第25話

 降りるとそこは地下水路だった。

 外気が流れ、苔の張った石畳の上に水たまりができている。

 空気が多少きれいになったので安心した。


 『ウーラノスの眼』で緑色に暗視されたトンネルの奥を眺めた。

 このマジックアイテムがなければ、左右も分からない漆黒の暗闇に違いない。

 驚異的な魔眼は、先にあるわずかな青の点を捉えた。


 後に来た女の魔法灯だろう。

 静かに後をつけると、やや広めの石造の部屋についた。

 角に身を隠していると、パッと光が広がり、部屋を照らした。慌てて、もと来た通路の暗がりに身を潜めた。


 先に入ったフードを被る人物が、女と何かを話し始める。

 『ウーラノスの眼』が何かを語る口を鮮明に映し出す。


「……まだ、見つからないのか?」


 フードを被った人物が声を荒げて、苛立いらだっている様子だ。

 女の前を歩いて、首を横にふると、さっとフードが落ちて顔があらわになる。

 王国衛兵隊長のタノスだった。

 大鐘楼だいしょうろうで向き合ったときと顔つきが変わり、眉間に深いしわを刻み、顔は青白く目はうつろだ。

 頭にたがのような金属の輪っかをはめており、額にその冠の紋様である、いばらの紋章が光っていた。


「いえ、『ウーラノスの眼』は見つかりました」


 聞き覚えのある女の声は、ニーサ・セアだった。


「それで、手に入れたんだろうな?」


「手に入れるには、まだ時間がかかります」


「……いい加減にしろ! 結局お前はハーズも殺せなかったではないか……! ウーラノスの心臓も手に入らなかった……お前は、決定的な所でしくじっている!」


 詰め寄るタノスににらまれたニーサは頭を下げた。


「申し訳ありません。しかし、その『ウーラノスの脳幹』があれば、三つ集まらずとも、いまクーデターを起こしても失敗の可能性は、ほぼないかと」


 タノスは歯を見せて醜悪な顔で、ニーサを見下ろした。


「それは……お前が判断することではない……!」


「助祭様。すでに王族への民の信頼はありません。あれだけの魔石が集まれば、さらに大量の魔物を生み出して、一気に王宮を廃墟にできるでしょう」


「そんなことは分かっている」ニーサの微動だにしない態度に、タノスはマントを翻して顔をそらした。「そのあとの治世を考えると、民が王を裁く必要があるのだよ。それまで何度でも魔物は街を蹂躙じゅりんするだろう。そして切り札に、ウーラノスの三種の魔法具が必要になる」


 俺が襲われたのは、ハネンの魔石欲しさも一つあるのだろう。

 それだけではなく、俺がクーデターの邪魔になると、先手を打っていたのだ。フェリガの手先であるニーサに、命を狙われた理由が分かった。

 しかし『ウーラノスの眼』の在処が分かったとは、どういうことだろうか? 眼は二つあったのか?


「……それを果たせば、私をフェリガ司教に会わせていただけますか……?」


 ニーサはタノスの背中に向かって声を上げ、切実に訴えた。


「もちろん。このウエストリバーがフェリガの安定した拠点になれば、司教様にも来ていただく」


 ニーサは無言のまま、膝をつくと片手で握りこぶしを作り、それをタノスが手のひらで包んだ。

 どうやら、フェリガの儀式めいた服従の印のようだった。


「それで、『ウーラノスの眼』はどこに」


「あちらに」と、ニーサは俺を指さした。


 !

 急に魔法灯が下りてきて、周囲が明るくなる。


 タノスも虚をつかれたようで、ニーサをいぶかしげに見やる。


「これはどういうことだ?」


「助祭様、いまこそが千載一遇のチャンスです。クーデターの障壁となるハーズと、『ウーラノスの眼』があそこに在ります」


「くっ!」タノスはニーサを捨て置いて、こちらに集中した。


 タノスの頭のリングが白く光り、『ウーラノスの脳幹』の力を使っているようだ。

 ハッとして、俺は振り返り地下通路をみると、すでにそこには巨大な白蛇が口を開けていた。


 ハグッッ!!


 俺は部屋に転がり込み、人ひとりを一瞬で飲み込みそうな口が通路手前で閉じる。

 通路に音もなく侵入してきたのは、巨大なヨルムンガンドだった。

 ミチミチと地下道一杯に、鱗が擦れ合い、蠕動ぜんどうさせて体を部屋に押し流す。


 ヨルムンガンドは途轍とてつもないスピードで食いつくと、俺は風の魔法で体を浮かせて、ぎりぎりでかわす。

 チョコレート色のコートの裾が、鋭利なヨルムンガンドの牙に引き裂かれた。


 俺は水分の多い空中で氷柱を作り出すと、風の魔法で勢いよく発射させた。


 パン!


