罪者だし、もうどうしようもねぇだろ……」

「別にキミがやったことなんて、どうでもいいんだよ」

「じゃあ、尚更意味分かんねぇよっ!!」

「私が言ってるのはね。キミのお母さんのことだよ」

「っ!?」

 

 こちらを振り向き、息巻く能登を尻目に、ホタカ先生は食い気味に応える。

 そんな彼女の態度に、能登は分かりやすくたじろいだ。


「障害年金の件は知らなかったんだから、キミたちに非はないよ。でもさ。考えてみなよ。キミのお母さんの名義であった以上、事情は聞かれると思うよ? そうしたらお母さん、どうなっちゃうかな?」


 淡々と話すホタカ先生を前に、能登はみるみる内に顔を青くさせる。

 もはや焦りの色を隠しきれていない。


「私さ。こういう仕事してるから分かるんだよね。お母さんにこれ以上面倒事を押し付けるのは危険だと思うよ。それこそ、躁うつの状態の時は分からないし。キミの話聞いてる限り、凄い責任感の強い人だと思うから……」


 ホタカ先生の言葉に、能登は一層意気消沈させる。


 確かに彼女の言う通りだ。

 これ以上、能登の母親に精神的な負担を掛けるのは得策でないことは、素人の僕でも何となく分かる。

 能登もきっと、そのことは分かっているはずだ。

 とは言え……。

 面倒事を押し付けられられ、精神的負担を強いられているのは母親だけではない。


「そ・こ・で・だー! 迷える子羊であるキミに一つ、提案があります!」

「……は?」

「私たちとともに、真理に触れてみる気はないかね?」


 ホタカ先生は人差し指を突き出し、何処ぞのカルト宗教かのような言い回しで切り出す。

 そんな彼女を前に、能登は一層警戒の色を強める。

 確かにホタカ先生の言わんとすることは何となく理解は出来る。

 でもかなり遠回しという、拗らせているというか……。

 しかし、そんな彼女に指摘出来る人間はこの場に一人もいない。

 僕たちは皆、方向性や程度は違えど、現在進行形で拗らせている。


「あの、それはどういう……」


 能登は当然の様に、彼女に疑問を投げかける。


「まぁ要するに……。捜査に協力しろってことですよね?」

「おっ! さすがトーキくん! 私のこと良く分かってきたね〜! エラいエラい!」


 僕がフォローすると、ホタカ先生は満足そうに褒めてくる。

 素直に喜んでいいのか、反応に困るところだ。


「捜査って……。アンタ、警察でも何でもないだろ」

「そうだよ! だからある程度まで……、ううん。ぶっちゃけ言うと、私が満足するまでだね! 私自身にがなくなった段階で、躊躇なく警察に丸投げします!」


 何の悪ぶれもなくそう話すホタカ先生に、一同静まりかえる。

 さりげに含まれていた不穏なワードも相まって、別の意味でヒヤリとしてしまう。


「結局、警察に言うんじゃねぇかよ……」

「そりゃあね。でも、キミも分かってるんじゃない? 私が告発しなくても、いつか必ずバレるって」

「そ、それは……」


 ホタカ先生がそう問いかけると、能登は口を噤む。

 そんな能登に対して、ホタカ先生は更に畳み掛ける。


「私はね。一連の事件の真相が知りたいの。私も把握していれば参考人としてイロイロ話してあげることも出来るでしょ。そうすればキミの処分も少しは違ってくるかもしれないし! それに何より、キミのお母さんのこともあるしね」


