三章 万喜

第1話

 あれからまた再び清太郎が美鶴の家を訪問し、正式に婚約が決まった。その翌日、甘味処三つ葉に訪れた三人は、店主のハーさんに美鶴が結婚することを伝えた。


「アラッ、それでミッちゃんは嫁ぎ先が決まったって訳?」


「はい、そうなんです」


 少し恥ずかしそうに、でもはっきりした口調で美鶴は答えた。


 するとハーさんは一端目を見開いてふうーと深く息を吐くとしみじみと呟く。


「はーっ、女の子ってのはちょっと見ないうちに大人になってしまうのねぇ」


「まだ学校はやめないし、ここには来ますよ」


「そりゃありがたいけれど」


 その会話にうずうずしながら割って入ったのは万喜だった。


「それよりもハーさん、私たち夏休みに入ったのよ」


「あら、もうそんな時期なのね」


「だから来週から私たち御殿場に行くから、しばらくここには来られないの。お土産もってまた来るわね」


「あら寂しい。待ってるわ」


 万喜は何度も何度も待ち遠しいと連呼して、手帳に掻き込んだ待ち合わせの時間を確かめた。


「これで課題がなければ最高なんだがなぁ」


「美鶴、それはだれもが思っているの。言ったら負けよ」


 万喜はせっかくの旅行に水を差すな、と美鶴の耳を引っ張った。




***




 ――そして来る当日。新橋の駅前には真っ白なつば広帽子に淡いグリーンのワンピースを着た万喜が待ち合わせの時間よりもずっと前に待機していた。


「あー、みんなまだかしら」


 自分が早くに来たくせに、待ち遠しそうに万喜はそわそわ足を動かした。


 女学校の友達を別荘に連れていくのは初めてのことだ。


 万喜は誰にでも明るいし気前もいい。そんなだから友人は多かった。けれどどことなく一線を引くような、深いところに他人が立ち入るのを拒むようなところがある。


 だから別荘まで連れて行くのは美鶴と琴子が初めてなのだ。美鶴も琴子も一目見て気に入って万喜から声をかけた。この二人は性格は全然違うけど、共に万喜のご機嫌をやたらとったり変に遠慮したりということがなくて気持ちが良い。


「あっ、万喜もう来ていたの」


 すると遠くから万喜の姿を見つけた美鶴が駆けてきた。


「ええ、ずいぶん早くに目が覚めてしまったの」


「朝とはいえ、暑いだろう。そこの日陰に行こう」


「そうね」


 日陰に移動してしばらく待つと夏らしい白いシャツにズボン姿の雄一がやってきた。


「お待たせしました。あれ、琴子さんはまだですか?」


「ええ……あっ、そこに居るわよ」


 万喜が指さした先には仏頂面の琴子とその後ろに清太郎がいた。


「どうしてお兄様が一緒なの?」


 その顔はほとんど泣きそうである。


「私が来て欲しいって言ったのよ」


「万喜さん!」


「いいじゃないの、じゃないと雄一さんのお家がこの旅行を承諾しないでしょ。それに誰か困る?」


 当日まで秘密にして欲しいという万喜の言葉を、清太郎は守ってくれたらしい。


 思わずにやっとしながら万喜は答えた。すると蚊の鳴くような声が隣からした。


「……私が困る」


 見ると美鶴が真っ赤な顔をしていた。


「あらまあ」


「万喜、分かっていてやったでしょう」


 そんな恨みがましい美鶴の声を聞き流し、万喜は元気に一同に声をかける。


「それじゃあ行きましょう!」


 少しいたずらが過ぎた万喜だが、手を叩いて誤魔化し改札へと向かった。


 ここから別荘のある御殿場まで汽車で三時間四十分。そこから別荘近くまで夏期臨時バスが出ている。


「お茶はいる? おせんべいは?」


 旅のはじまりに万喜のこころは浮き立ち、そわそわと鞄を漁った。このかご鞄は今日の服に合わせて買ったお気に入りだ。


 そんな様子を見て苦笑しながら美鶴は万喜のトランクをぽんぽんと叩いた。


「万喜、まずは自分の荷物を荷物置きにしまって。ほら手伝うから」


「美鶴さん。僕がやるよ。ほら汽車は発車したら危ないから座ってて」


 その横で清太郎が美鶴の手から万喜のトランクをひょいっと奪い取った。


「わぁ~逞しい」


「万喜、自分の荷物でしょう」


 はやし立てた万喜を美鶴が真っ赤な顔をしてたしなめる。


 するとそんな二人の間に琴子が割って入った。


「もう喧嘩しないで、二人とも。これから旅は長いのよ。ほら、トランプや花札を持って来たの」


 琴子はまるで子供をあやすように言って、巾着から札を取りだした。


「じゃあポーカーしましょう、誰が一番勝つかしら。あ、いくら賭ける?」


「え、お金賭けるの」


 万喜が当然のような顔で賭けポーカーを提案する。そんな様子に琴子と美鶴は狼狽えた。


「あらだってその方がおもしろいじゃない。別に先生がいるわけじゃなし」


「だめだめ、保護者の立場として許可できません!」


 今にも財布を取り出しそうな万喜を止めたのは清太郎だった。


「あらぁ、清太郎さんは保護者だったの」


「……ある程度はね」


 その時、パンパンと雄一が手を叩いた。


「はい、汽車が出ますよ。揺れるから座った方がいいよ」


「はぁい」


 こうして列車は新橋を出た。


 三人娘に男二人を加えた一行は東京を後に、御殿場に向かって出発した。


「やった、いちあがり!」


「万喜さん強いわぁ」


 健全にはじめたポーカーでは、万喜が連戦連勝を重ねた。


 万喜は兄弟とよくポーカーをしていて腕に覚えがあったのだ。


 万喜以外の面子はその勝ちっぷりを見て「だから賭けポーカーなんていいだしたのだ」と思った。


「……でね、美鶴さんはその『いんちきメガネ』に相当目をつけられているの」


「ちょっと余計なことを清太郎さんの前で言わないでよ、万喜」


 そしてその後は際限の無いおしゃべり。


 万喜は普段の琴子や美鶴の普段の学校の様子を話したりした。二人は、特に美鶴はばつの悪い顔をしていたけれど万喜は見ないふりをした。


 そしてやがて、窓ガラスを細かく揺らす列車の振動が、一同を眠りに誘っていった。


「――あっ、ちょっとちょっと皆さん!」


 ふっと目を覚ました万喜は、外の風景を見て思わず声を上げ、寝こけているみんなをたたき起こす。


「え、なぁに」


「琴子さん! ほら見て!」


「あっ」


 万喜の指さす先には、海が見えた。


 キラキラ輝く夏の海に、琴子ははしゃいだ声を上げる。


 山間の街に生まれた琴子には、海は珍しいものだ。


「いいわねぇ。次回はきっと海に行きましょうね、みなさん」


 琴子の言葉に頷きながら、一同は風景を眺めていた。


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