六枚目 大磯 虎ヶ雨

 目が覚めると、七緒は見知らぬ小屋の中で寝かされていた。


 小屋の中は狭く、肌寒かった。灯りはなく、また卓や椅子といった家具もない。

たったひとつ、床に一枚薄い布(布団?)が敷かれていて、七緒はその上で横になっていた。所々隙間の空いた天井や壁から、月明かりや夜風が吹き込んでくる。雨風をしのぐには少しばかり頼りない。どうやら住居というよりは、物置か何かのようだ。


 ……何れくらい意識を失っていただろうか。

 時刻を確認しようとして、防護服を脱がされていることに気がつく。いつの間にか彼女は、麻布で出来た、鴇色ときいろの、薄い着流しのようなものに着替えていた。ちょうど、『無能』の民が大勢身につけているような……。

 

 はっと息を飲む。此処は敵の中ではないか。微睡んでいた七緒の意識が、急激に覚醒し始めた。慌てて布団から飛び起き、伽藍とした小屋の中に視線を走らせる。誰もいない。此処は、牢か何かだろうか。外に見張りがいるのだろうか? 素早く花武器カブキを構えようとして、

「……ない!?」

 七緒は愕然とした。

 

 胸に咲いているはずの、睡蓮が何処にも見当たらなかった。


「そんな……」

 ありえない。花武器が持ち主の手を離れるだなんて。あれが枯れれば、能力者は死ぬ。

「どうして!?」

 動転しつつ、七緒は、意識を失う直前のことを思い出していた。


 彼女の刀を掴んだ、真っ黒な手。

 闇の中で赤く光る瞳。

 あれは……あの人物は……。


「よぉ」

「きゃあっ!?」


 突然背後から声をかけられ、七緒は飛び上がった。見ると、背丈の短い、麻布の着流しを纏った少年が扉の前に立っていた。ちょうど七緒の、胸の辺りくらいの背丈だ。黒い髪は方々に伸びきっていて、針金のように、所々色が抜け落ちていた。目は窪み、頬は痩けていて、およそまともな健康状態にあるとは思えない。着流しから突き出た手足も、木の枝のようにやせ細っていた。


「ひ……ッ!?」


 七緒は昨日砂漠で遭遇した骸骨の妖怪を思い出し、思わず後ずさりした。月明かりを背に、顔色は良く見えない。ただ、歪ませた唇の間から突き出た舌が、てらてらと赤く輝いていた。さらにそのすぐ下には、見覚えのある真っ赤な首輪。『無能』の少年。


「俺の家にようこそ」


 聞こえて来たのは、低く、獣の唸るような声だった。少年は枯れ枝のような手を、握手を求めるように突き出した。闇の中で、その手は真っ黒に染まって見える。七緒は身じろぎひとつしなかった。歓迎されてないことくらいは理解できた。しばらく少年少女は、暗がりの中で睨み合った。


「オウ六太」


 不意に少年の背後から、嗄れ声が飛んできた。

「そこのお嬢ちゃん、やっと起きたか」

 程なく白髪混じりの老人が扉の向こうから顔を覗かせる。老人もまた、見た目は妖怪のようだった。麻布の着流しに身を包み、首には、年季の入った赤い首輪を巻きつけている。さらにその足元に、六太と呼ばれた少年よりもさらに背丈の小さな童子たちが、わらわらと群がっていた。七緒はその童子たちに見覚えがあった。


「ねーちゃん!」

「お姉ちゃん、生きてたんだね。良かった!」


 七緒の顔を見るや否や途端に叫び始め、小屋の中がパッと華やいだように騒がしくなる。七緒が砂漠で出会った、あの少年たちだった。


「私の刀と服は……」

「刀と服なら、売った。ひひ」

 最初に現れた少年が歯を剥き出して笑った。七緒は目を丸くした。


「売ったですって?」

「嗚呼。高く売れるからなァ。道花師に……」

「待って!」


 六太の話を遮り、七緒は叫んだ。暗く狭い小屋の中に、甲高い声がこだまする。

聞きたいことが山ほどある。

此処は何処?

貴方は誰?

私はいつまで眠っていたの?


最後に見た、あの黒い手の正体は?

やはり『正徒会』の事件と何か関係があるのだろうか?

そもそも他人には触れられないはずの花武器カブキを、どうやって持ち去ったのか?


