愛する君との美味しい食卓

我破 レンジ

馴れないことも一度はやればできるようになる――

 あっ、どうもこんにちは。あなたが先日電話をしてきた記者さん? よくぞお越しくださいました。いえいえ、そちらもお仕事でいらっしゃっているとはいえ、私にとっては立派な客人ですから。


 まぁとにかく上がってください。お茶とお菓子も用意してありますから。遠慮なさらず。


 ここが居間になります。どうぞ、そちらの椅子へ。


 さて、まず何からお話すればよろしいのでしょうか?


 ふむ、私が料理を作り始めたきっかけ? はぁ、やはりまぁ、そこからですよね。


 いやしかし、しがない中年男が普通の家庭料理を作ったってだけでこんな話題になってしまうとは。私はただ妻のために、一生懸命包丁をふるっていただけですよ。それが地元のテレビ局が話を聞きつけてニュースにしてからというもの、あれよあれよという間に全国のお茶の間の人たちにそれが知れ渡って。世の中はそんなに美談というものに飢えているのでしょうか。


 いや、私自身は美談とも何とも思っていませんが、報道される内容や再現ドラマの中だと、私が聖人のように描かれていて困ったものです。実際の私はあんなによくできた人間じゃありませんよ、まったくお恥ずかしい。


 あ、失礼しました。いきなり話が横にそれてしまいましたね。えー料理を始めたきっかけ、でいいんですよね。


 私はもともと、東京の大田区で健康補助食品を取り扱う会社を営んでいました。まぁ会社と言っても社員は二〇人ほどのこぢんまりとしたものです。それゆえに、何度か経営がピンチになったこともありましたが、その度献身的な社員たちと、そして素晴らしい妻に支えられて、なんとかやっていくことができました。


 そう、なんといっても、私にとって妻の真由美の存在は大きかった。


 真由美と出会ったのは、私がまだ若いころ、大手商社のサラリーマン時代にとある取引先の企業に行った時でした。彼女はそこで事務職を勤めていて、たまたまその姿が目に入ったのです。えぇ、一目惚れってやつですね。当時はまだバブルの真っただ中で、どこの会社のOLもイケイケな雰囲気を醸し出していたものですが、彼女は他の女性たちとは違ってどこか垢抜けていなくて、それが私には新鮮に映ったのです。聞けば、福島から上京してまだ一年も経っていないということで、彼女と共に東京をあちこち遊びまわりました。東京タワーに六本木のスクエアビル、ジュリアナ東京では朝から晩まで二人で踊り狂いました。真由美とたくさん笑いあって、たくさん抱きしめ合って……二人だけの青春を謳歌しました。


 そして私からプロポーズを申し込んで、晴れて夫婦となったわけです。まさに、幸せの絶頂期と言ってもよかったでしょう。


 しかしそんな時に限って足はすくわれるものですねぇ。結婚式を挙げた翌年にバブルが弾けて、職場の経営状態が一気に危うくなってしまったのです。立て直しの努力もむなしく、結局早期退職者を募ることになりました。悩みましたよ、会社を辞めて新しい道に踏み出すか、それとも最後まで組織に忠義を尽くすか。しかし結局、私は前者を選びました。これまでお世話になった会社を去るのは忍びなかったですが、沈みかけている船に乗っかって、結婚したばかりの真由美までどん底に引きずり込むようなことがあってはいけませんでしたから。


 さて、こうして会社を退職することに決めたわけですが、問題はそれから先のことです。再就職も考えましたが、ちょうどその時代からサプリメントが普及し始めて、世の中も健康志向が強くなっていった。これは絶好のチャンスだと確信しましたよ。ちょうど退職した会社に勤めていた時、海外製の貴重な健康補助食品を輸入する会社と取引を持つ機会があったものですから、サプリメントに関してはちょっとした知識とつてを持っていたのです。私は信頼する友人たちと共に、新しい会社を立ち上げることにしました。


