第十七話

 ドリィ商店を後にして、オフィーリアとサラは来た道を引き返していた。オフィーリアの後ろを歩くサラはチラチラとオフィーリアのことを見ていた。やがて意を決したように口を開いた。


「お嬢様、一体あの店で何を買われたのですか?…このようなことを申し上げるのは失礼かと思いますが、どうにもあの店主は信用に欠けると思います。」


 サラに話しかけられたオフィーリアは足を止めてサラの方に向き直った。サラも足を止めてオフィーリアの方を見つめる。オフィーリアにはサラの心配する気持ちも理解できた。こんなことを思うのはドリィに対して失礼かもしれないが、未来の記憶がなければオフィーリアもこんな奥まった場所にあって、何を取り扱ってるかもわからない怪しい店になんて足を運ばなかっただろう。


「たしかに、少し怪しげのあるお店ではあるけれど、品質は確かなものよ。場所が場所だから、不安に思う気持ちもわかるけれど…。」

「大通りから外れた場所にはいかないと奥様とお約束したではありませんか。」


 サラは一人外に追い出されたことを根に持っているのか拗ねた様子で言う。普段は見られないサラの様子にオフィーリアはくすりと笑った。

 オフィーリアはサラの両手を掴んだ。


「サラが黙っていてくれれば分からないわ!ね、これは私とサラの二人の秘密よ。」


 いたずらをしたときのように楽しそうに笑うオフィーリアにサラは諦めたように肩を落とした。自分の主人にこう言われてしまってはさらにはもう何も言えるわけなかった。サラは目尻を下げてオフィーリアに笑いかける。


「わかりました。もうこれ以上、この件については何も言いません。でも!何かあったらすぐに旦那様達にご報告させていただきますからね!」

「ええ!それでいいわ。ありがとう、サラ!」


 嬉しそうにサラに飛びついたオフィーリアは、すぐに自分の行動にはっとして恥ずかしそうに距離をとった。


「ご、ごめんなさい。はしたないことをしてしまったわ。」


 顔を真っ赤にして謝る様子にサラは慌てて首を振る。


「いいんですよ!むしろもっと抱きついてください。お嬢様に抱きしめてもらえると、私もとっても嬉しいですから!」


 慌てるあまり変なことを口走ってしまったが、オフィーリアが嬉しそうにしているのを見てサラは結果的に良かったと思った。


「ふふ。嬉しいわ。私、もっとサラと仲良くしたいもの。」


 そう言ってオフィーリアは手を差し出した。


「来た時みたいに手を繋いで帰りましょう?」

「はい。わかりました。」


 サラは小さなオフィーリアの手をそっと握った。オフィーリアはまた嬉しそうに笑うとサラの手を引きながら歩き出した。


 その瞬間、何者かが二人の前に飛び出してきた。オフィーリアは突然のことに反応が遅れたが、サラは瞬時に反応してオフィーリアの手を引き自身の体の後ろに庇った。


 何者かは手に細長い何かを握っており、それを思いっきりノーモーションでサラに向かって振り下ろした。オフィーリアを守るために手を繋いでいたせいでサラはその何かから身を守ることができず直に攻撃を受けてしまった。サラの体は横一直線に飛んでいき、道に置かれていた木箱の山に衝突した。


「サラ!!」


 突然のことにオフィーリアは目の前の自分よりも突き飛ばされたサラに意識を向けてしまった。

 

 それが誤りだった。


 サラに注意を向けていたオフィーリアの首を謎の人物はガッと掴んだ。オフィーリアは思わず呻き声を上げた。


「……ア……ガル…シア………。銀、髪……ガルシア……。殺す……殺さなきゃ、あぁ………。」


 謎の人物はぶつぶつと何かを呟き続けていた。オフィーリアの首を掴んでいるのにも関わらず、オフィーリアのことは認識していないようだった。


 謎の人物はどうやら男で、オフィーリアの首を掴んでいない方の手には木刀が握られていた。サラはこの木刀で突き飛ばされたようだ。


 男の目は虚で焦点があっておらず、何かに怯えているようでもあった。オフィーリアはなんとか拘束から逃れようと男の手を引き剥がそうともがく。


「ころす………殺さなきゃ……みんなが…………。」


 男はもがくオフィーリアを嘲笑うようにさらに手に力を入れた。気道が潰されてうまく息をすることができない。酸欠になる視界の端で、男が木刀を振り上げるのが見えた。


 オフィーリアはその手から逃れることもできず、また木刀を避けることもできそうになかった。


 意識が途絶えそうな中、は木刀が振り下ろされ、くるであろう衝撃を想像して思わず両目を強く瞑る。


 ヒュンと空を切る音が聞こえてきた。しかしいつまで経ってもオフィーリアに衝撃はやってこなかった。代わりに鈍い音が響いた。


 薄目を恐る恐る開けて状況を把握しようとする。目に開けて飛び込んできたその光景に驚いて思わず目を見開いた。


 目の前ではちょうどサラが足を振り上げて男の木刀を握っていた方の手を蹴り上げたところだった。木刀は蹴られた衝撃で宙をくるくるとまわっていた。


 男は突然のことに思考が混乱したのか、尋常ではない速さで視線を彷徨わせ、何が起きたのかを把握しようしていた。しかしサラはそんな男の隙を見逃さなかった。


 オフィーリアの首を掴む腕を関節を挟むように両手で掴むと勢いよく自身の膝を男の肘に向かって叩きつけた。バキッと普通では聞かないような音がすると同時に男が痛みで絶叫する。


