能登の痛み②

『1年4組、能登渓滋君。安堂寺先生がお呼びです。至急、生徒相談室に来て下さい』


 あれからすぐに、能登を呼び出す算段に入った。

 どんな斬新な手段で呼び出すのかと思いきや、何のことはない。

 ホタカ先生は、教職員ならではのを、何の躊躇もなく利用した。

 しかし、ココはまだ序の口だ。

 問題は、如何にして能登に事実を吐かせるか、だろう。

 

 ホタカ先生にしろ、僕にしろ、などと初めから疑ってかかっているフシがある。

 もし、能登が児童ポルノの件とは無関係であれば、少し不憫ではある。

 と言っても、普段受けている仕打ちの手前、同情する気にはなれないが。

 まぁ、現状全て推測でしかない。

 小岩ですら、知らないことばかりだったのだ。

 僕が能登の周辺事情なんて、知るはずがない。


「来ますか、ね……」


 僕たち三人は、相談室のソファーに腰掛けている。

 既に皆、臨戦態勢だ。

 そんな中、能登のことを根本から信用できない僕は、横に座るホタカ先生に思わず問いかけてしまう。


「来るでしょ。多分」


 ホタカ先生は、先行きが不安になるような副詞を付け足し、保険を掛けてくる。

 もはや彼女の勇み足は通常運転なので、まともに突っ込む気すら起きない。


「ま、まぁは先生の呼び出しなんだし……」


 そんな彼女をフォローするかのように、小岩は言う。

 悪意など微塵もないのだろうが、どうしても煽っているかのように聞こえてしまう。


「そうだぞー。先生なんだぞー。権力者の言うことはゼッタイなんだぞー。逆らったら後が恐いぞー」


 ホタカ先生はあくびをしながら、冗談なのか本気なのか分からないようなセリフを吐く。

 小岩のセリフに被せてくる辺り、やはり別段気にしている様子ではなさそうだ。


 

 コンコン。


 

 その時、相談室の扉越しから、鈍いノック音が鳴り響く。

 遂に、が登場したようだ。


「はい。どうぞー」


「しつれーしま……、って何で天ヶ瀬と小岩が居んだよっ!!」


 能登は相談室に入るなり、僕と小岩にガンを飛ばし、憤慨してくる。

 彼には今一度冷静になって考えて欲しい。

 僕たちがこの部屋に辿り着くに至った原因の一端は、自分にあることに。


「お! 逃げなかったね〜。偉い偉い!」


 ホタカ先生は立ち上がり、満足そうな笑みで能登を迎え入れる。

 そんな彼女を見た能登は、露骨にぎょっとした顔をする。

 もはや警戒の色を隠そうともしていない。

 どうやら彼の中の本能は、正常に作用しているようだ。


 ホタカ先生に促された能登は、おずおずと僕たちの向かいのソファーにゆっくりと腰を下ろす。

 こんな彼の姿を見るのは初めてだ。


「それでー。最近どうでっか? 儲かりまっか?」


 開口一番何を言い出すかと思えば……。

 いきなりのカマ掛けか?

 しかし、能登には痛恨だったようで、その表情はギクリという擬音が飛び出さんばかりに蒼白になる。

 素性の知らない大人から、急にこのような質問を投げられれば、無理もない。

 ましてや、相手はホタカ先生だ。


「な、なんの、ことだよ……」


 能登の気持ちは分かる。

 面と向かって話した時に彼女から受けるプレッシャーは凄まじい。

 とは言え、まさか部屋に来てからものの数分でになるとは思わなかった。


「ふふ。語るに落ちるとはこのことね! さぁ白状してもらおうかしら!」


 労せず成果を得られたホタカ先生は、満面の笑みを浮かべる。

 そんな彼女には敵わないと見たのか、能登は僕を睨みつけてくる。


「……まぁコッチにも色々伝手があるんだよ」


 僕はホタカ先生に輪を掛け、能登を追い詰める。

 僕の問いかけに能登は絶句してしまうが、しばらくするとギブアップとばかりに、ハァと深く息を吐いた。


「言っとくけどな……、俺は1円たりとも貰ってねぇからな」


 なるほど。

 小岩と同じく弱みを握られた、ということか?


