第五話

「それで。他にはどんなことを話し出していたの?」


 さわはわも葉っぱ同士が囁く音を聞きながらオフィーリアは話を戻した。くすぐったいような、小恥ずかしいような気持ちからは目を背ける。これらの気持ちに向き合うにはもう少し時間が必要なようだった。


「あとはそうですね……。今、庶民を中心に流行っている娯楽小説の話、とかですかね?」


 キララが人差し指を顎の先に添えながら話す。


「あぁ、あの話か。」


 フェルトが思い出したように言う。オフィーリアは首を傾けながら二人の顔を見る。


「小説?どんなお話が人気なの?」


 オフィーリアが聞くと三人は言葉を詰まらせた。オフィーリアはますます首を傾けた。


「ちょっと言いにくいのですけれど、庶民の女性がその国の王子の結婚するみたいなお話です。」


 フェルトが気まずそうに頬を掻きながら言う。


「それのどこが言いにくいことなの?幸せそうなお話じゃない。」

「んー。なんて言えば良いんでしょうか。」


 オフィーリアの疑問にアイラが腕を組みながら考え込む。


「恋には障害がつきものと言いますか。」

「そういったお話には悪役がいるんですけど…。」


 フェルトとキララも難しそうな顔をする。はっきりとしない三人の態度をオフィーリアは不思議そうな顔で見ている。


「その、悪役の立場がお嬢様のように貴族のご令嬢であることが多くてですね。その悪役をいかに懲らしめた上でその恋が結ばれるか、と言うところに皆さん面白さを感じられていて……。あ!でも、これ空想上のお話で、実際にそんなことをしようとする人はいないと思いますけどね!」

「まぁ!みんなはそう言うお話が好きなのね。」


 オフィーリアは礼儀作法に関する本であったり、歴史に関する本であったり、教養に関する本であったりと、実用書ばかりを読んできたので、三人が言うような娯楽小説にはあまり触れたことがなかった。だから三人が気まずそうにしながらも話すその小説に興味が湧いてきた。


 三人が言いにくそうにしていたのも、話の通りならオフィーリアはその小説の中では悪役側になっしまうからだろう。だが、オフィーリアは回帰前に第一皇子殺しの冤罪をかけられていたほどなので、今更その程度のことで不快に感じたりはしなかった。


「その悪役の方はどうして悪役になってしまうのかしら。」

「一般的によくある流れとしては、王子の婚約者であったり、その庶民の娘と結ばれる男性に想いを寄せていて、娘のことが許せずに手を出してしまう、といった具合でしょうか?」


 オフィーリアの質問にアイラが答える。オフィーリアはその答えに驚きを示した。


「王子の方は婚約者がいるのに他の女性と結ばれてしまうの?」


 オフィーリアからしたらそれはあり得ないことで、非常識なことでもあった。貴族間の結婚は、婚約状態にあるとしても政治的立場やその家の権力の保持に大いに関係することでもある。たとえ一国の王子であろうと、一度結んだ婚約を蔑ろにして良い案件ではない。特に婚約者がオフィーリアのように立場のあるものなのだとしたら余計にだ。


 その重さをオフィーリアは身をもって知っているため、その小説にでてくる悪役の女性が少しだけ可哀想に思えた。


「お嬢様。あくまで物語のお話ですから、決して現実に当てはめて考えないでくださいね。庶民の人たちは、その小説を通して夢を見るのが楽しいんですよ。」


 オフィーリアが現実の事情と照らし合わせながら考えていると、思考を読まれたようにフェルトに釘を刺された。


「たしかに、これは物語ですものね。でも、その悪役の女性の方も、正当な権利を主張しているだけなのに、一方的に悪役にされてしまうのは少し可哀想ね。」


 オフィーリアの言葉に三人は苦笑した。きっとオフィーリアがこれらの物語を楽しむには、少しばかり貴族としての責任を重く捉えすぎてしまっているのだろう。


「私も、あなた達のお勧めする小説を読みたくなってみたわ。」


 そんなことを考えていたから、オフィーリアの小さく呟いた言葉に三人はぎょっとした。


「お、お嬢様。ほ、本気ですか?」

「たぶん、お嬢様にとっては、その、少し面白くないかと思います。」

「お嬢様の教育に良くないとサラに怒られる未来が見える…。」


 キララ、アイラ、フェルトの順にそれぞれ喋る。キララはおろおろと慌て、アイラはキッパリと言い切り、フェルトは手で顔を覆いながら肩を落としていた。


 庶民で流行っている小説は、場合によっては貴族の令嬢を侮辱していると言われても仕方がないものもあり、そんな本をオフィーリアが読むのは不安でしかなかった。オフィーリアがその本を読んで無礼に感じだりはきっとしないだろうが、不快にならないとは限らない。それに、そんな本を勧めたとサラに知られれば小言が飛んでくるのも必須だろう。


 そんな三人の心の内をよそに、オフィーリアはどうしてみんながそんなに止めるのかよくわからず、とりあえず安心させるようににっこりと笑った。


「大丈夫よ。私、何でも読めるから。」


 三人の心配は、残念ながらオフィーリア本人には届く事はなかった。



* * *


 

 その日の夜、今日も一人で夕食を済ませたオフィーリアの元にサラがやってきた。


「お嬢様、もうすぐお休みになるところに申し訳ございません。」


 ふかふかの寝台の上でオフィーリアはサラを迎えた。サラは一礼するとオフィーリアのそばまでやってきた。サラの手には数冊の本が握られていた。


「キララよりこの本を預かってきました。キララによれば、お嬢様くらいのお年頃でも楽しく読めるものを選んだとのことです。」


 サラは手に抱えていた本をオフィーリアに手渡した。これは日中、オフィーリアがキララ達に無理を言って準備してもらったものだった。


「ありがとう、と伝えておいてくれるかしら。」


 本を受け取りながらサラに伝言を頼む。サラは一礼して了承の意を示した。オフィーリアは人生初と言っても良い娯楽小説に少し胸を躍らせていた。するとサラが少し言いにくそうに口を開いた。


「あの、不躾かと思いますが…。」

「どうして私がこのような本を読むのか気になるの?」

「!……はい。」


 サラの言葉を先回りするようにして言えば、サラは一瞬驚いたような顔をした。


「サラ、私はね、知りたいの。私が知らなかったことを。知ろうとしなかったたくさんの世界のことを。だからね、これはその一歩に過ぎないのよ。」


 心から楽しそうに笑いながら言うオフィーリアをサラは不思議そうな顔で見ていた。

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