第二一話

 あれから数日経った。オフィーリアは部屋での療養を言いつけられ、ここ数日部屋に篭りっぱなしだった。オフィーリアのことはサラが守ってくれたおかげで目立った外傷はなかった。しかし、リリーやシスが大事に考えたためオフィーリアもおとなしくすることにした。

 この部屋でおとなしくしていた数日間、毎日のようにこの体の本当の持ち主である、この時代のオフィーリアのことを考えていた。何度かオフィーリアに会うために試みたが、どうやってもあの時のように幼い彼女の片鱗さえ捉えることはできなかった。そうなればどうすれば会うことができるのか見当もつかなくなり、オフィーリアは頭を悩ませた。確かにそこにいるのに、手が届かないことがもどかしかった。

(私は、あの子に会って、何を伝えたいのかしら)

 体を奪ってしまったことに対する謝罪をしたいのか、それともこうなってしまったことに対する弁解がしたいのか。今のオフィーリアはただあの子に会って話をしたいという考えしかなく、明確に何をするべきか決めかねていた。

 この体の本当の持ち主は別にいる。

 その可能性を考えることができなかったのは未来から来たオフィーリアの失態とも言えるだろう。

 オフィーリアはベッドの中で深いため息を吐く。やることや考えるべきことが山積みで何からを手をつけていくべきかわからなくなりそうだった。

 回帰する前のオフィーリアはただそこに居るだけだった。公務はあったが、それは与えられた仕事であり、自らが進んで何かを成そうとしたことを無かった。何かを成し遂げることがこんなにも難しく、大変なことであることを今になってようやく知った。

「お嬢様」

 一人で考え込んでいたら部屋の扉をノックする音がした。オフィーリアはベッドの上で身を起こし、入室の許可を出す。

 部屋に入ってきたのは以前一緒に話をしたキララだった。サラは現在オフィーリアと同じで療養している関係で、オフィーリア付きの使用人は一時的にキララが担当していた。

「お休みのところ申し訳ございません」

「いいえ、大丈夫よ。ただ横になっているだけだもの。やることもなくて少しだけ退屈していたところよ」

 笑顔でキララを迎えるとキララは安心したように肩を下ろした。キララはこれまで外回りの仕事しかしたことがないそうで、こうして誰かの付き人になるのは今回が初めてだと言っていた。だから、初めは失敗を恐れてビクビクとしていたがこの数日で慣れてきたのかだいぶ緊張を見せることが少なくなった。

「本日も体調が良さそうで安心しました。今からまた、お医者様の診察を受けていただくのですが、よろしいですか?」

「もちろんよ。見ての通り元気だから手間をかけてしまって申し訳ないくらいだわ」

「そんなことたりません!お嬢様の大切なお体に何か問題があってはいけませんから。そのようにご自身を卑下するようなことはどうか仰らないでください……!あっ!も、申し訳ございません。出過ぎたことを……」

「ふふ。いいのよ、キララの言う通りだもの。確かに私は私のことを軽く考えすぎなのかもしれないわ。それに私のことを思って言ってくれたことでしょう?その気持ちが私は嬉しいわ」

「お嬢様……!」

 オフィーリアの言葉に感動したように頬を染める。すると扉の向こうで大きめの咳払いが聞こえてきた。キララはその音でここにきた理由を思い出したのか、慌てて外にいた人物を中に入れた。

 入ってきたのは初老の男性だった。この老人は魔塔に所属しており治癒術師として医師の役割を務めていた。老人の名前はコーナンと言い、ガルシア家と古くからの付き合いのある人物だった。

「ご歓談の最中に申し訳ない」

 少し背の曲がったコーナンはキララの横から朗らかに笑いながらオフィーリアのいるベッドに近づいた。

「これだけお喋りを楽しめるのであれば、この老いぼれが診察する必要もないかもしれませんな」

 コーナンはそっとオフィーリアの額に手を翳しながら笑って冗談を言う。コーナンの手から柔らかいオレンジ色の光が伸びる。その光のおかげか、体が暖かくなり、軽くなったように感じた。まるで太陽に光のようだった。