「お金の問題じゃないでしょ? キミたちがやってることは立派な犯罪なの。被害者の子がどれだけの傷を負うか考えたことある?」


 そんな正論を言ったところで、能登に響くはずはない。

 恐らく、ホタカ先生もそのことは理解している。

 だから、これはきっと……。

 僕の時と同じやり方だ。


「……るせーな。そんなことは分かってんだよ」


 能登はボソリと、恨めしそうに呟く。


「俺だって……、分かってんだよっ!! こんなんダメだって……。でも、アイツの……、麻浦の言う通りにしなかったら、ウチのオフクロがどうなっちまうか分からなかったんだよっ!!」


 そう言うと、能登は口惜しそうに顔を下に向ける。


「アサウラくんに、何か脅されたんだね?」

「いや逆だよ。俺は頼っちまった……。よりによって一番縋っちゃいけねぇヤローに……」


 能登は、麻浦先輩との薄暗い繋がりについて話し始めた。


 そもそも能登は、小学生の頃に父親が外に女を作り家を出ていってしまったため、母親の女手一つで育てられてきた。

 そんな母親の努力もあり、裕福とは言えないながらも、特に不自由を感じることなく生活が出来ていたと言う。

 しかし、能登が中学三年生の頃、転機が訪れる。


 生計を担っていた母親が、突如精神疾患に罹り、働けなくなってしまった。

 しばらくの間は失業保険で何とか食い繋いでいたが、その間母親の病状は快方へ向かうことはなかった。

 その後、他に頼れるような親類もいないため、生活保護の申請を決める。


 ところが、事はそうスムーズには進まなかった。

 役所に相談したところ、資産要件を理由に支給対象外と言い渡されてしまった。

 というのも、母親の実家の登記簿が母親名義となっており、売却可能資産と見做されてしまったからだ。

 背に腹は代えられない、とは言え、売るに売れない事情もある。

 それもそのはずだ。

 そこには年老いた能登の祖父母が住んでいた。

 能登の母親は更に塞ぎ込み、もはやまともな意思決定すら出来なくなってしまう。


 そんな時に手を差し伸べたのが、麻浦先輩だった。

 元々、麻浦先輩とは中学時代から部活動での繋がりがあり、知らない中ではなかったらしい。

 もっとも、麻浦先輩はどこか独特な薄気味悪さ・底知れなさがあり、能登自身は極力近寄らないようにしていたようだが……。

 しかし、事情を知った麻浦先輩が能登に向けて放った一言が、それまでの二人の関係性を大きく変える。


 『全部、俺が何とかしてやる』と。


 所詮は、高校生の戯言とも取れるし、ましてや他所様の厄介な家庭事情だ。

 だが、当時切羽詰まっていた能登にとって、迷いなくそう断言する麻浦先輩の姿は頼もしく映ったのだろう。

 それから、能登と麻浦先輩は急接近する。

 麻浦先輩は、セーフティーネットについて何も知らない能登に対して、障害年金の存在を教える。

 何でも、麻浦先輩の父親は学校近辺で社会労務士の事務所を経営しているらしく、父親に事情を話を通せば申請代行が出来る、ということだ。

 ただし、それには条件があった……。


「そっかぁ。じゃあその条件ってのが児童ポルノの件だった、てことでいいのかな?」


 ホタカ先生の問いかけに、能登は黙って頷く。


「そん時は必死っつーか、他にどうすりゃいいか分からなかったんだよ。生活保護、断られてオフクロがあんな風になっちまって……。流石に年金暮らしの爺ちゃんたちを頼るわけにもいかねぇし……」


