第4話 追いかけ回してくれた礼だ!

「ええい、論より証拠だ!」

 狐と狸にバカされた。

 悔しがり怒るよりも先に、リコの助手としての立場が行動に移らせる。

 脱ぎ捨てたぬるぬるな白衣をドアノブにくくりつけては廊下を全力で走り出した。

 体力筋力には自信がある。

 なければリコの助手など務まらない。

 走ること数分、ただ真っ直ぐ走っていれば見覚えある白衣がドアノブにくくりつけられている。

 立ち止まれば頬に伝う汗をジャージの袖で拭う。

「このぬるぬる具合、間違いねえ、俺が脱ぎ捨てた白衣だ」

 科学的にあり得ないとイクトに激震が走る。

 この廊下は真っ直ぐ一周する形で繋がっている。

「だがどうやって繋いでいるんだ?」

 現状を把握しようと原理がイクトの表情を曇らせる。

 当然のこと、ドーナッツ状に繋げば一周する建造物のできあがりだが、右にも左にも曲がった感覚はなく、ただ純粋なまでの一本道を走ってきた。

「仮にここがどっかの宇宙で、無重力空間で回転による遠心力で重力を生み出していれば話は別だが、回転させているなら、振動や音が床や壁から伝わってくるはずだ」

 リコの助手として培われた知識が仮説を出す。

「加えて部屋の並び具合からして横ならともかく観覧車みたく縦一周に部屋を並べていることになる。これは……あ~もう!」

 分からないことだらけに苛立つイクトは頭皮を掻きむしる。

 構造的にありえない内装だった。

 廊下は平面の一本道。

 坂を上り下りした感覚はなく、浮遊感もない。

 どうやって出入りしているのか謎だ。

 この空間は不気味なまでに静寂すぎた。

 誰かがいた痕跡はあろうと、誰一人いない。

 誰か一人でもいるのを確認するため、部屋を一つ一つ開けて調べようと、どの部屋もあるのは痕跡だけであった。

「ん?」

 見落としがないかイクトは再度廊下を歩き出す。

 そして先ほどまでなかったものを発見した。

「ぬるぬるしてやがる」

 直に手で触れるのは今更だが、用心としてスニーカーの先で触れる。

 目覚めた時、全身を覆っていたぬるぬると同じものだ。

 なかったものがあった。

 嫌な話だが、ぬるぬるの発生源がいたことを証明する証拠だ。

「あ~このパターン映画で見たぞ」

 うなだれながら、ただ肩をすくめるしかない。

 思い出すはパニック系ホラー映画のワンシーン。

 この手の痕跡はヤバい生き物がすぐ側にいると証明するお約束。

 ホラーは趣味ではないが観たいと言い出したのはリコだ。

 怖い物見たさで見始めれば、非科学的だとありえないとあれこれ否定しながらイクトの胸に顔を埋めてはギャーギャー喚いていた。

 しまいには夜中、一人でトイレに行けない、風呂に入れない、頭を洗えないオチつきである。

「そうそう、天井を見上げると――マジ最悪だわ」

 天井に顔を向け、恐ろしい化け物を網膜に映そうと恐ろしいまでにイクトは冷静だった。

 いやあまりのおぞましさに冷静になるしかなかった。

「なんだ、これ」

 言葉で表しづらいが、強いて言うならば人間という人間をミキサーにかけてこね合わせた塊そのもの。

 人間らしき部位が各所に見え隠れし吐き気を催せば、レンチや何かの装置など無機物も混じっている。

 中央にある口らしき部位からぬるぬるを垂らし、床を汚していた。

 ぬるぬるの正体は唾液だった。

「はい、離脱!」

 本能が恐怖に支配されるより先、イクトは駆けだしていた。

 歯の根がかみ合わなく暇も、足が笑う時間もない。

 表情は冷静そうだが、実際、心臓は破裂せんばかりに高鳴り、忙しなく足を動かせと生存本能が指令を発していた。

「もしかしなくても俺、あれに食われていたりするのか!」

 目覚めるなり全身がぬるぬるだった。

 つまりはあの化け物に食われていたと示す証明となる。

 なんらかの理由で吐き出され、そこで目を覚ました。

「不味くて吐き出された。そう考えれば辻褄合うが、ありゃ絶対食い直す気まんまんだろう! あ~くっそ、人の痕跡あっても人っ子一人いない理由はあれか!」

 気づきたくない真実に気づいてしまう。

 あの化け物は人間がミックスされた形容をしている。

 つまりは複数の人間が一つに文字通りまとめられた。

 原因なんて知るか! 解明する前に食われ、身体の一部となるのがオチだ!

