二十六枚目 内藤新宿

『オイ! 海が見えて来たぞ!』


 ピンク色の宇宙服スーツに袖を通し。展望台にいた六太からの通信に、七緒は微かに違和感を覚えた。


 海? 海岸沿いに進路がズレてしまったのだろうか? 

 いくら宇宙船が超高速で動いているとはいえ、ネオ東京に着くにはまだ早い。だがしかし、七緒が確認すると、モニターには確かに黒いコールタールの海が映っていた。地図には乗ってない、奇妙な形をした岸壁が、地平線の彼方まで続いている。まるで誰かが、巨大なハサミで地面を斬り刻んだような形だ。しかし……そんなこと、一体誰が?


「おかしいわね……」

「もしかして、もう通り過ぎたんじゃないのか!?」


 電子羅針盤に目を移し、緯度と経度を確かめる。現在地は旧富士山の東側付近だった。やはり位置情報は間違っていない。七緒は眉をひそめた。どう言う訳か、ネオ東京が……いや関東地区が、丸々無くなっている?


『オイ、あれ!!』


 再び飛んで来た大声に顔を上げると、モニターの端に、今度は巨大な山が映っていた。


 山……いや、山ではない。

 翼がある。嘴がある、足がある! 一見山脈のように見えたそれは、しかし実際には、まるで生き物のように蠢いていた。画面の前で、七緒は一瞬固まった。東北方面に聳える謎の生物。大きさは、先ほどの八百枝龍が可愛く見えるほどで、その体躯は雲を突き抜け、大気圏に突入しようとしている。隣に見える富士山が小高い丘に感じられるほどだ。


 誰かの、何かの『能力』だろうか? だとすれば最早、天変地異だった。


「何だよあれ……!?」

『どうするんだ!?』


 乗組員たちに動揺が走った。しかし、相手の意識が別方向に向いているのは、こちらとしても好都合だった。


「このまま突っ込むわ」


 七緒は落ち着きを払って指示を出した。ネオ東京の一角に、京都を打つける。ドッキングさせるのだ。そこから経路を切り開き、市民を出来るだけ檜舞台コロニーに避難させる……。


「……口で言うのは簡単だけど。我ながら無茶苦茶な作戦だわ」

『やってみるしかねえだろ』


 七緒の憂鬱を他所に、六太の方は早速ラマに乗り込み、臨戦態勢を整えていた。七緒は半ば感心し、半ば呆れた。あの蠢く山を見ても怖気付かないのは、流石と言うか、無神経と言うか。


『とにかく此処まで来たらもう、理屈じゃねえよ。出来る限りのことをやってみて、結果は後から考えりゃいい』

「……そうね」


 七緒は席で腕を組み、静かに頷いた。眼下では、黒いコールタールの海が、潮風に荒び不気味な渦を描いていた。


 かくして数時間後。

 ネオ東京の南側に移動式檜舞台スペースコロニーが衝突。轟音と衝撃の中、六太と七緒を乗せたラマが閃光となって空を駆ける。ドッキングは上手く行った……とはお世辞にも言えないが、及第点だろう。

 二手に別れることにした。

 市民を避難させ誘導する組と、動力源を抑える組。二人が目指しているのは、東京の地下深くに広がる、浮遊都市の動力源だった。せっかく移動式の都市なのだ。大勢の市民がいるのに、わざわざ戦場に留まってやる必要もない。


「少しでも移動できれば!」

 ラマの背中に乗り、七緒が叫んだ。

「攻撃目標を失えば、武装蜂起も止まるかもしれない!」


 革命軍とやらがいくらネオ東京に群がったところで、肝心の都市が忽然と姿を消していたらどうなるか。何も無くなった中空で、右往左往する他ないだろう。七緒としては、そう言う考えだった。


 ……彼女が思い違いとしていたとすれば、革命軍はこの時、すでに一番合戦いちまかせたちに返り討ちに遭い、むしろ追い立てられる側にあったことだ。これから幕が上がろうとしているのは、国家転覆の大衆活劇ではなく、逆賊たちへの大粛清であった。


 まぁ、どちらにせよ止めなければ、おびただしい数の血が流されるのに変わりはないが。


 ネオ新宿。

 街は静寂に包まれ、人影は見当たらない。警報は出ていないようだが、皆、無事避難しているのだろうか。眼下に広がる見慣れた街を、しかし、七緒は懐かしんでいる余裕もなかった。

 地下に入った。

 入り組んだ魔境の中を、下に下に、機械羊駝がひた走る。目的の動力部は地下鉄の線路より遥か下にあった。曲がりくねった通路を走り抜け、狭い階段を転がるように駆け下りる。


 どれくらい深く降りて来ただろうか。

 動力源への地下通路は第一級禁止区域だったが、警備は一人も見当たらなかった。この緊急事態に、全員出払っているのだろう。重たい鉄の扉をこじ開けると、向こうには教会のチャペルのような、幻想的な光景が広がっていた。


「此処が……」


 七緒は思わずため息をついた。浮遊都市の地下動力源。彼女の父・七海七竈博士が設計したネオ東京の心臓部。七緒も初めて入る場所だった。


 まず目に飛び込んで来たのは、暗闇の中輝き放つ、無数の計測器。ステンドグラスのように、赤、青、緑、色彩溢れる光があちらこちらにちりばめられている。巨大なパイプオルガンこそ無いが、壁や天井に敷き詰められたダクトは、精巧な楽器の中に迷い込んだような感覚に見舞われた。

