第19話

 俺は袋小路に横たわるケルベロスの姿を吟味ぎんみした。

 本物の魔物であることはすぐに分かったが、まだにわかに信じられない。

 特別区があるこのウエストリバーは、王族を守るためにも強固な城壁で守られている。魔物が入り込む隙はない。


 少し歩くと頭だけが宙を浮いて、体がついてこない心地だった。

 ――さすがに疲れたし、まじで死ぬかと思った……。手当も含めて残業代をたんまりもらうか。

 惨烈さんれつな光景を見ていると、戦闘を思い返し、後から鳥肌が立つ。


 いますぐギルドに報告しなければ。

 そう思った瞬間、嫌な気配を感じた。


「ウエストリバーギルドで一番強いというのは、本当のようね」


 俺は聞き覚えのある女性の声に視線を向けた。

 いつの間にか、行き止まりの高いレンガ壁の上に人影がある。

 うっすらと見える足元は、革のブーツを履き、太ももには複数の短剣が充填されたホルスターが見えた。


 顔は見えないが、後ろにマントの形がひるがえると、暗殺者アサシンの服装を装備していることがうかがえた。


「ニーサ・セアか?」


 その影の気配が一瞬だけ柔らかくなり、微笑んだように思えた。

 そして次の瞬間に、強烈な殺気が迫ってきた。


「恨みはないけど、死んでもらうわ」


 経験からくる勘よりも先に、本能が戦慄せんりつした。

 俺は風の魔法で乱気流を作り、何かしらの飛び道具に備えるため、風のバリアを張り巡らす。ケルベロスの死体と血が、土埃つちぼこりと一緒に汚く巻き散る。

 女の影は背中から弓を取り出して、一呼吸もかず矢をつがえて放った。

 まばたきの一瞬。

 そのわずかな時間と光で、矢の軌跡を推測することはできなかった。

 風の力で引き裂かれた矢は、不規則な気流に流され分離すると、矢じりだけが俺の左目に突き刺さった。

 ニーサの影が、弓を撃った反動で、壁の向こうに後転して消える。

 俺はレンガの道に後頭部を打ちつけた。


***


 目を開けると知らない天井があった。

 のっぺりとした茶色で、ピントが合わせられず、材質が分からない。


「あ、起きた」エレナの声が聞こえた。


 右手をぎゅっと握られ、横から声が聞こえる。


「ハーズさぁん……。よかったぁ、よかったよ……」


 ハネンが真っ赤な目でのぞきこんだ。


「ここは?」


「病院ですよ。ハーズさん。酒場の裏通りで倒れていたところを、従業員が見つけたらしいですよ。左目に矢がぶっ刺さってたんで、確実に死んでると思われていたみたいですね」


 さっきから視点が合わず、今になって左目が無いことに気付いた。


「ウーラノスの眼……だったか、あれはどうなった」


「ハネンちゃんに見てもらおうとしていますが、まあ……こんな感じなんで、まだなんとも……」


「ハーズさぁん! 全然大丈夫じゃない! 嘘ばっかり……うぅっ……」ハネンは充血して、さらに赤くなった瞳をうるませている。


「悪かったな。俺も久々に負ける気持ちを味わったよ。しかし……」と俺は思い返して、ハッとした。「ニーサ・セアにやられたんだ! ニーサが街道に現れたモンスターと関係があるのは間違いない」


「へ? あの宵闇よいやみ通りの、できる女が?」


「エレナ、すぐにそのことを保安局に報告してくれ。それと、ハネン、君の力が必要だ、壊れたウーラノスの眼を直せないか、見てくれないか?」


「うぐっ……、分かりました……。私が必要なんですよね?」


 俺は上体を起こして、ハネンの両肩を握った。


「頼む」


「分かりました」ハネンはいつもの清々すがすがしい表情を取り戻しつつあった。


 しかし、俺の両手は震え始めて、気づかれないように毛布の中に入れる。


 ――ニーサ・セアとはもう二度と戦いたくない。……というか、ぜっったいにムリ! 勝てない自信がある!


 たった一撃でやられてしまった。あざやかな手口だった。

 思い返しただけで身震いして、早く義眼を修繕しゅうぜんしてくれと、ハネンに向かって心の中で叫んだ。


***


 あれから数日経ったが、ニーサの行方はつかめなかった。

 これ以上捜査を進めても進展しないと判断されて、ニーサの捜索は打ち切りになる。


 その事件以上に、ウエストリバーは厄介な問題を抱えた。

 街にモンスターが現れ始めたのだった。

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