七枚目 東海道五十三次内 大磯 をだハらへ四リ

 ……どれ程の時間が経っただろうか。

瞼の向こうにうっすらと熱を感じ、七緒は瞳を開いた。


 薄く広がった霧の向こうに、ぼんやりと青い朝日が見える。この辺りは大気汚染が酷く、光の屈折具合で、ちょうど朝日が青く輝いて見えるのだった。


 野生生物がいないので、辺りはやけに静まり返っている。ただ時折、ゴゥン、ゴゥン……と断続的に何かの機械音が大気を震わせた。七緒はゆっくりと起き上がった。岩肌に預けていた背が、少しだけキリキリと痛んだ。眠れはしなかったが、眠気はない。ただ目を閉じ、一晩中身体を休めることに専念した。小さく伸びをして、彼女は街の方を振り返った。


 六太と呼ばれた少年は、結局姿を現さなかった。


 確か”冒険がしたい”とか何とか聞こえた気がしたが……まぁ、特に期待はしていなかった。

 昨晩ざっと調べたところ、『街』に住んでいるのは十四歳に満たない幼子と、老人が主だった。年頃の男女から、恐らく率先して殺されてしまったのだろう。特に注意が必要なほどではなかったが、武器も防護服も今や手元にはない。警戒を解く理由もなかった。


 明け方の風はひんやりと肌に心地よかったが、それでも七緒の心は沈んだままだった。


 あるはずの『花』が、ない。十四歳の時に、自分に咲いてくれた花。今は胸にぽっかりと穴が空いた気分だ。そう簡単に枯れはしないとは思うが、今生きていることが、本当に奇跡的なことなのだ。この状態がいつまで続くとも限らない。出来るだけ早く回収しなければならなかった。『無能』を狩るのは、それからだ。


 まずは『道花師』とやらを追う。


 砂漠を越えると、そこにあるのは魔境だ。かつて地上が見放され、文明が退化するままに放置していたら、それぞれが独自の発展を遂げるに至った。南は溶岩でドロドロに溶けた大地、東は重油で満たされた海、北は絶対零度の氷山……世の中の異常気象を凝縮したような地獄絵図が、其処彼処に広がっていた。


 七緒は青い太陽を背に、とりあえず西へと向かうことにした。西に広がるのは、『植物の暴力』と呼ばれる、凶暴化した合成獣を数多く育む密林ジャングル。辛うじて生命の痕跡が残っているだけ、まだマシな選択に思えた。


 雲はなく、だが空は見渡す限り灰色だった。じっとしているだけで汗ばんでくる。砂浜に足を取られて、思うように前に進まない。『能力』さえあれば、そんなこと普段気にも止めないのに……七緒は閉口した。


 鬱々とした気分で歩を進める。

此処に来てから、全く、不運続きだ。武器は失うわ、仲間と逸れるわ……だが『花』を取り戻すまでは、仲間に見つかる訳にもいかない。そんなことをすれば、七緒は社会的に終わってしまう。才能だけが絶対の浮世ふせいで、才能がない者が、『無能』がどんな末路を辿るのか。想像するだけで彼女はブルっと体を震わせた。


 小高い砂丘のひとつに登ると、地平線の向こうに紫がかった色が見えた。あれが密林だ。一息ついて、坂を降りようとしたその時、突然

ぐぁっ

、と足元の砂丘が盛り上がって、中から百足ムカデ型の機械獣が姿を現した。大きい。昨日のがしゃどくろほどではないが、それでも軽く七緒の三倍くらいの背丈はある。


「グワァァオォッ!!」


 獲物を見つけた機械百足が咆哮し、ずるずるとその全長を現し始めた。彼らの動力源は電気や石油だが、人間を食べて、腹の中の溶鉱炉でエネルギーに変換するタイプもいる。


 転げるように坂道を駆け下りて、七緒は巨大百足を見上げた。とはいえ、武器はない。鎌首をもたげた百足が、ニタリと嗤ったような気がした。七緒は体を強張らせた。銀色の牙が、鋭い爪が七緒に伸びて来たその時──

「待て!」

 向こうから声がして、それから聞きなれない笛のような音が響いて来た。


 七緒が目を凝らすと、そこにいたのはあの六太という少年だった。追って来たのだ。小型の、ラマを模した機械獣に乗って、六太がこちらに駆け寄ってくる。頭には鉄板で出来たヘルメットと、赤色のゴーグルを嵌めている。首から法螺貝のようなものをぶら下げていて、それを吹いていた。笛の音が近づくと、先ほどまで蠢いていた百足がピタリと動きを止め、先ほどまでの威勢は嘘のように、すごすごと砂の中に潜っていった。