 時折ゴォン……ゴォン……と響き渡る音は、荘厳な宗教音楽とは程遠いかもしれないが、聴く者の神経を震わす独特の緊張感で溢れている。等間隔で並んだ緑色の非常灯が、道標のように二人を奥へ奥へと誘っていた。


 この先に、浮都を制御している動力源がある。


 此処から先はあまりスピードを出すわけにも行かなかった。万が一精密機械を傷付けてしまっては元も子もない。四足モードになったラマの背中に乗り、慎重に、昏い通路を進んでいく。


 やがて拓けた場所に出た。すると突然、前方から馴れ馴れしい声が飛んで来た。


「ヨォ! お嬢ちゃん」

「貴方は……!」


 五味大五郎と六道菜乃花。場違いなほど派手な格好をした二人組が、通路の奥で待ち構えていた。七緒と六太の顔に緊張が走る。巨大なサングラスをずらし、五味がニヤリと嗤った。


「遅かったやないか。『未来予知』だともうちょっと早く着く予定やったんやが」

「あれぇ? 首輪、外しちゃったのぉ? 似合ってたのにぃ」

「菜乃花!」

 六太の妹・菜乃花が兄を指差しケラケラと笑う。六太はギリギリと歯ぎしりし、今にも飛びかかろうと身構えた。

「……まぁええ。お嬢ちゃん、これから東京を落とすんやろ?」

「違います」


 七緒はゆっくりと首を振った。


「浮都は落とさせない。それを止めるために来たのよ。私は貴方の仲間じゃない!」

「なんじゃ、つれないのう」

「菜乃花! ソイツから離れろ!」

「オウオウ。どうしてもワシと戦うっちゅうんか? けど……」


 五味が菜乃花の腰に手を回し、抱き寄せた。侍らせた少女をまるで人間の盾のようにして、不敵な笑みを投げかける。


「……けど、お前、自分の家族殺せるの?」

『貴様ぁあああッ!』

「六太!」


 七緒が止める間も無く、六太が突っ込んで行った。右の拳を強く、強く強く握りしめて、六太が機体を捻り、大きく振り被った。


「へえ……」


 本当にやる気なのか。


 五味が感心したように口笛を吹いた。ラマの拳は疾かった。だが、拳は菜乃花に当たる直前、ピタリ……と停止してしまった。見ると、菜乃花が、自分の喉元にナイフを突き当てている。少しでも攻撃を当てれば、自害してやろうと身構えていた。人質の方が自ら、だ。七緒はゾッとした。相手の思考を、肉体の動きを自在に操る……五味大五郎の『洗脳ブラッシュアップ』。


「……プッ」

「アハハハハハ! 何それ!? ダッサ〜い!!」


 一瞬の静寂、やがて地下通路に、蔑んだ嗤い声が響き渡る。ラマは静止したまま、動かない。動けなかった。


『ぐ……チクショウ……!』

「威勢だけは良かったくせに、結局その有様!? さっすが、『無能』なお兄ちゃん!」

「無理すんな! お前はワシの言うこと聞くしかないんや!」

「六太……」


 ゲラゲラ腹を抱えて嗤いながら、五味が涙を拭った。


「あー……久しぶりに笑わせてもろたわ。これで分かったやろ? これが『能力』!」

 妹を人質に取られ、俯いたまま、六太が怒りに身を震わせる。

「これが『無能』と『有能』の違いなんよ! 世の中にはな、バ……正直まっすぐなだけじゃあ、どうしようもないこともあるんやで」

「可哀想〜『能力』がない人って可哀想〜。大事な家族の一大事に、手も足も出ないなんてぇ」

「さ……ワシらと一緒に、動力源を壊そう。国を丸ごとひっくり返す、歴史に残る大革命の幕開けじゃ!」


 五味の腕の中で、菜乃花が花武器ハイビスカスを変形させ、ビードロを手にした。べっこん、ばっこん、と独特の音が鳴り響く。すると、暗闇の奥で、黒い影がずずず……と、不気味な音を立てて蠢き始めた。


「何……!?」

「ウフフ。せっかくだから見せてアゲル。私の『能力』はねえ……」


 菜乃花が嬉しそうに目を細める。


「何なの……!?」

「な、七緒……」


 影がゆっくりと渦を巻き、形を成していく。やがて、何処からか七緒の名前を呼ぶ声がした。洞窟の奥から響いてくるような、か細い声。七緒は背筋に冷たいものを感じ、思わず後ずさりした。何かが、来る。何か、とてつもなく恐ろしいモノが……。


「何……だれ!?」

「ななな七緒……わわたわ私わたしだよ……」

「だれ!? うそ……そんな!?」


 影がゆっくりと光の下に姿を見せる。七緒は絶句した。ウソ。信じられない。暗闇の中から、姿を現したのは……


「『死亡遊戯ネクロマンサー』!」


 菜乃花が屈託のない笑みを浮かべた。

『死亡遊戯』。ビードロの音で、死んだ人間をゾンビのように操る能力!


「なな七緒お……わたわたわた私私わたわた……私だよだよだだだよ」

「そんな……!」


 暗闇の中から、姿を現したのは、虚ろな目をした土気色の肉塊……他ならぬ七緒の父・七海七竈博士だった。

 

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