 コーナンはしばらくすると手を下ろして小さく頷いた。

「お体にも大きな異常は見られませんな。もう、療養する必要もないでしょう」

 オフィーリアとキララにコーナンは伝える。キララは安堵したように息を吐く。オフィーリアもようやく自由に動けるとわかり気分が少しだけ上を向く。

「首元のアザだけが気がかりでしたが、そちらも痕にならなかったようで安心しましたよ」

 コーナンに言われてオフィーリアはそっと自分の首元に手を当てる。今のオフィーリアからは見えないが、襲撃者に強く首元を掴まれたことで手の形に赤くアザがあった。そのアザもコーナンが大丈夫と言うのなら綺麗に消えてなくなったのだろう。

「体のどこかに痛むところや違和感はございますかな?」

「いいえ。今のところ特にないわ。強いて言うならずっと安静にしていたから体が固まってしまっているようだわ」

「軽口を言えるのならば問題はなさそうですな」

 オフィーリアの冗談にコーナンは豪快に笑って答えた。オフィーリアも口元で小さく笑顔を見せる。

 その時キララが「あ!」と声を上げた。オフィーリアとコーナンがキララの方を向けば、キララは口元に手を当てていた。

「申し訳ございません。突然大きな声を出してしまって」

 キララは二人にじっと見つめられ恥ずかしそうに頭を掻いた。オフィーリアは小さく笑いかける。

「大丈夫。気にしないでいいのよ。もっと楽にして?私はキララと仲良くなりたいわ」

「そ、そんな……!」

 オロオロとした様子でキララは視線を彷徨わせる。

「ほっほっほっ。オフィーリア様は少し見ないうちに随分と大人になられましたな。もしもよければこのコーナンとも仲良くしてくださいますかな?」

 助け舟を出すようにコーナンが笑う。オフィーリアはもちろんという意味を込めて頷く。

「コーナンとはあまり会う機会がないけれど、私は仲良くしたいわ」

「それはそれは……!大変光栄なことでございますね。こんな老いぼれとも仲良くしていただけるとは。オフィーリア様は本当にお優しくていらっしゃる」

「私は別に優しくないわ。優しいのはみんなのほうよ」

「そんなことはございませんよ。私は職業柄いろんな方の治療を行うためにたくさんの貴族の方を見てきましたが、その中でもこんなに使用人にも気をかけてくださる方はなかなかおりませんゆえ」

「わ、私も!お嬢様はお優しくて、聡明でいらっしゃり、尊敬しています!」

 黙っていたキララがコーナンの言葉を強く肯定する。

 オフィーリアは二人の言葉に心が満たされるのを感じた。しかしふとその心に影がさす。この優しさや気遣いは今のオフィーリアが受け取っていいものではなかった。この言葉を受け取るべきなのは本来この体の持ち主であるあの子だ。そう考えると無意識のうちに表情が曇りそうだった。

「そういえば、キララ。何かあったの?」

 気持ちを切り替えるためにキララに尋ねる。するとキララは再び口元に手を当てた。今度は大きな声を出すまでに飲み込むことができたようだった。

「そうでした。コーナン様の診察に問題がなければお嬢様を玄関ホールにお連れするようにいい使っていたんです」

「玄関に……?誰かきているの?」

「いえ、そういうわけではございません。本日は、奥様が公務の関係で一週間ほど外出されるとのことで、もしも体調に問題がなければ一緒にお見送りを、とのことです」

「お母様の公務……」

「リリー様の公務といえばガルシア家が多額の寄付をしている孤児院や教会への視察ですかな」

 コーナンが顎に手をやりながら記憶を引っ張り出すように呟く。その言葉にキララは小さく頷く。コーナンの言葉にオフィーリアはリリーの公務について思い出そうとする。

 ガルシア家は騎士の家系ではあるが、騎士の勤めだけでなく、貴族の務めである民への支援も積極的に行っていた。そしてそれらはガルシア家の妻にあたるリリーの責務でもあった。

 ガルシア家は古くより教会への献金や家族を失った孤児たちのための孤児院への寄付を行なっている。そしてただお金を渡すだけでなく、そのお金が正しく使われているかを確認することも大事な仕事の一つであった。それらを視察という名目で、支援している教会や孤児院を回るのが今回リリーが家を離れる理由だった。