そして道花師は、本当に実在するのか……?


「道花師が、いるの? 本当に?」

「此処は『無能街』の北区・ネオ赤羽。イツキたちを助けてくれて心より感謝する」

 老人が自分の背丈ほどはあろうかと言う杖を付き、ゆっくりと七緒にお辞儀した。老人は、この街を治める長老だと言う。どうも話が、こっちが聞きたいことと、向こうが話したいことが微妙に噛み合わない。七緒は気色ばんで叫んだ。


「私の刀を何処にやったの!?」

「此処にはもうねぇよ」

 六太がニヤニヤしながら壁に背を預けた。七緒が焦っているのが、面白くて仕方がないと言った表情だ。


「道花師ってのは旅商人さ。今頃『東京砂漠』の向こうだろなァ。もうとっくに買い手がついているかも。ありがとなァ、お前の刀で、俺たちの一週間分の食糧になったわ」

 ケケケ、と笑う六太を七緒は睨みつけた。確かに七緒は焦っていた。分からないことだらけだ。


 まさか自分まで、『花』を失ってしまった。


 七緒は歯噛みした。なんたる失態。ミイラ取りがミイラになるとは、まさにこのことではないか。しかし、普通、掴んだだけでは持てないはずだ。


 それをどうやって『花』を持ち運んでいるのか?

 もしかしたら……あの、機械獣が身体に花を咲かせていたのと、同じ原理かもしれない。もしかしたらあの黒い手、あれが道花師だったのかも。様々な憶測が七緒の頭をよぎったが、今はじっくり考えている場合ではない。一刻も早く『睡蓮』を取り戻さなくては、命に関わる。


 ふと七緒の頬に、冷たいものが落ちて来た。

 雨だ。いつの間にか外では、ポツポツと雨が降り始めていた。酸性雨だ。


「お嬢さんさえ良ければ……」

 長老が雨漏りを気にしながら、遠慮がちに口を開いた。


「道花師の処まで、六太に案内させようかの」

「はぁ!? 何で!?」

 たちまち六太の顔から笑顔が吹き飛んだ。少年が、冗談言うなよ、と言った顔で老人の眼を覗き込んだが、あいにく老人の方は至って真面目だった。


「どっちみち、このはこの街には長居できん。『有能な者』がこの街にいると言うことは……」

「死刑だからな、そりゃ! はは!」

 

 六太が嬉しそうに笑い、七緒の方を見た。七緒が死刑になれば良い、あからさまにそんな表情だった。七緒は出来るだけ顔色を変えないように努めたが、果たして上手くいったかどうかは分からない。


「『掟』だ! それが。この街の……」

「私は嫌よ」

 七緒がふいっと顔を背けた。


「どうして『無能』なんかに助けてもらわなきゃいけないの?」

「オォウ、言いやがったなこのクソアマ

 六太が即座に反応し、ギロリと目を怒らせた。


「こっちだってハナから願い下げだね。悪いこた言わねぇ、さっさとお空の上に帰って、『自分には才能がある』って念仏みたいに唱えてろ!」

「何ですって!?」

「コラ六太」

「残念だったなァ」

 少女を下から睨み付け、黒髪の少年がニヤリと嗤った。


「どんなに才能があっても、マンマが食えなきゃ死ぬんだよ!」

 そうでもない、『不老不死』の能力者だっているんだから……と思ったが、不毛なので、七緒は言い返さなかった。


「そんで此処は『無能街』! 俺の街だ! テメエの好きなようにはさせねえ!」


 七緒にとっては、三秒もあれば制圧できる区域だったが……それも言わなかった。


「この街の人間が……俺たちがどれだけお前ら『有能』を恨んでるか知ってるか?」

「…………」


 ひゅう、と冷たい隙間風が吹き抜けて、小屋の中はたちまち静まり返ってしまった。六太の視線が矢のように七緒に刺さる。七緒は黙っていた。雨がしとしとと、彼女の髪を濡らす。風が強くなると、小屋全体が大きく軋んで揺れた。


「六太」

 長老が少年をたしなめた。杖にひたいを付け、沈み込むように深いため息をつく。


「……此処にいるのは、皆『能力のある者』に親を子供を、家族を殺された者ばかり。決して歓迎はできん。それどころか、皆お嬢ちゃんの命を狙ってくるじゃろう。それがワシらがこの街で生きていく上での約束事。この街の住人の『掟』なのじゃ」