 振り返ると、あのころから妻には苦労をかけ通しでしたね。新会社の立ち上げには当然資金が必要ですが、バブル崩壊後の大不況の真っただ中では、どの銀行も資金を貸し渋りました。だから私が経営責任者として、道端の小銭を拾い集めるようにあちこちを駆け回って、資金集めをしなければならなかった。家に帰るのはいつも深夜でしたよ。妻は大概先に寝てしまっていましたが、それでも夕食は欠かさずに用意しておいてくれた。真由美は本当に献身的でした。新会社の仲間たちを急に自宅へ招くことになっても、いやな顔一つせず彼らをもてなしてくれました。


 そうして新会社は無事設立できましたが、本当に大変なのはここからでした。まず、競合他社との戦いです。世の中の健康志向に商機を見出したのは、私だけではありませんでした。様々な企業がサプリメントの販売を始めたのです。取り扱う商品はどこも同じようなものですから、売り上げの最後の決め手は営業の腕です。私も朝から晩まで、取引先を奔走しました。どこのライバルも必死だったし、私も死に物狂いでした。しかし、これぐらいなら想定の範囲内です。需要があるのなら競争は必ず起こるものですし、そんなことをいちいち嘆いてなどいられませんよ。


 私にとって想定外だったのは、真由美が不妊症であったと判明したことです。子どもがなかなかできないことを気に病んだ真由美が、私に内緒でこっそり検査を受けていたのです。そして医者から、子どもを授かれる可能性は限りなく低いと言われたのです。


 彼女が病院で結果を聞いたその日、私が家に帰ってくると、玄関で真由美が待っていました。その目に涙をためて、あなた、ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も何度も私に謝ってきました。最初は訳が分かりませんでしたが、理由を聞かせてもらって、私は彼女を抱きしめました。君は何も悪くないと、何度も何度も慰めました。二人で一晩中泣きましたねぇ。


 こうして子どももいないまま、仕事に邁進する日々が続きました。気が付けば、結婚して二六年が過ぎようとしていました。私の会社も何度かピンチを迎えましたが、先ほども申し上げた通り、現在もなんとか存続しております。最近、特に有能な若手社員が入ってきてくれましてね。自分で言うのも難ですが、昔の私に似てとても働き者なんです。将来的に、彼に会社の経営権を譲ってもいいかもしれないと考えているんですよ。


 少々、喉が渇きましたね。いやはや、一気に喋り過ぎました。お茶を一杯飲ませてください。よろしければあなたもどうぞ。カモミールティーです。私はこの銘柄のカモミールが大好きでして。そこに一緒に置いてあるアメリカ産のクッキーと、とても相性がよいのです。


 さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからが例のお話です。


 今から五年前。真由美が突然外出先で倒れてしまいました。近所のスーパーへ買い物に行っていたところ、急に眩暈がして、そのまま意識を失ってしまったのです。気が付いたら病院のベッドにいたと、急いで駆け付けた私に話してくれました。


 私は病院の医者に、彼女は何かの病気にかかったのだろうかと尋ねました。医者は目立った異常もないので、おそらく貧血によるものだろうと説明してくれましたが、思い返せばこの時点で、もっと精密検査をやらせておけばよかったのかもしれません。まぁ、後悔先に立たずですが。


 その日を境に、真由美はゆっくりと体調を崩していきました。これまで当たり前にやっていた家事ができなくなり、ずっと寝室のベッドに横たわるようになりました。身体に力が入らなくなり、顔色も目に見えて悪くなっていきました。特に食欲の低下は深刻で、ときどき私が買ってきた総菜屋のお弁当を食べようとしてくれるのですが、それも少しっきりで、さほど栄養にはなりませんでした。身体が拒否反応を示しているようでした。医者にももちろんかかりましたが、内臓にも目立った異常はなく、原因は不明とのことでした。


 私は焦りました。彼女のことが心配でなりませんでした。真由美が臥せってからというもの、家は洗濯物と不用品で溢れんばかりになりました。彼女に家事を任せっきりにしてきたツケが回ってきたということです。


 真由美は日に日に衰弱していきました。頬はやつれ、目は落ちくぼみ、身体はやせ衰えていきました。何度か入退院を繰り返しましたが、症状は一向に改善しません。


 途方にくれる思いでした。これまで、私をずっと支えてきてくれた真由美が、なぜこんな目に遭わなければならないのか。彼女にこれほど重い運命を背負わせた神を恨みたくなる一方で、なんとか助けてほしいとも祈りたくなりました。