「ウチの……、オフクロ?」


「そ。私、一応カウンセラーだからね。キミからそんな話聞いちゃったら放って置けないじゃん? それにさ……。放って置けないのはキミのお母さんだけじゃないし」


「……へ?」


「これまでずっと一人で悩んでたんでしょ? 辛かったね……」


「っ!? べ、別に、一人なんて慣れてるし……」


 能登はそう言うと、バツが悪そうに視線を外し、黙り込む。

 ホタカ先生はそんな能登を見て、優しく微笑む。


「……つーか、何でアンタはそんなに踏み込もうとすんだよ。ソレこそアンタにメリットねぇだろうが」


 能登の疑問はもっともだ。

 僕をにさせるため、というようなことは言っているが、実際のところ彼女の心境は図りかねる。

 普段、息をするように仄めかしてくることが本気であったとしても、なぜ僕にここまで執着するのだろうか。

 能登の問いかけに、ホタカ先生は何故かハァと大きく息を吐く。


「メリットねぇ〜。キミもつまらない大人たちに毒されちゃったんだね。お姉さん悲しいよ……」


「そういうのイイからっ! 質問に応えろよ!」


「あのさっ! そもそもメリットがなきゃ何かしちゃイケないわけ!? 道を踏み外しそうな子どもがいたら、それを修正してあげるのが大人の役割じゃないの!?」


 能登はぐうの音も出ない様子だ。


 それにしても分からない。

 一見無茶苦茶に見えるホタカ先生も、こうしてを滔々と話す時がある。

 それも飽くまで取って付けたような、吐き気がするほどの正論だ。

 でも、これまでの彼女を見る限り、そういった世間一般が考えるを毛嫌いしているようなフシがある。

 彼女は実際のところ、何を考えているのだろうか。


「余計なお世話だっつーの……」


 能登が俯きながらそう溢すと、ホタカ先生は彼の背中を抱きしめる。

 その瞬間、身体をびくつかせたように見えたが、特に抵抗することはなかった。


「分かってる。周りから無責任なこと沢山言われて、どうすればいいか分からなかったんだよね? 安心して。少なくとも私は『辛いのはキミだけじゃない』なんて、ゼッタイ言わないから」


「っ!?」


 能登は、堰を切ったように嗚咽する。

 これまで溜まっていた膿を洗い流すように無様に号泣する姿は、普段僕のことを貶めてきている人間と同一人物とは、到底思えない。

 そんな彼の背中をホタカ先生は、優しく叩いていた。

 思えば、能登が欲していたのはこの言葉だったのかもしれない。

 

 確かに能登の置かれた境遇は、15〜6の子どもが消化するには少し……、いや。かなり荷が重いとは思う。

 しかし、素直に同情できるかと言えば難しい。

 能登なりの事情があったとは言え、結果的に僕は彼に沢山のものを壊されてきた。


「あ! そうだ! 言い忘れたけど、一応メリットはあるよ! なんせ、これが片付いた暁にはトーキくんと一緒に……」

「はいっ! イイ子だから黙りましょうね〜」


 僕は、再びをいい滑らしそうになったホタカ先生の口元を、無理矢理塞ぐ。

 ホタカ先生は、そんな僕の手を必死に払い除け、憤慨してみせる。


「トーキくん心配しすぎ! 大丈夫だって! みんなどうせ私たちのことなんて興味ないって!」

「だから、イチイチ言い方が捻くれてるんですって!」


 小岩と能登は、そんな僕たちをただただ不審そうに見ていた。

 ホタカ先生は二人の訝しげな視線に気付き、コホンと咳払いをする。


「それで……。ノトくん。もう一度聞くけど協力、してくれるかな?」

「……まぁ何が出来るか知らんけど」


 能登はそう言って、気恥しそうに視線を逸らす。

 ホタカ先生はそんな能登を見て優しく微笑む。


「よし! 決まりだね! じゃあこれからヨロシク……、する前にやることあるよね〜?」


「……は?」


「『は?』じゃないでしょ? 私、詳しくは知らないけど、聞いてるんだよ!? トーキくんに何か言うことあるんじゃないの!?」


 ホタカ先生がそう言うと、能登はハッとした表情になる。


「あ、天ヶ瀬。そ、その……」


 能登は言葉を詰まらせてしまう。

 ホタカ先生は、そんな能登の肩に手を置き、静かに語りかける。


「ノトくん? 許して貰おうなんて思わない方がイイよ? キミ自身が受けた痛みも、キミがトーキくんに与えた痛みも、間違いなくなんだから」


 彼女にそう言われた能登は、静かに震え出す。

 何か思うところがあったのだろう。

 僕にはそれが何なのか大凡見当がついてしまい、妙な居心地の悪さを感じてしまう。


「ぼ、僕は別に。痛みなんて……」


「こーら! またキミはそんなこと言って! ココはキミがノトくんの顔面にニ、三発お見舞いして病院送りでオアイコ、ってのが一端のブロマンスにおいての常道でしょ?」


「僕たちに何を期待してるんですか……。てか、そうしたら次は僕が捕まるでしょ!?」


 飄々と物騒なことを言って退けるホタカ先生に、能登は更に身体をびくつかせる。

 そんな能登の気持ちを理解出来てしまうあたり、僕も少しは並の高校生らしくなれたということだろうか。

 一方的に僕たちのことを煽り散らかすホタカ先生を他所に、能登は突如自身の両頬を叩く。

 パンパンと乾いた打音は、大凡生活感のない質素な相談室内に勢いよく響き渡る。

 すると、『よしっ!』と威勢の良い掛け声とともに、僕に向き直ってくる。

 

