【2千】夜、内緒話をしに

平蕾知初雪

夜、内緒話をしに


「あらやだ。ユノン先生かと思った」

「まあ、こんなところにつっ立ってりゃあな」


 ジュゼは低い掠れ声で、夜空を仰ぎながら独り言のように囁いた。シャートがユノンと見誤って声をかけたのも無理はない。いまの理天学院内でシャートより長身の人物はユノンだけであるし、何よりここは彼の自宅のすぐ前だ。もう少し夜が深くなると、ユノンはこの辺りに立ってよく星を読んでいる。


「内緒話もいいけれど、たまにはゆっくりしていきなさいな。あなた、いつもすぐにいなくなるでしょう。疲れちゃうじゃない」

「先生ェ、もたもたして見つかっちまったら内緒話にならねえだろうが」

「今日は平気よ。エルメもメルも留守だから」

「知ってる。黒坊主ソンテについて行けってエルメを唆したのはおれだぜ、先生」


 薄く光るような青色の瞳をシャートへ向け、ジュゼは悪戯っぽく微笑んだ。

 ほとんどくしけずった様子のない波打った髪も、行儀悪く胸元を開けた服装も、大きな傷跡が目立つ不敵な相貌も、どこを取ってもシャートとは似つかない。


 シャートはふと、かつてエルメが「彼女は誰にも似ていない」とジュゼを評していたことと、その時の熱っぽい声音を思い出した。エルメはまだ子どもと呼べるほどに年若いが、あれでなかなか、よく人を見ているらしい。シャートから見ても、確かにジュゼは他の誰とも異なる雰囲気を醸す女性に見えた。あえて意地の悪い言い方をするなら、それゆえに何を考えているのか理解しがたいところがある。


 ジュゼは再び星空を見上げた。東世各所を駆け回る研究士への言伝には星を使うことも多い。ゆっくりしていけというシャートの言葉ははぐらかされてしまったが、彼女がおそろしく多忙であることはシャートも承知している。


「あれ、ジュゼちゃん。来ないと思ったらこっちにいたの」


 少し遠くのほうでユノンの声がした。ジュゼは「おう」と応えたが、上を向いたまま振り向きはしない。


「……結婚式? なんだ、ここでやんのか」


 ぼそりと呟かれたジュゼの言葉につられ、シャートも夜空を仰ぎ見た。


「お報せの星、今日も揚がってる? 星売りさんに頼んで、先月から何回か星で知らせているのよ。ガレア先生もサン先生も顔が広いから。あなたも時間があったらおいでなさいな」

「先生ェ、こういうのはわざわざ時間を作って行くもんだろうが」

「あら、律儀ね」

「作れるかどうかは別だ」


 ジュゼは表情を変えないまま癖のある髪をかきあげた。


「あれ、ジュゼちゃんも結婚式来られそう? きみが来たらきっとみんな喜ぶだろうねぇ」

「うるせえな、いま頭ン中で日にちを計算してんだよ。土でも食ってろ」


 ほとんど罵声であしらわれたのにも関わらず、ユノンは可笑しそうにけらけら笑う。


 ジュゼが理天学院に立ち寄るようになったのは五年ほど前からだ。シャートは知らなかったことだが、彼女はその頃、すでに研究士として冥裏郷と東世を行き来していたらしい。

 ユノンもシャートと同様で、エルメとメルが理天に住まうようになる以前、ジュゼら一部の研究士たちが頻繁に冥裏郷へ派遣されていることは知らなかった。

 仮にも博秋の称号を持つユノンでさえ知る機会がなかったのだから、冥裏郷について積極的に語ってはならないという旨の風潮なり規則なりがあることは明白である。


 だがいつの間に話をつけたのか、ユノンはここ五年の間、ジュゼから冥裏郷で得た知見をひそかに買い取っている、らしい。

 当人らから直接聞いたわけではないが、少なくともシャートはそのように捉えている。


 ひそかに、というのはジュゼの都合でもあった。情報を売ることの後ろめたさが彼女にとってどれほどの苦痛かは不明だが、青の国のどこにいても目立つ彼女は、学院のように人が多く集まるところへ赴くのが面倒なのだ。さすがにこの土地で青の国の誇りとも呼ばれる『天上武王ジュゼ』の顔を知らぬ者はいない。


「そういやァ、紫錦で預かった手紙があったな。ありゃあ結婚式の用事か何かか」


 言いながら、ふっと自らの手指に吐息をかけると、音もなくジュゼの手元に白い紙束が現われた。ひょいとそれを手渡されたユノンは、束をまとめていた革紐を手際良くほどき、あぁ、と喜色の滲んだ声を上げる。


「アサンからの手紙だね。なんだ、きみたち仲良くやってるんじゃない。そういえば同じくらいの齢だもんね」

「あいつなァ、邪魔なくらい野菜届けに押しかけて来んだよ。毎回毎回食いきれねえから食える状態にして持ってこいっつったら、本当にそうしやがって。それがまた美味いもんだから、このおれがいまや使いっ走りだぜ。信じられねえよ、あの野郎」


「あなた、本当に律儀ね」

「飯の恩と好き嫌いとは別だぜ、先生」


 ふん、と鼻を鳴らすと、ジュゼはユノンの手から再び手紙をかすめ取った。

「おい、おにい! 読むのは後にしろよ。おれの要件が先だ。こちとら暇じゃねえんだぞ」

ごめん、と肩を竦めるユノンにわざとらしく舌打ちし、ジュゼは丈の長い外套をはためかせて後ろを振り返った。

「おぉい、美人先生」


 シャートは静かにその場を去ろうとしていたのだが、思いがけずジュゼから呼び止められてしまった。


「わたし? なあに?」

「ゆっくりしてったら飯食わせてくれんの」


 シャートは二、三度瞬きをし、思案するようにゆっくりと首を傾げる。


「そうねぇ……あまり贅沢なものはないけど、無花果の塩漬けとか、お魚の酢漬けとか、そういうので良かったら家にあるわよ」

「じゃあ行く」

「きみ、ぼくには暇じゃないって言ったのに」

 ユノンは不服そうに口を尖らせたが、ジュゼはその唇を乱雑に右手でつまんで黙らせた。


「食事の誘いは無碍にしないということでしょう。あなた、本当に律儀だわねぇ」

 シャートは若干呆れ気味にそう言ったが、ジュゼはそれには答えない。無言のまま、ほんの少し、片目を瞑って見せた。




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