父親殺し

うめ屋

*


「あいつ、とうとうくたばったわよ」


 仕事終わりのころ、端末に残されていた大量の着信へ折り返したときの母の第一声である。

 その瞬間のぽっかりとした清々しさを、どう表現すればよかっただろう。見上げたビルとビルの合間から、ばら色に染まり始めた夕暮れの空が覗いている。

 私は耳に端末を当てたまま、そう、と間の抜けた返事をすることしかできなかった。


*


 母が〈あいつ〉と呼び捨てるのは、彼女の夫、すなわち私の父のことである。

 うちはいわゆる機能不全家族というもので、彼ら夫妻は私が就職した年に別居を始めた。以来、母は没交渉を貫いてきたようだが、今日になって警察から連絡があったらしい。父がアパートで孤独死しているのが発見されたのだ。

 父と母はいまだ法的には夫婦のままなので、遺族として対応を求められているわけである。なんだかいろいろとややこしい手続きが必要だから、お前もすぐに帰ってこいというのであった。


「あの男は生きてたころから碌でもなかったけど、死んでからも私に迷惑をかける」


 母は呪詛のようにぶつぶつと愚痴を吐き続けている。私はそれを適当に聞き流しながら駅までの道のりを歩き出した。

 うん、うんと母の呪詛に相槌をうち、ほどのよいところで口を挟む。


「とにかく、靖仁やすひとさんにも連絡取ってそっち帰るから。お母さんは待ってて」

「もう私疲れたわよ。なんでもいいから早く帰ってきなさい」

「うん、お疲れ様。ちゃんと食べて少しでも休んでね」


 ああ、また母を喜ばせるためのおべっかを使っている。

 そう思ったが、母は私の「ちゃんと食べて少しでも休んでね」の最後の「ね」まで聞かないうちに電話を切った。

 いつものことだ。口の中に苦いものが広がったが、その一方で私は端末をすばやく操作して新幹線のチケットを予約していた。とにかく、一番早い便。

 それからようやく、夫の靖仁に電話をかける。繋がらなかったのでメッセージを送っておいた。

 そのころには駅に着き、私は実家がある土地のタクシー会社に連絡をする。向こうの最寄り駅へ着く時間に合わせた車を一台予約し、先ほど取ったばかりのチケットをICカードで受け取って改札に入った。

 構内のコンビニでお茶を買っている最中に、夫から着信がくる。肩に端末を挟みながら支払いを終え、ペットボトルを抱えたまま説明した。

 夫はおれもすぐ向かうよと言ってくれたが、無理はしないように伝える。彼とて働いている身の上である。それに、夫をあまり実家には近づけたくない思いもあった。

 到着のアナウンスのあと、プラットフォームに新幹線がすべり込んでくる。

 私は予約した座席番号のところに腰を落ち着け、窓ガラスに額をもたせかけた。

 発車のベル。車体は独特の浮遊感をともなって走り出し、きらめく街明かりを彗星のように押し流してゆく。

 実家から新幹線で約二時間。家を捨てて逃れた私が、身を縮めるようにして根づいた街。


*


 私の物心ついたころの最初の記憶は、両親が争っている光景である。

 母がヒステリックに甲高い声で叫び、激高した父が手を上げる。母は泣きながらなおも叫ぶ。


 あんた頭おかしいわよ、あんたの母親も父親も、あんたの家はみんなおかしい! そんな親に育てられたからぼんくらなのね!

 おかしいのはお前だろうが!


 父が母の腹を蹴り倒す。倒れ込み、身体を丸めてうめく母を何度も何度も。

 部屋の隅で硬直していた私は堰を切ったように泣き出した。おかあさん。おかあさんが死んじゃう。もうやめて。おとうさんもうやめて。

 だが、実際には私は母の前に飛び出していくことも、父の足にすがりついて止めることもできなかった。鼻を垂らしてびいびい泣き喚いていただけである。あのとき母を助けられなかった罪悪感は、私の中に影を落とした。

 父は不器用な人であった。

 父の母、つまり私の父方の祖母が変わった人で、父はいまでいうネグレクトに近い扱いを受けていたのだろうと思う。かといって私の父方の祖父も気の弱い人だったので、苛烈な妻に抗いきれなかったようだ。

 父はおそらく、誰に守られることもない子ども時代を過ごしたのだと考えられる。それゆえに、コミュニケーションを取ろうとしても社会の常識がいまいち通じず、どこかちぐはぐなところがあった。

 母方の家は、おおむね真面目で社会的に問題のない人たちである。

 ただし古い農村のど真ん中に暮らしていたので、強固なムラ社会と恥の意識に縛られていた。目立たず騒がず、近隣との和を保ちながら畑仕事にいそしみ、女は年ごろになったら嫁いで新しい家を守る。

 当時としては遅く二十五を過ぎても良縁のなかった母は、ストレスのあまり血便が出るほど両親に結婚を急かされたという。

 そして両親がほうぼうから持ち込んだ見合いを繰り返し、半ばやけくそで同県出身の父を選んだ。最初から、相手のどこに惹かれたというのでもない婚姻だったわけである。

 噛み合わない父と母の溝は年々広がり、私が小学校も高学年になると家庭内別居状態と化していた。

 父は会社でも疎まれていたのか、かなりの閑職に回されていたようだ。いつの間にか仕事を辞め、ほそぼそとしたアルバイトとわずかな祖父の遺産を食いつぶすことでしのぐようになっていた。

