第4話 元カノの浮気

 夜見さんは非常に申し訳ないという様子で、旅行鞄から一冊のファイルを取り出すと俺に渡した。


 その中には元カノが俺も知ってるクラスメイトのイケメンと楽しそうにカフェで話している様子、映画に行っている様子、果てには俺とは一緒に行ったこともないネズミのテーマパークに行っている様子の写真が収められていた。カフェで話す顔は俺に見せないような笑顔で、映画は興味ないとか言って断られた作品だし、テーマパークは誘ったけどまだ早いかなと言われて保留にされていた。


 何これ、なんなんだよ。合成? 合成にしたってかなり良くできてる。嘘だ。嘘だ。

 うわ、こっちには二人でホテル街を腕組んで歩いてる写真まである。


 ファイルを持っている手がどんどん冷たくなっていくのがわかった。呼吸の仕方がわからなくなったように息が吸えない。


 そして、気づかないうちに写真の上に涙が次々と落ちていく。息ができたかと思ったら、女の子の前だというのに嗚咽を抑えることができない。鼻水や涎までが止まらない。膝が折れ、ファイルが手からこぼれて、床に写真が散らばった。


 確かに春休みになってから彼女とのメッセージのやり取りが減り、デートの時もよそよそしい感じは出ていたけど、浮気だなんてことは一ミリも疑ってなかった。


 それはきっと春休みだから友人と遊びに行ったり、俺が彼女を楽しませるのに十分なデートプランを作れてなかったりとか、そんなことが原因だと思っていた。


「ほんま、堪忍してな。うちはこのことを知ってても陽さんが付き合っている間は必要以上の接触を禁止されとったから教えることが出来へんかったんよ」


 夜見さんは自分の服が俺の涙や鼻水、涎で汚れることもいとわず、そっと抱きしめてくれた。ふわりとした優しい感触と彼女から香るいい匂いが次第に俺の心を落着かせてくれた。


 時間にしてどのくらい経っただろう。その間、夜見さんはずっと抱きしめたり背中をさすってくれたりした。呼吸はまだ乱れてはいるが、幾分気持ちが落ち着いてきた。 


 四つん這いなりながら泣いていた俺が顔を上げて夜見さんを見ると彼女も泣いていたらしく頬には涙が走った跡が残っていた。


 変に思われるかもしれないけど、一緒に泣いてくれる人がいてちょっと嬉しいと思った。自分の悲しみをちょっとだけ夜見さんも持ってくれているような感覚だろうか。


「ありがとう、夜見さん。もう大丈夫だから」


 落ち着きを取り戻してくるとクラスメイトの女の子、それもとっても綺麗な子の前で泣いている自分が恥ずかしくなってきた。


 かっこ悪いし、恥ずかしくて夜見さんの顔見れない。


 俺は一度顔を洗ってくると告げて、洗面所に向かった。

 鏡に映る自分の顔はひどく汚く目も腫れている。こんなに泣くなんて何年ぶりだろう。


 悲しいとか悔しいとかむかつくとか情けないとかいろいろな感情がドロドロに混ざり合い、それらが胃の下の方にずーんと居座っていて吐き出そうとしても吐き出せず、心地悪さだけが残る。


 顔を洗って最低限の身なりを整え、リビングに戻ると夜見さんの姿がない。どうしたのかと思って、隣のベッドルームの扉を開けた。


「キャッ」


 短い悲鳴を発した上半身下着姿の夜見さんと目が合う。


 ごめんと反射的に言って、扉を閉めた。


 まずい、やってしまった。

 ラッキースケベなんていう気持ちにはなれなかった。自分のことでもないのに一緒に泣いて慰めてくれた人になんてことしてしまったんだと後悔しかない。それなのに脳裏にはしっかりと薄ピンクに花のレースが咲いているブラと陶器のように白く綺麗な肌が焼き付いていた。


 俺はベッドルームの扉を背にするようにしてリビングで立って待つことにして、その間、落ち着くために三角関数の加法定理を唱えた。

 待つことしばし、扉が開く音がして夜見さんが出てきたようなので振り向く。


「あの、さっきは堪忍な。急に扉が開いてちょっと驚いただけです。うちは陽さんの許嫁やから着替えてるの見られるくらい全然恥ずかしくなんかあらへんよ」


 あなたは恥ずかしくないかもしれないけど、それでは俺がもちません。

 あと、恥ずかしくないと言っているのに顔を赤くして、ちょっと声が上擦っているから全然説得力ないからね。


「いや、俺こそノックもしなくてごめん。それから、服を俺の涙とかで汚してごめん」

「ええんよ。そんなに謝らんといて。それで、さっきの話の続きなんやけど――」


 元カノの浮気の件ですっかり本筋を忘れていた。


「今日になって、神さんから陽さんが彼女さんと別れたって連絡が入って、前々から準備しとった計画が発動されたんです。大沼荘にトラックが突っ込んだもの、大家さんがここに引っ越すように言うたもの、万が一、陽さんと彼女さんが別れた時にうちが許嫁として陽さんのもとに派遣できるよう、すべて準備されていたんです」