「彼奴はこの音が苦手なんだ」


 呆然と立ち尽くす七緒の前で止まると、六太が、羊駝ラマに乗ったままぶっきらぼうに言った。


「京の方に進んだところに、闇市がある」

 少年がゴーグルの奥の、尖った瞳を光らせた。

「地図には乗ってない、俺たちだけの非合法な市場さ。道花師はよくそこで商売してる。真っ直ぐ向かったら半日で着くけど……」

「けど?」

「途中で禁止区域があるからな。それ避けて進んだら、三日ってとこだ。どうする?」

「…………」


 七緒は黙って六太を見上げた。三日……ギリギリといったところか。どちらにせよ闇雲に探していては、埒が明かない。


「本当に助けてくれるの?」

「嗚呼。それが俺たちの『掟』だからな」

「…………」

「それよりホントに首輪、取ってくれるんだろうな?」

 六太が疑い深そうな目で七緒をジロリと見下ろした。七緒は慎重に頷いた。

「……刀を、取り戻してくれるなら」

「よぉし分かった! 乗れ!」


 交渉成立。六太が大声で笑い、後ろを勧めた。七緒は少し躊躇いつつも、羊駝に跨った。『無能』に助けてもらうのは不本意だが、今は仕方がない。刀を取り戻したら、せめてできるだけ苦しまないように、殺してあげよう。そう思った。


 二人を乗せた機械獣が颯爽と走り始める。徐々に強くなる日差しに七緒は目を細めた。中天を目指す太陽がゆっくりと、青から白光に色を変えようとしていた。


 ようやく砂漠を抜けようかというところ。後ろからゴゥン……ゴゥン……と機械音が近づいて来て、それで七緒は目を覚ました。


「ん……」


 どうやらいつの間にか、眠っていたらしい。正確な時刻は分からないが、辺りは橙色に包まれ、夕方近くになっていた。はっとして六太の背中から顔を離す。


「今、どこ?」

「起きたか。良く眠る奴だなァ、お前」

「あれ、なに……?」


 なんとなしに辺りを見渡して、七緒はギョッとした。砂漠の向こうから、巨大な鉄の塊がこちらに迫ってくる。がしゃどくろや百足を思い出して、七緒は身を固くした。


「あー、ありゃ千代丸だ」

「ちよまる??」

「友達だよ。だけど、今はちょっとめんどくセーなァ」

 六太がチッ、と舌打ちした。二人を乗せた羊駝は、あっと言う間に鉄の塊に追いつかれた。


 それは、巨大なトラックだった。百足や、がしゃどくろの比ではなく、山が丸々動いているような、桁違いの大きさだった。横に並ぶとまるで象と蟻のようだ。タイヤだけでも軽く高層ビルほどの大きさがある。当然、七緒の位置からは運転手の顔すら見えなかった。


『ヨォ! 六太じゃねえか!!』


 突如、トラックの荷台に積まれた巨大スピーカーから、爆音が豪雨のように降ってくる。それだけで大気がビリビリと揺れた。七緒は一瞬、心臓が破裂したかと思った。


『こんな夜中に何処行くんだ!?』

「あ!? テメーにゃ関係ねえだろ!!」

『背中に乗ってるのは誰だ!? 見ねー顔だなァ……』

「……随分大きな友達ね」


 七緒が巨大トラックを見上げた。何処かに集音マイクやカメラがあるのだろう。バンパーのところに、ひしゃげた頭蓋骨がずらりと並べて飾られていて、カタカタと不気味な音を立てて嗤っている。


『コ”ォラ六太ァアッ! 今日こそテメーの肉と骨を、一つ残らず磨り潰してミンチにしてやっからなぁ!!』

「もっとも、碌な人間じゃなさそうだけど……」

 七緒は顔をしかめた。

「喧嘩友達だ」

 六太が頷いた。


彼奴アイツは千代丸。確かにロクな奴じゃねえ。何でか知らんが、奴とは顔を突き合わせるたび殺し合ってる。下手に禁止区域に吹っ飛ばされたら死んじまうから、毎回、マジで命がけなんだよな」

 そう言って六太は笑った。七緒には何が面白いのかさっぱり分からなかった。顔を合わせるたび殺し合うのが、下界ここで言う『友達』なのだろうか?


「此処で待ってな」

「あ! ちょっと……!」


 言うが早いが、七緒が止める間もなく、六太はトラックに向かって機械羊駝を走らせていた。


「売られた喧嘩は買わなきゃなァッ!!」

「ちょっと! 六太!」


 その時、不思議なことが起こった。


 七緒が叫んだその前で……六太の乗った羊駝ラマが、空中で分解してしまったのだ。まるで見えない何かに攻撃を受けたかのようだった。かと思うと、バラバラになった部品が六太の身体に上手いこと纏わって、スルスルと新たな形に組み上がった。


 やがて出来上がったそれは、まるで機械で出来た手足だった。


 手足だけではなく、胴体に、顔に、鎧のように機械羊駝が変形した。変形した部品が、砂漠の強い日差しを浴び、黒く輪郭を光らせている。


 鋼鉄の鎧パワード・スーツ


「新型だッ! 此間手に入れたばっかりのォッ!!」


 六太が嬉しそうに叫んだ。七緒はあっけにとられた。


「ラマを着るッッ!!」


 羊駝を、着る? 


 右手にエネルギー砲。

 左手には銀色に光る刀。

 背中と足からジェット噴射を唸らせて、羊駝を纏った六太が宙に浮いていた。


「何、これ……?」


 七緒は思わず声を漏らした。能力、ではない。光速で走れる人間が、わざわざ車に乗る必要はないのだから。能力ではなく、恐らくは──技術。


 機械獣を変形させ、身に纏う。下界で発展した技術に違いない。


「行くぜぇぇぇええッッ!!」


 羊駝ラマを着た六太が、大きな『友達』を見上げ、楽しそうに吠えた。

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