「あああああああああああ!!」


 男は折れた腕を庇うように引っ込める。突然手を離されたオフィーリアはその場に座り込みながら咳き込んだ。


「ごほっ……げほっ……はっ、はっぁ……。」


 気道が開放され一気に入ってきた空気にむせ込み思わず涙目になる。男は目の前で痛みに悶絶しており、もうオフィーリア達のことは意識にないようだった。


 サラは宙を舞って落ちてきた木刀の柄を器用に手に収めると、痛みに呻く男にまるで瞬間移動でもしたかのようにパッと近づいた。そして男の首筋に向けて木刀を振りかぶった。


 オフィーリアは涙でぼやける視界で瞬間的にサラがしようとしていることに気が付いた。


「殺してはダメ!サラ!」


 そして無意識のうちに叫んでいた。オフィーリアの声がサラに届いたのかは分からない。もしかしたらサラ自身殺すつもりはなかったのかもしれない。


 何も分からなかったが、サラは直前に木刀を持ち直し、柄頭で男の首を強く突いた。男は不自然に悲鳴を止めてその場に倒れた。どうやら意識を失ったようだ。


「お嬢様!」


 呆然と今起きたことを見ていると木刀を放り投げてサラが走り寄ってきた。サラの顔はよく見るとどこか怪我しているのか頭から血を流していた。


「お嬢様!大丈夫ですか?!お怪我はございませんか?」


 オフィーリアは怪我らしい怪我はしていない。それよりもサラの方がよっぽど大怪我をしている。それに打ちどころが悪ければ命だって危なかったかもしれない。今だって、サラの血が頬を伝ってオフィーリアの座り込むすぐ近くにポタポタと流れている。


「……あ………あぁ、サラ……!」


 そうだ。こうやってサラが生きているのは奇跡でしかなかった。そう考えると途端に恐怖が全身を支配した。どうしようもない思いが溢れ出し、目に涙が溜まる。


「お嬢様、申し訳ございません。とても怖い思いをさせてしまいました。」


 サラがオフィーリアの手を握る。サラの手の温もりが伝わってくる。サラがちゃんと生きている証拠がそこにある。


 オフィーリアはポロポロと静かに泣き出した。泣きたいわけじゃないのに、勝手に涙が溢れてきた。感情のセーブが効かない。サラは痛ましそうにオフィーリアを見た後、安心させるように微笑んだ。


「もう、大丈夫ですよ。怖いものはやっつけましたから。だから、大丈夫です。……さぁ、皆様の元に帰りましょう。」


 静かに涙を流すオフィーリアを必死に宥めながらサラがこの場を離れようと促す。しかしオフィーリアは腰が抜けてしまったのか、上手く下半身に力を入れることができなかった。


「サラ……サラっ…………!」


 オフィーリアは目の前にいるサラに両手を伸ばす。小さな子供が母親に抱っこをねだるように。サラはすぐに意図に気がつきオフィーリアの手を自身の背中に回した。そしてそのままオフィーリアを抱き上げた。


 ぐすぐすと情けなく涙を流すオフィーリアの頭を安心させるように何度もサラは撫でてくれた。


 サラの頬を伝ってサラの血液がオフィーリアの服を汚したが、そんなことはどうでも良かった。ただ、全身で感じるサラの温もりが、確かに彼女が生きていることを実感させてくれて安心できた。


 ぎゅうっと強く抱きしめればサラも同じくらい大切そうにオフィーリアのことを抱きしめ返してくれる。


 そうやってお互いの無事を確かめながら路地を歩き続けると大通りまで戻ってきていた。道行く人は怪我をしたサラと泣きじゃくるオフィーリアをギョッとしたように見ながらも関わりたくないのか遠巻きに見ていた。


 サラはオフィーリアを抱っこしたまま通りを巡回していた衛兵に声をかけた。話しかけられた衛兵はサラが血を流しているのを見ると驚いた様子を見せた。


「なっ……大丈夫ですか!?一体何が……。」

「私のことは大丈夫です。それよりもこの路地の先で不審な男に襲われました。なんとか相手を気絶させることができましたが、姿を眩まされると困ります。今すぐ衛兵を向かわせてくださらないでしょうか?」

「そ、それは大丈夫だが……本当に貴方は大丈夫なのか?」

「見た目ほど大した傷じゃありませんから。…それよりもこの方を休ませてたいのですが、どこか落ち着ける場所はありませんか?」


 ずっと泣いていて使い物にならないオフィーリアの代わりにサラが事情を説明してくれる。衛兵はすぐに近くにいた別の衛兵に声をかけて現場に向かわせてくれた。


「それなら、すぐ近くに私たちの待機所がある。そこなら簡易的な部屋もあるし、少しは休めると思う。それに、貴方の怪我の手当てもできるだろう。」

「ありがとうございます。後もう一つだけお願いしてもいいですか?」

「あぁ。大丈夫だ。その代わりじゃないんだが、あとで落ち着いたらでいいんだが事情を詳しく聞かせてもらえるか?」

「それくらいなら大丈夫です。……それで、この先のメルキン衣料品店にリリー・ガルシア様がいらっしゃるのですが、その御方に私たちがいる場所を伝えてきて欲しいのです。お願いできますか?」


 衛兵はサラの口からガルシア家の名前が出ると驚いたような声を出した。


「ま、まさかあのガルシア家の方でしたか…!無礼な態度をとってしまい申し訳ございません!」


 衛兵は慌てて佇まいを直すと綺麗な敬礼をしてみせた。サラはそんな衛兵に気まずそうに首を横に振った。


「私はただの使用人に過ぎません。そんな風に畏まらられると困ります。」


 サラが困ったように目尻を下げると衛兵はすぐに手を下ろした。


「それでは、私たちはもう行きます。あとのこと、どうかよろしくお願いします。」


 サラはオフィーリアを抱えたまま器用にお辞儀をすると衛兵の前から立ち去った。

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