 そうして四度目の入院をしたその日、病院のベッドで入院食を見つめながら、彼女がこんなことをつぶやいたのです。


 病院のご飯はとても味気ない。栄養を第一に考えて味は後回しだというのはわかっているけれど、叶うならば、また炊き立ての白米やお味噌汁、サバの塩焼きと、そしてほうれん草のおひたしを味わいたい。今は身体が受け付けなくなっているけれど、それでも、あなたと共にしてきた数少ない食事を忘れることはできない。


 真由美が言った料理は、彼女が初めて私にふるまってくれた手料理だったのです。


 それを聞いて、私は決心しました。次の真由美の退院日までに、今度は私の手作りで、彼女が望む料理を作れるようになろうと。それが今まで自分を支えてくれた彼女への、せめてもの恩返しでした。


 とはいえ、ただでさえ家事をやってこなかったというのに、いきなり料理とあってはさらに難題です。なにせ台所に立つ機会と言えば、せいぜい湯を沸かしてカップ麺に注ぐぐらいでしたから。真由美が入院して一人で生活している間、カップ麺と総菜屋の弁当が私の主な食事という体たらくでした。


 何はともあれ、実際にやってみないことには何事も為せません。まずは、お米をといでご飯を炊き、みそ汁を作ってみるところからスタートしました。炊飯の方はさほど苦労はしませんでした。季節が冬で水の冷たさが身に沁みましたが。しかしみそ汁では大失態を犯しました。乾燥わかめを袋に入っていた量の半分ほども入れてしまったのです。乾燥した状態のわかめはずいぶんと小さいですから、これくらいはいれないと物足りないだろうと判断してのことですが、おかげで鍋の中はさながらわかめの養殖場でした。そして出汁も取り忘れていたせいで、味にも旨みがありません。我ながら、あんなにまずいみそ汁を飲んだのは生まれて初めてでした。


 サバの塩焼きにも挑戦してみました。スーパーで既におろされたサバを買ってきたまではよかったのですが、火加減がよくわからず、せっかくの新鮮なサバも真っ黒焦げです。おまけにサバを焼いたコンロのグリルの清掃法も分からず、油でベトベトになった受け皿に触るのも気色悪いったらありゃしなかった。


 そんなこんなで、私の料理修行は前途多難を極めました。真由美はから揚げも好きだったのを思い出してチャレンジしてみたのですが、たった七個のから揚げを調理するのに二時間もかかった挙句、外の衣はまるで炭、中身は生焼けもいいところという、今となってはどう作ったらそうなるのかわからないものさえできてしまう有様でした。


 改めて、真由美の凄さを痛感しました。これほど繊細さを求められる作業を、彼女は文句も言わず続けていたのか、とね。


 本当に、彼女のことを思い出すと……あぁ、すみません。ティッシュなんていただいてしまって。どうしても涙が出てきてしまうのです……。そうだ、このクッキーを一枚、いただいてもいいですか? いや、私のものだからといって取材中にお菓子を食べるのは非常識ではないかと。はい、気を紛らわせることができれば……そうですか、ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……。


 うん、やはりこのカモミールとの相性は抜群ですね。このお茶とクッキーの組み合わせ、実はもともと妻が勧めてくれたものなのです。あなたも召し上がってみてください。


 どうです? クッキーのほんのりとした甘みとカモミールの爽やかさとが絶妙にマッチするでしょう?


 これもまた、彼女との思い出の味ですねぇ……。

 

 さて、取り乱してしまってすみませんでした。話を元に戻しましょうか。


 料理というものは、まったく一から身に着けるとなると私にとっては難儀するものでした。野菜の切り方、出汁の取り方、食材の焼き方さえきちんと決まった順序がある。先に炒めるのは肉類で、野菜類はその後。そんな基本もわからなかった。羅針盤なしで大海原を航海するような気分の日々でした。