「まぁそれは分からなくもないけどね〜」


「役所の人も凄い謝ってきてさ。電話で審査の結果知らせてきた時に、泣きそうになってやんの。別にその人が悪いわけじゃないことくらい、俺でも分かるっつーの……。しかも、その人切り際に何つったと思う? 『辛いだろうけど、頑張って』だってさ! マジでふざけんなって思ったよ……」


 苦虫を噛み潰すような表情で能登は言う。

 能登の言う通り、別に職員一人の判断で可否が決まったわけでもないだろう。

 しかし、それでもその職員は罪悪感に苛まれ、取って付けたような言葉で能登を激励した。

 

 職員に悪意はないことくらいは分かる。

 だがそんなこと……。

 能登からすれば、心底どうでもいい。

 結果として、保護対象と見做されなかった以上、職員の言葉は自分の体裁を保つためと、受け取られても仕方ない。

 きっと能登自身、そう思ってしまいそうになる自分を必死に抑えつけていたのだろう。

 

 程度は違えど、蓋を開けてみれば、能登も僕や小岩と同類だ。

 彼もまた、好き好んで選んだわけでもない境遇に付け込まれた、被害者の一人だ。

 もっと言えば、今能登を追い込んでいるのは麻浦先輩だけではない。

 能登は、これまで空気としてひしひしと感じてきたはずだ。

 世間が向けてくる、というメッキで塗りたくられたプレッシャーを。

 役所の担当者に限らず、彼はこれまで数えきれないほどの哀れみを受けてきたはのだろう。

 でも、それは裏を返せば、『辛いのはお前だけじゃない』『お前より酷い状況から這い上がった人間など山ほどいる』などといった意味も孕んだ、ある種の予定調和だ。

 

 世間は無意識に……、いや。確信犯的に求めている。

 現状を跳ね除け、飛躍したという美談を。

 言葉で。キレイ事で。気休めで。

 そこに裏付けなんて、一切ない。

 杓子定規の基準で、彼らの命綱を取り上げたことが何よりの証拠だ。


 こうして見ると、世の中には表層的な言葉が蔓延っている。

 いや。それしかない、と言っても過言ではないのかもしれない。

 そもそもスタート地点なんて、人によって違う。

 であれば、目指せるゴールも必然的に限定されていく。

 そのことを誰しも頑なに認めようとしないのだ。

 何も知らない人間たちが、慰めというパッケージに包んだ、生産的な技術論を無責任に浴びせて、能登を煽り立ててきたのだろう。


 能登も、所詮は高校生であり、子どもだ。

 理不尽だとは思いつつも、周囲の大人からそう好き勝手に囃し立てられれば、多かれ少なかれ影響を受けるだろう。

 そして、思うはずだ。

 『自分より辛い人間など、腐るほどいる』と。

 母子家庭という境遇の中で受けてきた痛みを、全て無視して。


 だから、壊れた。

 そして、麻浦先輩に藁にも縋る想いで頼り、結果として一連の事件に加担してしまった。

 現状は、僕たちに指摘され、ようやく現実を直視した、といったところか。


 とは言え、それが分かったところで、能登の中に蓄積された痛みや苦痛が消えてなくなるわけではない。

 これまでの僕への嫌がらせも、一種の確認作業だったのかもしれない。

 能登は証明したかったのだ。ことを。

 言ってしまえば、これは能登の意地だ。

 彼も彼なりに、願っていたのだろう。

 これ以上、惨めな想いをしたくないと。

 

