魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 13
俺の身代わりとなって、リディアがワインの飛沫を受け止めた。
最悪の事態だ。
近くで見ていた俺は、ヴィオラのそれが故意でないと分かる。でも、離れていた者にとってはそうじゃない。ヴィオラがリディアにワインをぶちまけたと思うだろう。
招待客の子爵令嬢が、主役の伯爵令嬢にワインをぶちまける。
自殺行為もいいところだ。
リディアは大聖女の称号を持っている優しい女の子だ。
でも、それほど付き合いが長い訳じゃない。自分に楯突いたヴィオラに対し、伯爵令嬢としての彼女がどのような対応をするか俺には分からない。
それはヴィオラも同じだったのだろう。強気な顔が恐怖に染まり、その唇が震えている。
「わ、わた、私は……っ」
「――黙りなさい」
リディアはヴィオラの弁明すら許さなかった。
そうして畳み掛けるようにヴィオラを責め立てる。
「さきほどから聞いていれば、私の客人に対する無礼な振る舞いの数々。許されるとでも思っていたのかしら? これ以上の醜態をさらすまえに退席なさい」
「ま、待ってください。私はただ――」
「おかしいわね。私の声が聞こえないのかしら? 私は退席なさいと言ったのよ?」
「……う、うぅ……っ」
そのあまりの苛烈さにヴィオラは泣き崩れてしまった。その令嬢らしからぬ反応は予想外だったのか、リディアは思わずといった感じで右手で顔を覆った。
そうして溜め息を吐くと、俺にちらりと視線を向けた。
「アルトさん、大丈夫?」
「え? ああ、リディアが庇ってくれたから大丈夫だよ」
「……そっか。じゃあ、私は少し着替えてくるね。それと……」
彼女はそう言って、ちらりとヴィオラに視線を向けた。
「大丈夫、上手くやっておくから」
俺がそういうと、リディアはなぜか引き攣った笑みを浮かべて退席していった。
◆◆◆
ヴィオラの持つグラスから零れたワインの飛沫が、アルトさんに向かっている。
それを見た瞬間、私は血の気が引く思いをした。
一連の行動を見ていたから、それが故意じゃないことは分かる。だけど、世の中には事故で済ませられないこともある。魔王にワインを浴びせるとか自殺行為もいいところだ。
怒りで本性を露わにした魔王が、パーティー会場の人間を皆殺しにする――なんて最悪の事態を思い浮かべた私は、反射的にアルトさんのまえに飛び出していた。
翻ったドレスの裾が、ワインの飛沫を受け止める。
しぃんと、パーティー会場が静まり返った。
「わ、わた、私は……っ」
「――黙りなさい」
ヴィオラの弁明を遮った。
彼女はさきほどから、アルトさんを侮るような言葉を口にしていた。ヴィオラの弁明が『ワインをぶちまけるつもりなんてなかった』ならまだいいけど、『リディア様に掛けるつもりじゃなかった』なんて言われたら、アルトさんの怒りの火に油を注ぐことになる。。
というか、ワインを掛けられそうになったアルトさんがどう思っているかが問題だ。
アルトさんの性格を考えれば怒ってないと思う。
でも、彼は魔王の名を継ぎし者。無礼な振る舞いには相応の仕返しをする可能性もある。というか、以前ゼルカが鑑定をさせて欲しいと言ったときも、アルトさんは怖い顔をしていた。
だからさっさと退席させようとしたのに、ヴィオラはその場に泣き崩れてしまった。なにをやっているのよこの子は――と思わず顔を覆う。
そして、そうこうしているあいだにも周囲の視線が集まりだしている。
早めに着替えに退席しないと面倒なことになる。そうして色々な問題を天秤に掛けた結果、私は直接アルトさんの機嫌を伺うことにした。
「アルトさん、大丈夫?」――と。
その答えは「リディアが庇ってくれたから大丈夫」というもの。
どうやら、怒ってはいなさそうだ。たぶん、きっと。
だから――
「じゃあ、私は少し着替えてくるね。それと……」
私が席を外しているあいだに、ヴィオラを殺そうと思ったりしてない? ――とは口に出さずに探りを入れる。返ってきたのは「大丈夫、上手くやっておくから」という答えだった。
……それ、バレないように上手くヴィオラを殺すって意味じゃないよね?
一抹の不安がよぎるけど、たぶん大丈夫。
そう、たぶん。十中八九は大丈夫。十中一二は危ないけど、それをたしかめる術はない。お願いだから大丈夫であって! と祈りつつ、私は身を翻した。
移動先は、パーティー会場の近くに用意した休憩室の一つ。
エリスが着替えを用意するまで少し時間を潰し、ワインに濡れたドレスを脱ぎ捨て、その下に来ていたキャミソール姿になった私はエリスに着替えを催促する。
だけど、いつまで経ってもエリスの反応がない。
「……エリス?」
振り返ろうとしたその瞬間、視界の端にシステムメッセージが浮かび上がった。
『メインストーリー【魔王を崇拝する教団】が開始されました』
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