 しかし、それでも私は必死に台所に立ち続けました。指先に何度も絆創膏を貼って、フライパンの上を跳ねる熱い油に怯みながらも、着実に調理の腕を上げていきました。会社の社員たちにも私が作った料理を食べてもらいました。家に招くこともあれば、私がタッパーに入れて職場に持っていくこともありました。特に経理担当の女子社員のアドバイスには助けられました。彼女はシングルマザーでしたが、会社の設立当初から勤めてくれていて、こと料理に関しては詳しい知識と経験を持っていたので、私も大いに参考にさせてもらったのです。


 すべては、満足にものも食べられず、衰弱してゆく真由美を、なんとしても喜ばせるためでした。


 そして、ついに真由美の五度目の退院日がやってきました。


 帰りの車の中でも、助手席の彼女の表情は晴れませんでした。入院食で最低限の栄養はとっているものの、それで元気が出るはずもありません。ぼんやりと外を眺めるだけで、私と会話をしようともしませんでした。


 しかし家に帰って玄関を開けた途端、彼女の様子に変化が訪れました。最初はいぶかしげに、しかし次第に確信を持ってゆくように、鼻をひくひくとさせながら、しっかりとした足取りで居間に向かったのです。


 そして、テーブルの上に並べられた料理の数々を見て、唖然と立ち尽くしていました。


 白い湯気を放つ炊き立てのほかほかご飯に、鰹節とこんぶから取った出汁と味噌を合わせたみそ汁。大根おろしを添えたサバの塩焼きに、これも出汁汁をしっかり入れて味付けしたほうれん草のおひたし。


 すぐに、私が手作りで調理したものだと悟ったのでしょう。私を見つめながら、すこしの間だけ無言になり、そして大粒の涙を流しながら、私に抱き着いてきました。


 ありがとう。ありがとう。あなたがこんなことをしてくれるなんて思わなかった。こんなに美味しそうな食事は初めて。こんなに幸せだと思えるのも、初めて。


 そう彼女は言っていました。


 私たちはテーブルに座って、互いに向かい合って、両手を合わせました。そして二人で声を合わせて言いました。


 いただきます。


 こんな当たり前の言葉が感慨深く感じられたのは、あれが最初で最後でしょうね。


 それ以来、彼女は私の作る夕食を、毎日毎日、美味しそうに食べてくれました。車で築地まで行って、新鮮な魚介類を買ってきて、特製のシーフードパスタをふるまったこともあります。それも美味しい美味しいと、幸せそうに食べてくれたものです。


 そうして、幸福に包まれながら私の料理を食べてくれる彼女を眺めるのが、私にとっても幸せでした。


 ただ一つ喜べなかったのは、どれだけ美味しいものを食べさせても、彼女の衰弱を止められなかったことです。いくら食事をしても、由美子はどんどんやせ衰えていったのです。まさに奇病でした。


 テレビ局で私のことが紹介されたのもこのころです。全国から励ましの手紙や電話をいただきました。あまりに数が多くて、いささか困ってしまうくらいでしたよ。


 真由美が最後に入院したのが、去年のちょうど今ごろでした。彼女の身体は、ほとんど骨が浮き彫りになっていましたが、むしろ生気はみなぎっていました。


 私が病室から去ろうとする直前、彼女はこう言いました。


 あなた、今度の入院はなるべく早く帰ってくるね。私が帰ってきたら、きんぴらごぼうを作ってほしいな。辛さは控えめで、砂糖をちょっぴり入れて甘めにしてね。


 私も笑顔で、わかったと承諾しました。病院のエントランスから外に出ると、彼女の病室の窓が開いていて、真由美が微笑みながら手を振っていました。私も同じように微笑みながら、手を振り返しました。


 その二日後、病院から連絡がありました。真由美が危篤状態になったと。私は大急ぎで病院に駆けつけました。


 真由美は呼吸器に繋がれ、静かに目を閉じていました。まるでこれからやってくる死を迎え入れる覚悟を決めようとしているように。


 私は呼びかけました。真由美、聞こえるかい? 真由美?


