第15話

 平日のパートは店長が愛華の父親という特殊なコネができて、順調だった。

 作業は格段に楽になり、苦手なレジも店長が気を利かせて応援に来てくれる。土日のシフトも断られたことがなく、優遇状態が続いていた。


 しかし生活を考えると、決して安泰ではなかった。

 今の生活を続けるだけなら問題ないが、小海が大学に行くための教育資金や、美沙や卓自身の老後の貯蓄は必要だ。

 もしかしたら急な出費もあるかもしれないし、怪我や病気になったときのことも考えると、今の貯蓄では安心できなかった。


 それに――美沙が夜の仕事をしなくても済むようにしたい。


 卓は夕食を片づけると、パソコンを開いて次の対戦相手の前回試合をリビングで見ていた。

 どちらのチームのパラメーターも画面には表示されておらず、分からないようになっている。しかしボールを奪い合った結果を表にして、実戦で比較できるように頭に入れる。

 そうすることで、敵の全選手のパラメーターを芋づる式に丸裸にできた。


 パラメーターは試合を重ねるごとに予想しやすくなる。決勝に上がるときには、お互いのパラメーターは分かったうえで、プレイしなければいけない。それは最低限の準備だと卓は考えていた。


 卓は比較表を書き上げ、鉛筆を転がす。次の相手はオフェンスにだいぶん偏りがある。前回の試合相手より戦略に長けているかもしれない。

 卓は警戒した。

 上位6位に入り大会に招待されるためには、負けは許されない。最低で引き分け。常勝チームでなければ数多のチームがエントリーしているランキングには、絶対入れないのだ。


 卓は目を閉じて有効そうな戦略を考えた。

 サッカー場を将棋盤に見立てると、どうしても王将となるゴールを癖で動かしてしまう。ゴールを担いで走る筋肉粒々のゴールキーパーを想像して、卓は苦笑した。

 将棋の戦法はヒントを与えてはくれるが、まったくルールも異なるため、どちらかといえば思考の邪魔になることの方が多かった。

 棋士としてのスキルは、戦略という直接的なものではなく、長年で培われた感覚的なものが生かされた。敵の性格の予想や、慎重すぎるパターンの想定。


 敵の攻守を分析して、敵の姿を思い描いてみると、ふと将棋をやめる決意をさせた童顔の青年の顔が浮かぶ。


 ――勝ちたい。

 そして一千万円手に入れて、美沙を開放したい。


 薄い壁から響く隣人の騒音は、集中する卓の耳には入らなかった。


***


 公式戦2戦目の相手は『ライトニング』というチームだった。

 日曜日の昼三時に愛華と小海は部屋に集合し、卓はライトニング戦について戦略を伝える。


「今回の相手は前回の奴より戦略に長けている。過去の大会でライトニングというチームが8位にランクインしていて、おそらく同じチームなんじゃないかと思う」


 小海は床に寝そべって、吸血鬼のような真っ赤な目を半月型にして笑う。


「そんなメジャーな名前いっぱいあるって。同じかどうか分かるわけないじゃん!」


「まあまあ」と卓は小海を落ち着かせて、イスに座った。「少しうちの戦法と似ていてね。敵のウイングの11番に大きなスタミナの偏りがあると思われる。なので、当然ディフェンダーの層を厚くするようにしたい」


 小海は部屋のフィギュアの棚を見ていて、聞いていないように見えるが、前回試合のときも同じ調子で活躍したので、卓は放置した。


 一方、愛華の様子を見ると大きな目を輝かせてはいるが、固まった蝋人形のようで、三つ編みにした横髪から編み損ねた十数本の栗毛が、服の静電気でふわふわと舞い上がっている。


「愛華ちゃん、敵の11番のスタミナが分かれば、守備を最小限にして、小海が操作するミッドフィルダーを投入するから、絶対的エースの8番を起点に攻めに転じよう」


「は、はい」


 愛華はフリーズする。


「愛華ちゃん、大丈夫かな? まずはいつも通り、ミッドフィルダー8番とセンターフォワードのセットで攻めるよ。ボールを取られても焦らないでね」


「は、はい」と言って愛華は小さく頷いた。



 キックオフのホイッスルが鳴り、二試合目が始まった。

 愛華は言われた通り8番で攻め上がり、敵を十分引き付けるとセンターフォワードにパスをする。


「やっぱり、抜け目がないな」卓はゴーグルに展開される画面をみて、ライトニングの執拗なマークに対してつぶやく。


 敵のディフェンスにあえなくカットされ、敵チームのボールとなった。


「ううっ」愛華はスタートダッシュが得意なため、失敗して唸った。


「愛華、大丈夫。作戦通りだから、私に任せて」小海は敵ウイングの11番に相対する選手に交代できるよう、コントローラーのL・Rに指を添えた。


 敵はセンター付近に攻め上がる。

 守衛のミッドフィルダーが近寄って、ある程度守備を引き寄せてから、ウイングにパスをする。

 小海は卓の忠告通り、二重に守衛を置いており十分に警戒していた。

 ウイングは攻めきれないと思い、またセンターへボールを戻す。

 そうして、しばらく膠着状態が続いた。

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