最後の花火

ミドリ

海の花火

 春が近くなってきた。


 震える腕をさすりつつ、砂浜を歩く。ウェットスーツを着ていても、冬の海は寒い。


 俺の後ろから、井上が追いついてきた。


「なあ遠藤! お前今夜暇?」

「今夜? 別に何も予定ないけど」


 本当は踊りたくなるくらい嬉しいのに、どうでもよさげな表情を浮かべる。


「俺ら、今度引っ越すだろ。そう簡単にこっち来られなくなりそうだし、お別れ会しようぜ」

「ふーん」

「冷たいなあ。着替えたら集合な! 他の奴らにも声掛けてくる!」

「ああ」


 井上が、海の方へ戻っていった。俺は、奴の後ろ姿を見て、泣きそうになる。


 俺は無愛想だし、人と話すのは苦手だ。高校で友達が出来なくて鬱々としていた時に、近くの海をふらついたことがあった。その時、遠くから俺を見つけて飛んできたサーファーが井上だった。


 同じクラスの、いつも中心にいる明るい奴。俺とは縁がない人種だと思っていたから、俺の名前を知っていて驚いた。あれよあれよという間に体験に参加させられ、へっぴり腰でサーフボードにへばりついた俺を見て楽しそうに笑った井上の顔が忘れられなくて、勧められるまま通うことになった。


 レンタルは出来ても、レッスン料は高い。自前のを買えばいいと教えられ、海の家でバイトをし、サーフショップでもバイトをする内に、井上と俺はいつも一緒にいる様になった。


 もてるのに彼女を作らない井上は「バイトが忙しいし、お前と海に入ってる方が絶対楽しいもんな!」と晴れやかな笑顔でいつも言ってくれた。それがどんなにか俺の心を温めてくれたことか。


 それがどんなにか俺の心を締め付けてきたことか。


 俺はいつの間にか、井上に惚れていた。引っ込み思案だった俺に新しい世界を見せ、俺の背中を押して世界は広いと教えてくれた井上は、俺にとって太陽だ。


 高三になっても俺たちの関係は変わらなかったけど、受験を経て、二人とも東京の大学に進学が決まった。


 でも、そこにもう海はない。


 俺と井上は、海で繋がっていた。金がないと二人でバイトをし、貯めたお金で買ったウェットスーツを自慢し合った輝いていた日々は、眩い海原の記憶と共にここに置き去りにされるだろう。


 俺は、井上がいたからサーフィンを続けていた。井上がいなくなれば、きっともう続けたいとは思わない。


 いっそのこと、告白して玉砕してしまおうか。そうも考えたけど、弱虫な俺は、僅かな繋がりすら断たれるのが怖くて出来なかった。



 仲間五人でファミレスで散々飲み食いした後、寒風吹きすさぶ浜辺で花火をすることになった。


 俺以外の奴らは、花火片手に走り回って大はしゃぎだ。俺は腹一杯で苦しいと言い訳し、砂の上に座ってその様子を眺めていた。苦しいのは胸だった。もうこういう時間を共に過ごせないのかと思ったら、苦しくて走り回れないと思ったのだ。


 コンビニでおやつを買う流れになったらしく、他の三人が連れ立って向かう中、井上が花火を持って俺の隣に座る。


「お前、少食過ぎだろ」

「お前らが食い過ぎなんだよ」


 差し出された花火を受け取ると、井上が俺の花火に火を点けた。鮮やかなピンクの火花が咲き始めると、井上は自分の分をくっつけてくる。暫くして、井上の方も綺麗な花を咲かせ始めた。


「なんか寂しいな」


 小さく笑う井上。


「そうだな。お前も元気でな」


 他に何て言えばいいのか分からなかった。嫌なのに、涙が滲んでくる。井上に見られたくなくて、そっぽを向いた。


「おい遠藤、なんでお前さよならするみたいな言い方を」

「だって、会わなくなるだろ」


 鼻水が垂れてきて、つい啜ってしまった。ハッと息を呑む井上。


「おい、遠藤……」


 井上が俺の肩を掴む。俺は身体を捻ってそれを跳ね除けようとしたけど、花火を持つ手首を掴まれてしまった。


「は、離せよ!」


 花火が井上に当たったら危ないと思って顔を向けたタイミングで、涙が頬を伝う。


「……遠藤、泣いてんのか?」

「煙がしみたんだよ!」

「お前の方に煙流れてないだろ」

「……っ」


 井上が、俺の手首を更に強く握った。……なんで震えてるんだろう。


「……井上?」


 寒いのか? そう続けるつもりだった。だけど、いつも笑顔の井上の顔に浮かんでいたのは、見たこともない表情だった。


 俺の方の花火が終わり、光が半減する。


「俺……期待、していいのか……?」

「……どういう意味だよ」


 俺が期待する様なことを言うんじゃねえ、と思う。


「俺……自分の一方通行だとずっと思ってたんだ」

「だから何がだよ」


 井上の花火も、消えていく。


 そんな中、瞳を輝かせた井上の顔がどんどん近付いてきた。


「お前、俺のことが好きか?」

「……ばか言ってんじゃ……っ」


 嗚咽が止まらない。嘘だろ。


 花火の最後の光が消え、海の闇に浮かぶのは、遠い街の明かりを反射した井上の期待に満ちた瞳だけ。


「俺は、お前が好きだ」


 暗闇の中、柔らかいものが唇に重なった。


「うう……っ!」


 俺は返事の代わりに井上の服を掴んで引き寄せると、井上の肩を嬉し涙で濡らしたのだった。

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