魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 12

 誕生パーティーの当日。パートナーとして、リディアをエスコートすることになった俺は、エリスが選んだ礼服を身に付けてリディアを迎えに行った。


 部屋の前で待っていると、上品に着飾ったリディアが姿を見せる。

 彼女が身に付けるのは、ノースリーブ&スカート部分がアシンメトリーになったAラインのドレス。ドレスでありながら、俺の好みを見事に反映したデザインだった。


「お待たせ、アルトさん」

「いや、いま来たところだ。それより、その……似合ってるぞ」

「あ、ありがとう。アルトさんも似合ってるよ」

「……そっか」

「うん」


 本来なら、褒めちぎってリディアを俺に惚れさせるチャンス――なんだけど、先日のリディアの言葉が脳裏から離れず、まともにリディアの顔を見ることが出来ない。

 っていうかさ? 誤解されて困るような冗談は言わない――なんてまるで、リディアが俺を好きだって、俺が勘違いしても困らない――って、言ってるみたいじゃないか。


 だとしたら、リディアは既に俺に惚れている?

 いや、そうとは思えない。

 そもそも、勘違いされて困らないというだけで、ほんとに困らないだけかもしれない。たとえば、俺が魔王の後継者だと知らないから、これからも護衛にしようと思っている、とか。


 ……いや、いまはそのことを考えるのはやめよう。

 今回のパーティーで最重要は、リディアをちゃんと護ることだ。リディアに惚れた弱みを作るよりも、魔王の関係差に対する敵愾心をこれ以上植え付けないようにするほうが先だ。

 だから――と、俺はリディアに右手を差し出した。


「リディア、お手をどうぞ」

「ありがとう、アルトさん」


 呼び方はそのまま。だけど俺は、礼儀作法の先生から教えてもらった通り、エスコート役らしく振る舞う。それが伝わったのか、リディアもまた令嬢らしい雰囲気をその身に纏った。


 こうして、俺のエスコートによって、パーティー会場へ続く扉の前に立つ。係の者が扉を開けると、リディアの入場を知らせる声を上げた。


「アルトさん、準備はいいですか?」

「ああ、もちろん」


 リディアをエスコートしながら、会場へと足を踏み入れる。正面にある一階へと続く階段。その手すりの向こう側に、リディアを祝うために集まった参列客が詰めかけている。


 俺は事前に打ち合わせしていたとおり、階段の中程にある踊り場にまでリディアをエスコートする。彼女はそこで足を止めて参列客を見下ろした。


「本日は私の誕生パーティーにお集まりいただき、心より感謝申し上げます」


 リディアは凜とした声を会場に響かせ、それからぺこりと頭を下げた。それから会場を見回し、今度は柔らかな微笑みを浮かべる。


「心ばかりのお礼に、我がホーリーローズ家が抱えるシェフによる料理や、音楽を用意させていただきました。どうぞ、最後までお楽しみください」


 わずかに首を傾げて微笑する。その可愛らしい仕草に秘めた妖しい物腰。おそらく、意図的にやっているのだろう。さすが伯爵令嬢と、思わず妙な感心をしてしまう。


「それでは、皆さんのところへ行きましょう」

「……分かった」


 パートナー役として上手く振る舞えるかという心配はもちろん、リディアを外敵から守らねばという緊張もある。わずかな緊張を抱きつつ、俺はリディアと共に階段を降りていった。