「じゃあ……」

「じゃがお嬢ちゃんが、子らの命を救ってくれたこともまた事実」


 長老が顔を上げた。フサフサと伸びた白い眉毛の向こうから、キラリと小さな瞳を光らせる。

「たとえ特別な才能がなくとも、ワシらは義理を欠いたことはせぬ。 ……日が昇る前に、此処を立ち去るが良かろう」


 言うべきことは言った、と言う具合に、長老はそれっきり口を噤んでしまった。それで会話が途切れた。


 七緒は黙って白髪混じりの老人を眺めた。多少理解に苦しむが、彼らには彼らの不文律のようなものがあるらしい。七緒はふと、扉のすぐそば、壁際に一枚の写真が貼り付けてあるのに気がついた。


 ようやく暗がりに目が慣れてきたようだ……それは家族の集合写真だった。よく見るとその写真には、若い夫婦と、男の子と女の子、二人の幼子が写っていた。『六道家』と言う表札が見える。机も、椅子も寝台もない殺風景な部屋の中で、唯一壁に貼られた一枚の写真。


「……俺の家族だ」


 六道六太が、七緒の視線に気がついて唸った。そしてその写真を、七緒の目に触れられないように毟り取る。


「父さんは死んだ。どっかの『花形』に殺された。 ……母さんと菜乃花は、未だに帰ってこない」

 

 遠くの方で雷が鳴った。雨が激しくなってきたので、七緒たちは長老の家に昇ることにした。



 途中、彼女は雨に濡れる『街』をちらと見下ろした。眼下には錆びた鉄板や折れ曲がった木材が、無造作に、高く積み上げられている。

幼子が無邪気に並べた積み木のような。

個性派な芸術家の実験的作品のような。

 全体を見ると、大きな樹のように見えなくもない。きっと有能な建築家が見れば、その脆弱性・不安定さに気絶してしまうだろう。家というよりはまるで巣だ。


 六太の家は六階にあり、長老の家はさらにその上の、十六階にあった。『街』と呼ぶにはあまりにも見窄らしく、頼りなげだった。


「……首輪を外してあげるわ」

「は??」


 六太の家より少しばかり大きな、樹の天辺で。六太が麻布で濡れた頭を擦りながら。目をまん丸にして七緒を見た。七緒も正座して、六太を見返した。


「私が頼めば……『正徒会』にはそれだけの権限がある。私に協力してくれれば、その首輪を外してあげる」

「…………」

「貴方だけじゃない。この……街の……住民、全員分よ。それでどう?」

「良かったな、六太兄ちゃん!」


 ぞろぞろと上まで付いてきた童子の一人が歓声を上げた。そのまま勢いよく六太の身体に飛びつく。


「いつか冒険がしたいっていつも言ってたもんな!」

「そうそう! 一回でいいから禁止区域に入って見たいって……それに、こんな綺麗な姉ちゃんと……」

「うっせぇ! お前ら、此処まで付いてくんなよ! まただろうが!」

 六太が喚いた。折れる、と言うのがどう言う状態なのか定かではないが、どのみち早く此処を出た方が良さそうだ。七緒は徐に立ち上がった。


「……協力してくれるなら」

「あ??」

「日の出までに街の北側に来て。貴方が来なくても、私は一人で『道花師』を探す」

「…………」


 六太の返事を待たずに、七緒はふちからジャンプすると、そのまま器用に大樹を滑り降りて行った。その可憐な動作に、又しても童子たちから歓声が上がる。童子たちも七緒の真似をして、次々に縁から飛び降りて行く。楽しげな笑い声やら悲鳴やらが、重力に引っ張られて落ちて行った。


「六太」

「…………」

 後に残された六太は、長老の方を振り返った。

「嗚呼……分かってる。途中であの女を殺して、闇市で肉を売り捌くんだろ? それが『掟』だもんな」

「…………」

 六太もまた、長老が返事をする前に乱暴に家を飛び出した。外に出られるのは嬉しいが、あの女を手伝うのは嫌だ……そんな顔だった。


「……それを決めるのは『ルール』ではなく、お前自身じゃよ、六太」


 もはや誰もいなくなってしまった空間に、長老は静かに独り言ちた。

 

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