 全てを打ち明け、悔しそうに震えながら俯く能登の姿を見て実感してしまった。

 きっと、僕たちは。

 いい加減負けを認めるべきなのだろう。

 これまで散々見て見ぬフリを続け、こうしてボロを出してしまったのだから。


 ……まぁ兎にも角にも、僕たちは何とか目的を果たすことが出来たようだ。

 麻浦先輩を動かしていた大人についても、コレで大凡間違いないと言っていいだろう。


「な・る・ほ・ど〜。そっかそっか! ほ〜ら、やっぱり私の言った通り、関係あったじゃんね〜。の正体も大体分かったしね〜。どーよ? トーキくん! 私の実力は!」


 あまりに配慮のないホタカ先生の言葉に、一瞬ヒヤリとする。

 しかし、当の本人は『褒めて!』と言わんばかりのしたり顔で、僕を見つめてくる。

 案の定、能登は血相を変える。


「はぁっ!? ちょっと待てっ! お前ら全部知ってたんじゃねぇのかよ!?」

「……僕たちは『伝手がある』と言っただけだ。別に確証があったわけじゃない」


 僕は小岩を横目で見ながら応える。

 そんな僕の視線を躱すように、小岩はバツの悪さからか、顔を俯かせる。

 小岩をと言ってしまうのは詭弁のような気もするが、それでも事実ベースで話していることに変わりはない。


「てことは、お前らカマ掛けてたってことかよ!?」


 僕と小岩は首を縦に振る。

 小岩は自分も加担していた分、気まずそうに見える。

 僕自身も、自供を促すためのオーソドックスな手段とは言え、ほとんど誘導尋問のようなこのやり口には抵抗感がある。

 別に、能登がこの先どうなろうと、知ったことではない。

 それでも少し不憫に感じてしまうのは、これに準じるようなとやらを散々に見てきたからだろうか。

 特に能登の話を聞いた後であれば、尚更だ。

 そんな僕たちを気に留めることなく、ホタカ先生は更に畳み掛ける。


「それでさ。もう少しだけキミに聞きたいことがあるんだけど、イイかな?」

「知るかっ!! 騙し討ちみてぇなことするような奴らに話すことなんてねぇよ!」

「私たちが聞かなかったら、後は警察が聞くことになるんだけど」

「っ!?」


 凄んで見せる能登に対して、ホタカ先生は少しも怯むことなく食い気味に返答する。

 あまりにも淡々とした彼女の対応に、能登は一瞬気色ばむ。


「……何だよ」


 絞り出すかのように言葉を溢す能登に、ホタカ先生は安堵したかのような柔和な笑みを向ける。


「聞きたいことは、ね。キミのお母さんのことだよ」


 ホタカ先生はそう言うと、先程とは打って変わった真摯な眼差しで能登を見据える。


「……ウチのオフクロが、どうしたんだよ?」


「精神疾患ってことはうつ病かなんかかな? てことは、お医者さんから診断書も出してもらったんだよね?」


「はぁ!? 当たり前だろ!?」


「ふむふむ。それで……、申請代行をしてもらうために、その診断書はちゃんとアサウラくんのお父さんに渡したのかな?」


「へ? いや、それは……」


「ホタカ先生っ! まさか!?」


 小岩は身を乗り出し、ホタカ先生に問いかける。

 やはりそうか。

 どうやら事態は思ったより、根が深そうだ。


「そ。どうやら問題は児童ポルノだけじゃなさそうだね〜」


「……診断書を偽造したってことですか?」


 僕が恐る恐る聞くと、彼女は嬉しそうに僕の方へ振り向く。


「トーキくん、ビンゴ! 障害年金は等級によって支給額が違うからね。多分だけど、アサウラくんのお父さんはノトくんのお母さんの障害等級を上げて、相場より多めの報酬を取ってやろうっていう魂胆だったんじゃないかな。児童ポルノの件も絡んでるって考えると、ノトくんはいいカモだったろうね!」


 億面もなくそう話すホタカ先生を前に、能登は打ち震えている。

 さすがに遠慮がなさすぎる。

 こうも都合よく利用されていたことを指摘されれば、誰でもこうなるだろう。

 やはり、彼女は能登を焚き付けようとしている、のか?


 でも……、それは何のために?

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