 そうして会場に足を踏み入れれば、すぐに参列客達が集まってきた。

 多いのは、リディアと同じ年頃の子供達だ。ホーリーローズ家は、伯爵の中でも力を持っている家柄なので、親交を得たい者が多い、という話は聞いていた。

 でも、そう聞いて思い浮かべた予想よりもずっと多い。このままだと囲まれるのでは――と警戒するけれど、俺が危惧するような状況にはならなかった。

 子息子女はリディアを中心に一定の距離を保ち、遠巻きにしているような状況だ。それを疑問に思った俺は、リディアに小声で問い掛ける。


「……詰め寄ってきたりはしないんだな」

「社交界には、こういった事態を想定したマナーがあるからね」

「というと?」

「声を掛けるのは目上から、とか。礼儀作法の先生から聞いてるでしょ?」

「……あぁ、なるほど」


 たしかにそういった話を聞いた覚えがある。付け焼き刃で暗記して、理由までは考えてなかったけど……そうか、こういうケースを想定しているのか。


「とはいえ、それが適応されるのは親交のない相手だけ、なんだよね」


 リディアが小さく息を吐いた。その横顔はどこか嫌そうに見える。


「……親交がある相手ならかまわないのでは?」

「親交と言っても色々あるんだよ。……同じ派閥だから仲のいい振りをしてるけど、実はライバル心を剥き出しで面倒くさい相手とか」

「えらく具体的だけど――」


 モデルでもいるのか? という言葉は途中で呑み込んだ。

 視界の端に、揺れるピンク色の髪が目に映った。視線を向けると、リディアと同年代くらいの女性が、ワイングラスを片手に歩み寄ってくるところだった。


「ご機嫌よう、リディア様。三ヶ月と三日ぶりですね」

「そのように細かい数字は覚えていませんがご機嫌よう。ヴィオラ様」


 リディアがその整った顔に笑顔を張り付かせた。そう、自然に笑ったのではなく、作り笑いを浮かべたのだ。その時点で、面倒くさい相手が誰を指しているのかなんとなく察した。


「アルトさん、彼女はヴィオラ。スフィール子爵家のご息女ですわ」

「――リディア様のご紹介にあずかりました、ヴィオラですわ。我がスフィール家は、リディア様のご実家と以前から取引をさせていただいておりますのよ」

「俺――いえ、私はアルトです」


 そうな乗った瞬間、ヴィオラの表情がぴくりと動いた。


「あら、家名はございませんの?」

「はい、私は平民ですから」


 隠すことなく打ち明ける。このパーティーには、ホーリーローズ伯爵家と付き合いのある商家なんかも参加している。平民がいること自体はおかしいことではないからだ。

 もっとも、貴族の中には平民を見下す者も少なくない。平民だと知れば、態度を豹変させる者もいるかも知れないとは事前に聞かされていた。

 だから――


「まぁ、なんてことかしら! ホーリーローズ家のご令嬢ともあろうリディア様が平民の男をパートナーにするなんて、恥ずかしい真似はおやめになった方がよろしいのでは?」


 ヴィオラがそんなふうに豹変しても驚かなかった。でも、驚かなかったのは、ヴィオラの豹変にまでだ。その言葉に対し、リディアが過剰に反応するのは予想外だ。


「あら、平民だからというだけで、私のパートナーの相応しくないとおっしゃるの? それは我がホーリーローズ家の当主が女性であることを、遠回しに揶揄しているのかしら?」

「なっ!? どうしてそのような話になるのですか!」


 ヴィオラは意味が分からないと言わんばかりに動揺した。


「お母様も、女性に生まれたから、という理由だけでずいぶんと苦労しています。ですから私は、アルトさんが平民だから、という理由だけで見下したりはしませんわ」

「そ、それとこれとは話が別でしょう!?」

「本質的に同じだと申し上げているんです」

「また、貴方はそうやって屁理屈を……っ」

「理屈で負けそうになったら、屁理屈だというクセ、おやめになったらいかがですか?」

「こ、このっ! 人がせっかく忠告してあげているのに――っ」


 ヴィオラが怒りにその身を震わせる。刹那、彼女の身体が誰かに押されたようにつんのめった。瞬間、踏みとどまろうとした彼女が振り上げた手にはワイングラス。

 半ばまで注がれたワインが、弾みでグラスから飛び出した。


 おそらく、意図した行為ではないだろう。

 その証拠に、ヴィオラの顔は驚きに染まっている。


 だけど、理由がなんであれば、グラスからワインがぶちまけられたのは事実だ。

 そして、ワインの飛沫が向かう先には俺の身体があった。このままだと、ヴィオラが怒りにまかせて、俺にワインをぶちまけた――と、周囲の者は思うだろう。

 だから、俺は身体能力に任せてさっと身を翻した。

 だけど――


「……え?」


 呆けた声は、誰の口から零れたものか。俺が飛沫の行き先から退避するのとほぼ同時、とっさに割り込んだリディアのドレスがワインの飛沫を受け止めていた。

 

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