「あのさ。天ヶ瀬」


「へ!? あ、あぁ……」


 これまで見たことのない能登の雰囲気に飲まれそうになり、思わず声を裏返らせてしまう。


「俺さ。お前の、分かってたんだ……」


 能登の言葉を聞いた瞬間、僕は身体の奥底から沸々と得体の知らないものが湧き上がってくるような感覚に襲われる。

 もしかしたら、これがホタカ先生の言うところのというヤツなのかもしれない。


「何だよ……、今更」


 思わず声を震わせてしまう。

 そんな僕をホタカ先生は目を細め、嬉しそうに見ている。


「だから、俺、そ、その……。スマンッ!!!」


 それだけ言うと、能登は僕に深々と頭を下げてきた。


 本当に勝手な奴だ。

 嫌がらせをするのも、謝るのも全部そっちの都合じゃないか。

 僕には、能登を恨むことすら許されていないのか。


「トーキくん? 何か勘違いしてない?」


 二の句が継げない僕に、ホタカ先生は語りかけてくる。 


「私、ノトくんにも言ったけど、キミがノトくんのことを許す必要はないんだよ?」

「は? でも、今能登は謝って……」


 僕がそう言うと、ホタカ先生はまた深いため息を吐く。

 本当にこの人は感情の起伏が激しい。


「あのね。昔から言うでしょ? 『ごめんで済んだら警察はいらない』って。私は別にトーキくんに許しを乞うために、ノトくんに謝ってもらったんじゃないよ?」

「じゃあ……、何で」


 すると、ホタカ先生はわざとらしく咳払いをする。


「いいかな? トーキくん。今現在のノトくんの状況をまとめるとこんな感じです。彼は先輩の口車に乗って、とある犯罪に加担してしまった。ノトくんなりの事情があるとは言え、それは世間的に見れば十二分にアウト」


 ホタカ先生の一人語りに、能登はあからさまに顔を引きつらせる。

 そんな能登に構うことなく、彼女は続ける。


「それに留まらず、あろうことか周りと共謀して、無実の罪でトーキくんを貶め、キミの平穏な学校生活を奪った。まぁ本人はは罪悪感を感じてはいるみたいだけど」


 能登の顔色は分かりやすく、血の気が引いていく。

 ホタカ先生は追い打ちを掛けるように、刺すような視線を浴びせる。


「そして極めつけはコレね。そんな哀れな能登くんを見るに見かねた、とあるカウンセラーは救いの手を差し伸べた。その時、ノトくんはこう思ったはず。『あっ。こんな俺でもやり直せるかもしれない』と。実際は何も片付いていないにも関わらず」


「っ!? いやっ! 俺はそんな」


「実際そう、でしょ?」


 ホタカ先生は反論に出ようとする能登を遮る。

 彼を見据えるその視線は、数分前とは比較にならないほど冷淡なものだった。

 上げて落とすにしても、限度がある。

 やっぱり好きになれない……。こんなやり方。


 本当に、ホタカ先生は何のためにここまで首を突っ込むのだろうか。


「さぁ、トーキくん。どう思う? こんなクズで、身勝手な最底辺の人間がする土下座や靴ナメに価値があると思う? キミの受けた屈辱はそんなモンで解消されるのかな?」


 能登は、今にも泣き出しそうになっている。


 大人の常識なんて、知らない。

 勧善懲悪なんてものに意味があるのかも、分からない。

 いや……。そもそも能登は根っからのなのだろうか。

 そんなことすら分からない僕でも、今の彼女はやり過ぎだと思えてしまう。

 それに僕にだって、少なからず……。


 なるほど。

 ホタカ先生のおかげで。能登のおかげで。

 さっきまで込み上げていたものの正体が、何となく見えてきた気がする。 



「……いい加減にして下さい」


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