 なるほど、俺が振られたことはあくまでその後に起きたことのトリガーだったってことか。トラックが突っ込んでから夜見さんがインターホンを押してここに来るまでの流れが綺麗なのは綿密な計画の賜物だろう。


 大沼荘からここに引越したのは大沼荘に二人で住むのは無理だからというところか。


 しかし、御利益達成のために大沼荘を破壊して、この高級物件を用意するなんて、夜見さんのバックにはとんでもない組織がいるんだな。きっと、あの怪しい引越業者も組織の一員だろう。


「別に騙すつもりは無かったんです。うちらからしたら施されたら施し返す、御利益ですからというところです」


 夜見さん的には渾身のギャグを放ったつもりらしくニヘヘと笑って見せる。


「うん、夜見さんの言っていることはわかった。だいたいは理解したつもり。でも、夜見さんはそれでいいの。自分が好きでもない。特にかっこいいわけでもない。今までまともに話したこともない。オタクで陰キャで変に理屈っぽい人の許嫁にされて。そんな人の許嫁にされて嫌じゃないの。夜見さんなら俺じゃなくてもっといい人と付き合うことくらい簡単に出来るよ」


 いくら御利益のためとはいえ、元カノに浮気され、寝取られるような俺の許嫁にされるなんて可哀想過ぎる。


 元カノだって俺のこの性格が嫌になってきっと浮気をしたのだろう。夜見さんだって御利益のために派遣されて、好きでもない男の許嫁にされるなんて嫌に決まっている。今は御利益達成のために可愛らしく取り繕っているかもしれないけど、きっとそのうち元カノみたいに嫌になってくるに違いない。そうなれば、こちらが許嫁をお断りするどころか、夜見さんの方から勘弁してくださいと言うかもしれない。夜見さんにまでそんなことを言われたら俺はもう立ち直れる気がしない。


 じいさんには悪いが、許嫁コースから恋の応援コースにでも変更してもらおう。きっとそれがお互いのためだと思う。


 しかし、夜見さんは俺の言っている意味がわかっていないのかキョトンとした顔で俺の方を見ている。


「陽さんは変なことを言いますね。ちょっと昔までは祝言の時まで相手の顔も見ないことなんて普通にあったんよ」


 それちょっと昔どころじゃないだろ。たしかにドラマとかでは戦前のシーンでそんなことはあったけど、この令和の時代にそんなことはかなりマイノリティーなはずだ。


「それにもう、うちに帰る家はありません。ここに来た時点で今まで住んでいたところは解約しました。あと、陽さんがうちのこと気に入ってくれへん場合は、うちは神さんとこに帰らないけません。そして、ちゃんと御利益を果たせなかった罰としてキツネの姿に戻されて襟巻にされてしまいます。まあ、タヌキの場合はタヌキ鍋にされますからちょっとはましかもしれませんけど」


 えっ、何そのスプラッター映画みたいな結末。タヌキもキツネも死亡のバッドエンドじゃん。それを怖がった様子もなく淡々と話すなんてどうかしている。


「陽さんはうちのこと嫌いですか?」


 夜見さんは俺との距離を詰めて潤んだ瞳で見上げてきた。


 ちょっと、そういう目で見るの反則だろ。嫌いかと言われればもちろん嫌いではない。ただ、恋人的な好きというわけでもないのであって……。


 それに襟巻にされるって話も反則だろ。そんな話を聞かされて、それでも夜見さんを許嫁としてお断りしますなんて言えない。

 とりあえず、帰る家がないのであれば、ここに居てもらうしかない。襟巻のことについては、すぐにいい解決策が見つからないけど、夜見さんのバックの組織のちからを使えば何とかなるかもしれない。


 連休明けに学校に行ったら夜見さんの机が無くなっていて、先生からは夜見さんは両親の仕事の関係で急に転校しましたなんてことを聞かされたら一生もののトラウマになるに違いない。


「い、いや、俺は夜見さんのことは嫌いじゃない。でも、さっき振られたばかりだし。それよりも夜見さんは俺のこと好きなんかじゃないだ――」


 それはあまりにも一瞬のことで何が起きたのかわからなかった。


 俺の首に夜見さんの手が回され、話していた口は彼女の唇に塞がれた。


 ― ― ― ― ― ― 

 読んでいただきありがとうございます。💓応援💓ブックマークや★★★評価★★★をいただけると頑張る原動力になるのでよろしくお願いします。

 リメイク作品ですが途中からは独自ルートにしたいと思っていますので、過去に読んだことがある方もお楽しみに!

 次回更新は12月5日午前6時の予定です。

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