 と、情けなくも乾いた音だけが響き、ヨルムンガンドは一切ひるむことなく、空中の俺に牙をかける。

 スピードの上がったヨルムンガンドの頭をよけた瞬間、横から白い塊が飛んできて、強烈な力に跳ね飛ばされると、壁に叩きつけられた。


 水溜まりに落ちて顔を上げる。

 ヨルムンガンドの尻尾の先端が、天井まで上がりうねっている。どうやら尻尾で払い打ちされたようだった。


 ――強い。以前退治したヨルムンガンドの比ではなかった。

 俊敏さと頑強さが異常だ。


 タノスは俺が地面に這いつくばる様子をみて、不敵に笑う。

 俺は今までの経験を以て、立ちはだかる白い大蛇の攻略法を考え始めた瞬間、ニーサが立ち上がり、何か機敏な動作をした。


「な……っ」


 湿り気のある石床に、カラリと乾いた音がのる。

 タノスの額に縦一直線の赤い線が描かれていた。

 『ウーラノスの脳幹』が真っ二つに割れて、タノスの足元に落ちた。

 タノスの額から赤い血が流れて、鼻筋を通り、地面に滴り落ちた。


「な、なにをするんだ……! ニーサ!!」


 タノスは事の重大さに気付くと、怒りを膨らませた。ニーサの方を見る頃には、すでにタノスの元をニーサは離れていた。


 ふと、タノスは我に返る。

 目の前にはヨルムンガンドの二又のヘビ舌があった。


 ハグッッ!!


 ヨルムンガンドの滑らかな白顎しろあごに、タノスの体は幕された。

 ヨルムンガンドは上を向いて、タノスを丸呑みする。


 奇声を上げながら、タノスはヨルムンガンドの喉を通っていく。暴れた手の形が、地面を這う胴体に小さく山を作った。


「あとは、こいつを倒せば、めでたしめでたし、じゃないかしら?」


 いつの間にかニーサが俺の横で、妖しく笑った。


「……さて、どうだろうな。あんたには、色々聞かなくちゃいけないことがある」


 ニーサはショートボウを背中から取り出すと、一瞬で矢を放った。横髪が長いまつげにかかって乱れる。

 矢じりは鱗に刺さったが、ヨルムンガンドは意に介さず、こちらに向かってきた。


「あら……。あなたの玉より頑丈そうね」


「下品な女は嫌いだな……」


 俺は風の魔法で空中に浮かぶと、ヨルムンガンドが反応して三角頭をかしげながらこちらを狙う。

 俺の体中から魔力が底知れず溢れていた。

 この大局の前に、休息が取れたことは大きかった。そして改良された『ウーラノスの眼』は、ヨルムンガンドの俊敏な動きを三度記録して、完全に把握できるほどの動体視力を享受していた。


 俺は飛び掛かってくるヨルムンガンドの口へ突入した。


 一瞬の間に、猛毒のある牙をかいくぐり、喉の奥深くに入りこむ。風を薄く纏い、消化性の液体に触れないようにした。

 ヨルムンガンドの胃液はあまりに危険と考え、喉付近で魔力を開放し、全力で風の魔法を唱えた。


 竜巻が肉壁を遠ざけ、自分の体の二倍、三倍と空間が拡大する。

 ――ここで爆発的にすべてを出し切らなければ、後はない……!!


「ぐあぁぁっっ!!」俺は叫び声をあげて、全力を出し切った。


 頭の隅が傷み、灼けつく。

 体の末端まで電撃が走り続けた。

 『ウーラノスの眼』が魔力に反応して、小刻みに振動する。


 限界を超えて風圧を高めると、ヨルムンガンドの肉の裂ける音が聞こえた。

 そして、大量の血液が辺りに飛び散ると、外の魔法灯が見えた。


 巨大なヘビの頭が部屋に落ち、口を開いたまま息絶えていた。

 長い体の断片から、どろりと消化中の食べ物が出てくると、タノスだった塊が横たわる。

 俺は風でタノスを持ち上げると、近くにある水路に漬けて、消化液を洗い流した。

 真っ赤に爛れた顔に、もはやタノスの面影はなかった。かろうじて息はしているようで、これからの尋問に支障はなさそうだ。


 そしてニーサの姿を探すが、すでにどこかへ行方をくらませていた。

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