「ガルシア家の寄付額は他の貴族とは比べ物にならないと伺っております」

「えぇ、そうね。それもお母様がガルシア家に嫁いでから今まで以上に支援に力を入れていると聞いているわ」

「おや?そのお年でそこまでご存じだとは」

 コーナンの不思議そうな様子にハッとして自分の失言に気がついた。大人のオフィーリアにとっては当然の知識であったが、この頃の自分が知っていたかと聞かれれば答えは「いいえ」だ。自身の失言に思わず口を閉ざしたがコーナンはそれ以上首を突っ込んでくることはなかった。

「そ、それじゃあ、お母様はもうすぐ出発されるのね」

 誤魔化すように話題を戻す。キララは「はい」と頷いた。それを見たコーナンが両手をパンと叩いた。

「それならば早く行って差し上げなくてはいけませんな。オフィーリア様のお体には異常は見られぬし、リリー様にも元気なお姿をお見せして安心させてさしあげるのがよいでしょう」

 笑顔を見せるコーナンにオフィーリアは頷きながらベッドから降りた。薄い桃色のワンピース型の寝巻きが重力に従ってふわりと広がる。オフィーリアが立ち上がるとキララがすぐに近寄ってきてドレッサーの前に案内する。

「それでは、この老いぼれはここで失礼させていただきますかな」

 オフィーリアの支度の準備が始まると察したコーナンはまた朗らかに笑いながら部屋を退出しようとした。しかし部屋を出る前に何かを思い出したのかオフィーリアのそばまで戻ってきた。

「くれぐれも、お体にはお気をつけくだされ。オフィーリア様に精霊のご加護があらんことを」

 オフィーリアのそばで深く一礼する。オフィーリアはコーナンの言葉を頷きながら受け取る。

「ありがとう、コーナン。また会える日まで」

 そう答えるとコーナンは孫を相手にするかのように優しい笑みを見せてからオフィーリアの部屋を後にした。

 コーナンが部屋を下がるとキララが腕まくりをしてやる気を見せた。

「さぁ、時間がありませんからね!素早く、でもお嬢様の愛らしさを全面に出せるように、このキララ、頑張りますね!」

 やや鼻息荒く力強く意気込むキララに苦笑いを浮かべる。オフィーリアとしては家族に会うだけなのだからそんなに張り切る必要はないと思ったが、久しぶりに部屋の外に出るからかキララはそうは考えていないようだ。オフィーリアはキララのやる気を削ぐようなことは言わず、キララのやりたいようにやらせることにした。

 オフィーリアはまずキララに軽く顔を拭われた。柔らかいタオルが気持ちよく感じた。そしてそのあとは髪を丁寧にすいてもらい、髪を結ってもらう。今日の髪型はツインのお団子だった。オフィーリアは今までサラに支度をしてもらう機会が多かったから知らなかったが、キララの手先は器用なようでとても綺麗な編み込みを施したお団子を作ってくれた。

 そのことを指摘すると、どうやらキララには年の離れた妹がいるようだ。今、その妹は第三区にある実家で暮らしているそうだ。ガルシア家に勤めるようになるまでは毎日のように妹の髪を結ってあげていたらしい。

 オフィーリアはてっきりキララは一人っ子か妹だと思っていたので、姉であると知り驚いた。

 キララは髪を結い終わると部屋の壁際にあるクローゼットを開けてオフィーリアの着る服を選び始めた。しばらく悩んでからキララが手にしたのは白を基調としたシンプルな服だった。寝巻きと同じワンピースタイプだったため着替えること自体は簡単だった。

 その服はスカートの下の部分がレース状になっており、レースの下から真紅の色のスカートが透けていた。

 オフィーリアの着替えまで終わるとキララは腰に手を当てて張り切った声を出す。

「さぁ、お嬢様!準備ができましたので皆様のところへ向かいましょう!」

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全てを諦めた彼女がハッピーエンドを迎えるまでの話 豆茶漬け* @nizu

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