 母はそうした父を軽蔑し、パートに出ながら父の愚痴ばかりを私に聞かせる。

 私はやはり女であるので、どちらかというと母に同情的だった。幼いあの日の罪悪感もあっただろう。父というのは、男というのは碌でもない、女を苦しめるだけの生き物だと刷り込まれた。


*


 マナーモードにしていた端末がぶるりと震える。夫からのメッセージだった。

 私と夫のぶんの喪服や数珠は用意したと告げ、他に要るものはないかとあたたかな口ぶりで訊ねてくれる。私の母のために総菜でも買って行こうかとまで言ってくれていた。

 私は礼を述べ、気を遣わないように返信する。OK、とおおらかな子熊のスタンプが返ってきた。

 夫は私の父と異なり、こういう細やかな気遣いのできる人だ。いまだに、私はなぜこのような人と結婚できたのかしみじみと不思議な心地がする。

 結婚なんて、絶対しない。そもそも私のような女が、結婚できるはずもないと思っていたのに。

 夫の家庭は、機能不全ではないごくまっとうな家庭である。

 少なくとも私の目からはそう見える。夫自身は、うちにも取っ組み合いの喧嘩はあったよと冗談交じりに語るけれども。

 だが、たぶん彼の家の夫婦喧嘩は私の家とはどこかが違い、家庭に対する感じ方も彼と私ではなにかが違うのだ。その差が私の耳の奥に、ときおりかすかな不協和音をもたらす。

 夫は与えたがりの気質で、まめまめしく他人に愛情を注げる人である。私の家の屈折した事情を受け入れ、たまに不安定になる私の泣きごとにも根気強く付き合ってくれる。よくできた人である。

 こういう男性だったからこそ、私は絶対しないと決めていたはずの結婚に踏み出した。得難い縁であったと思う。

 けれども私が過去の亡霊に憑りつかれ、泣き喘ぎながら両親のことを語るとき。家庭や子育てというものに対する、互いの意見を交わし合うとき。

 私はまるで、長年日本に住み慣れた外国人と会話している気分になる。

 生活様式も、ものの見方や文化慣習もひととおりは通じている。日常を送るうえで不便はない。

 しかしふとした瞬間に小さなズレを見出し、ああそういえばこの人は外国人だったのだと気づく。引っかき傷にも似た違和感だ。

 そしておそらく、この社会の中では私のほうがマイノリティの異邦人なのである。だから、ときどき息苦しい。


「でも、ご両親だってきみのことを愛しているわけだしさ。それは間違いないと思うよ」


 夫がときおり、私にくれる慰めである。

 おだやかに包み込む口ぶりで、見守るような笑みをたたえて彼はそう言う。揺るぎない大樹のようだ。そのように慰められると、私は反論を喉の奥に押し込めざるをえなくなる。

 じゃあ、愛しているなら何をしてもいいっていうの?

 死んでも父のようにはならないと、高校も大学も特待生として通ってきた。学費はアルバイトと奨学金でまかなった。

 安定した企業に勤めて、定期的に母のご機嫌伺いに顔を出して。カウンセラーのように母の心に寄り添い、私はお母さんの味方なんだよと頷き続けた。

 だが、ひずみはどこかで亀裂を生じる。

 就職して実家を離れ、独り暮らしを始めたころから私は不安定になった。

 ものを食べては吐き戻し、便器にすがりついて吐しゃ物にまみれる。一度吐いてしまえば楽になり、日中はけろりとした顔で仕事に励んだ。上司や同僚とくだらない話をして笑い合うことだってできる。

 しかし独りきりの家に帰れば手足が震えた。わけもなく涙があふれて、けだもののように吼え転がりながらガリガリ床をかきむしった。包丁を持ち出したことも一度や二度の話ではない。ここで手首を切れば楽になれる。父と母に復讐できる。

 ここまで私を追い詰めた父母は「愛しているから」の免罪符で他者に許される。なのに私は、どうしてこうまで苦しまなければならないのか。

 私は心の底の底で、両親を怨んでいた。

 だから父が死んだと聞かされたいまでさえ、私の心には一片の哀しみも浮かんでいない。


*


 実家の駅に降り立った途端、母から電話がかかってきた。まだ着かないのか、とキンキンした声で私をなじる。

 もう、これからタクシーに乗るよと母をなだめた。母は年を追うごとに、駄々をこねる子どもじみたおばあさんになってゆく。

 母との会話は疲弊するので、あまり長くしていたくはない。私は嘆息して通話を切り、待たせていたタクシーの運転手に謝って乗り込んだ。

 古い家並み、さびれた商店、空き地に畑。

 車は行き過ぎるごとに田畑を増し、陰鬱な街灯だけがともる農道を進んでゆく。この道そのものが、死者を送る黄泉平坂かなにかのようだ。

 私は子どものころに見た、亡き祖父の葬列を思い出した。

 南無阿弥陀仏の旗をかかげ、棺を担いだ男たちがぞろぞろと田んぼ道を下ってゆく。女たちは棺に結んだ白い帯を繋ぎ持ち、村役が高く高く銅鑼を鳴らす。


――あいつ、とうとうくたばったわよ。


 深まりゆく闇の中、母の苦々しい第一声が耳元によみがえる。

 きっと母が死ぬときには、私が同じ台詞を心の中で唱えるのだろう。表向きは、殊勝に親を送り出すひとり娘を演じながら。


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父親殺し うめ屋 @takeharu811

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