 妻の口が、わずかに動きました。私は耳を傍に寄せました。


 彼女はこう言っていました。



 あなた、一緒になれて、本当に、幸せでした。



 それが彼女の遺言となりました。真由美はそのまま、安らかに眠ったのです。


 真由美の葬儀には、両家の親族と友人たちに加え、多くのマスコミも駆けつけました。最後まで妻を愛し抜いた、最高の料理人。そんな風に新聞記事は書きたてましたねぇ。


 えぇ、今でも料理は続けていますよ。最近はお菓子作りにも精を出してましてね。あれもまた奥が深くて、実にやりがいのある趣味となっています。


 さて、以上が私と真由美のお話です。しかしこの程度のことなら、これまでさんざん新聞やテレビでお話してきたはずなんですが、なぜ今ごろになってまた取材に?


 はっ? 現在一緒に暮らしている家族ですか?


 なぜそれをご存じで? いや、隠す意図はなかったつもりですが。

確かに私は、先ほど話の中にも出てきた料理のアドバイスをしてくれた女性社員と、今年再婚しました。真由美を亡くして失意の底にいた私を慰めてくれて、次第に情がわいてしまったといいますか……。はい、今は出かけていますよ。


 今度は何ですか? はぁ、料理に隠し味を使っていなかったか……ですか?


 えぇ、それはもちろん。コンソメスープの時はほんの少しのしょうゆ、カレーにはコーヒーを少々。他にも様々な隠し味を試したものです。


 はぁ、チェンセイチーウア茸? 何ですかそれは? キノコの一種? 聞いたことありませんねぇ。おや、なんですこの紙の束は? そのなんとか茸の資料?


 ふぅむ、中国原産の希少種で、粉末にしたものを人間が摂取すると、次第に内臓機能を衰えさせ、特に食欲の著しい減退を引き起こしながら、最終的に死に至らしめる。無味無臭で、最近発見された新種であるため、検視の際も検査対象にされにくい……。


 これまた妙なキノコですねぇ。食欲をなくして人を殺すなら、そもそも食べる人はそれ以上そのキノコを食べようともしなくなるでしょう。


 記者さん、いい加減なことを言わないでください。まさかそんな、このキノコの粉末を真由美に摂取させ続けるために、私が美味しい料理を作るようになったと? 三流推理小説のトリックですよ。そりゃ中国との取引もありましたがね、そこで私がそのキノコを手に入れたなんて、論理の飛躍というものです。


 だいたい、私はずっと自分を支え続けてくれた真由美を本当に愛していたんですよ。なぜ彼女を私が殺さなければならないのです?


 保険金? 確かに受け取りましたがね、人ひとり殺してまで手に入れたいような額じゃありませんよ。


 息子? 子どもはいないと先ほど申し上げたでしょうが! 再婚した妻との間にだっていません!


 何ですって? 会社にも取材にも行っていたのですか? それが何だというのです?


 私に顔が似ていた? その例の若手社員が……ですか。


 なるほど。つまりあなたはこういう筋書きを考えているわけですね。


 私は以前から現在の妻と浮気していた。そして彼女との間に隠し子を設けていた。ゆくゆく浮気相手と一緒になり、隠し子に会社を継がせるために、邪魔な真由美をそのチェンセイチーウア茸で殺した。しかも保険金も手に入れられて一石二鳥と。


 なるほどねぇ。確かに食欲がなくなっていっても、愛する旦那が自分のために手料理を作ってくれたとなれば、嬉しさのあまりその料理を食べずにはいられないでしょうねぇ。


 ところで記者さん、先ほどから顔色が悪いですが、大丈夫ですか?


 実はですね、先ほど申し上げた通り、私はお菓子作りに凝っているわけですが、我ながらなかなかの腕前なんですよ。一目見ただけでは市販品と区別がつかないクッキーまで作れるぐらいにね。さっきあなたが食べたのは、私が手作りしたクッキーですよ。味も形も本物そっくりですが、ちょっとだけ隠し味を加えてあります。まぁ何を加えたかは、お伝えする必要はないでしょう。先に私が食べたのを見て油断したようですが、あれが一個だけ置いてあった市販品ですよ。


 おやおや、ずいぶんと苦しそうだ。味がお気に召しませんでしたかねぇ。まぁそこでゆっくりしていてください。いずれ楽になれますから。


 さて、そろそろ夕食の下準備をしておきませんと。もうすぐ愛する妻が帰ってきますから。


 今でも私にとって一番の幸せは、大切な人のために美味しい食卓を作り上げることです。


(終)

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