「ええい、むざむざと食われてたまるかっての!」

 化け物は天井に張り付いたまま、無音でイクトを追いかける。

 あれだけの巨体で音一つたてず動き迫るなど恐怖でしかない。

 出口はない。ならば立ち向かうしか生き残る道はない。

 どうすると走りながら逡巡した時、ドアノブにくくりつけた白衣が目についた。

「武器があったはずだ!」

 レンチでもボルトカッターでもなんでもいい。

 化け物相手に自衛できるかできないか、部屋に飛び込んでから考えろ!

「ええっと、武器は確か!」

 目に付いたのは壁に掛けられたメカニカルなライフル銃だ。

 殺傷力のある武器だけに一瞬だけ掴むのを躊躇するが、開いたドアに巨体をねじ込ませる化け物に覚悟して掴み取る。

 人間の姿をしているが、既に人間でない。

 躊躇も罪悪感も抱いている暇などない。

「これはどうやって!」

 不安と焦燥がイクトを揺らす。

 ゲームや実験で銃の形をした代物を扱った経験はあるだろうと本物を扱った経験などない。

 ライフル銃は見かけに反して軽く、マグカップを持っているような重さときた。

「この手のタイプは確かこうして、こうで、こうだ!」

 デザインが異なろうと指を添える引き金も備えられた安全装置も共通のはず。

 カチャリとロックが外れる音が確かな手応えを教えてくれる。

「ぶっ飛びやがれ!」

 後は銃口を化け物に向けて引き金を引くのみ。

 だがイクトは一つの失念をしていた。

「なんで弾が出ない!」

 引き金を引こうと銃声は鳴らず、カチカチと空しい音が響くだけだ。

 銃口をのぞき込む愚行は犯さない。暴発により脳天がぶっ飛ぶからだ。

 それ故、絶対に覗いてはならぬと知っていて安全装置の解除まで至ろうと残弾の有無の確認を怠っていた。

<カートリッジ未接続だよ! 繰り返すね! カートリッジ未接続だよ!>

 何度か引き金を引いた時、ライフル銃から発せられた電子音声。

 やや幼さを感じさせる軽快な音声は鼓膜を通じてではなく、銃を持つ腕を介して脳裏に届き、何が足りないのか直感的に指示してくれた。

 その間にも化け物は身体を軟体生物のように変形させ、室内に入り込んでいる。

「カートリッジって、まさかこれか!」

 音声に驚いている状況ではない。

 ライフル銃がかけられていた壁のすぐ横の戸棚にマッチ箱サイズの金属箱が五つある。迷わず金属箱の一つを掴めば、脳裏に走る電子音声に従うままライフル銃の下部にあるスリットにはめ込んだ。

<コネクト成功だよ! チャージを開始するね!>

「ええい、早くしろ!」

 沈黙を保っていたライフル銃から駆動音が鳴り出した。

 まるで停止していたエンジンが始動するようなこみ上げる重低音。

 その間、化け物は迫り、口らしき部位からぬるぬるを零している。

「んなくそ!」

 時間稼ぎだと苛立つイクトは足下に転がるパーツを蹴り飛ばした。

 装甲板らしきパーツは化け物に直撃、接触した部位が弾け飛ばす。

 この手の化け物は傷口の再生がお約束だが、再生するそぶりは見えず、傷口をさらけ出したままだ。

「リコと同じで好き嫌いあるみたいだな、おい!」

 掴んでは投げ、掴んでは投げ続けてと時間を稼ぐ。

 有機物無機物問わずと思えば、化け物にも偏食があったのは驚きであり好機だ。

 リコは牛乳を飲めるがピーマンは嫌いだ。

 ピーマンだけでなく野菜全般が筋金入りの大嫌いだ。

 だから弁当に野菜を詰めるのに苦労した。

 残さず食べてくれれば万々歳だが、残すから困る。

 栄養状態を踏まえて肉に擬態したもどき料理を入れれば気づかず食べるが、気づいた後の処理が面倒だからなお困る。

 警戒して箸をつけなくなりゼリーや栄養食などに走るからさらに困る。

<チャージが完了したよ! 遠慮なくぶっ放せるよ!>

 ここに来てようやくチャージ完了の電子音声が脳裏に響く。

 このシステムの開発者はどうしてこう武器に不釣り合いな人間臭さを組み込むのか、遊び心以前にふざけすぎている。

「追いかけ回してくれた礼だ! 食らいやがれえええええ!」

<解放設定はマックスだから反動に注意してね!>

「へっ?」

 銃口を化け物に向けてライフル銃の引き金を引いた瞬間、発せられた電子音声。

 問いの発声がイクトから出るよりも先、銃口より迸る膨大な光量が網膜を焼き尽くす。

 イクトの身体は発射反動にて紙切れの如く後方に吹き飛ばされていた。

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