第3話 どこだ、ここ!

 天竹イクトは意識を混濁させていた。

 視界が、方向が定まらずにいた。

 母の実家に帰省した際、飲んだくれた親戚に酒を無理矢理飲まされた記憶が否応に引き出される。

 確かに自分はそこにいるはずが、そこに自分たる個はいない。

 何かが外より入ってくる。知りもしない、ありもしない記憶が強制的に見せつけられる。

 誰かの記憶、誰かの知識、誰かの意識。

 不特定多数の誰かが渾然一体の津波となりイクトを容赦なく飲み込み、外から食い散らし塗り潰す。

 そして内なる記憶が強制的に曝け出される。


 ――失敗作。

 ――育てるの、いや生んだことが間違いだった。

 ――何故、優秀な夫婦から欠陥品が生まれる。

 ――天竹家の恥さらし。

 ――よその子はできるのに、うちの子ときたら……

 ――こんなこと、できて当たり前だ!

 ――使えないバカ息子が。

 ――安楽死が合法化していれば処分できたのに。


「キモチ、ワルイ……っ!」

 暴虐に食われる中、イクトは声を絞り、握る手を震えさせる。

 その正体は記憶にこびりついたおぞましき声という声。

 振り切ったはずの過去が、切り捨てるべき声が、イクトを逃がさない。

「あっ、あっああああっ!」

 度重なる声の蹂躙がイクトの精神を砕き、削り去っていく。

 もう誰の声なのか、何なの記憶なのかすら判別がつかない。


 ――助けてくれたお礼だ。このボクが君に勉強を教えてあげよう。

 ――何故、モルくんと呼ぶかと? 簡単なことさ、モルモットは和名でテンジクネズミという。テンジクと天の竹のテンチクは語彙が似ているだろう? だからモルくんなのだよ。


 知っている声が意識を再結合させる。

 知っているはずが顔も名前も誰なのか思い出せない。

 ただ確実に芽生えていくのは不快感と怒りだった。

 どこの誰か知らないが、土足で入り込むな、汚い手で触れてくるな。よそ様の家に入る時は靴を脱げ、手はしっかり洗え、そして帽子はとれ! 頭皮ごと引っ剥がすぞ!

 なんであろうと誰が言おうと、俺はイクトだ。

 モルモットじゃない! 天竹イクトだ!

 声なき声で己を固めた瞬間、手が動く。

 その意識と行動が嵐の中で舞い踊る木の葉だろうと、確かに掴みとった。


「はっ! どこだ、ここ!」

 唐突に目覚めた戸惑いがイクトを襲う。

 嗅ぎ慣れた金属とオイルの臭いがきつけ薬としてまどろむ意識を急速に底上げする。

 網膜を照りつける照明もまた手助けし、覚醒した意識でイクトは周囲を睥睨した。

「うえ、なんだよ、これ」

 全身がぬっとり濡れ濡れのグチョグチョとなっていた。

 オイルでもローションでもない。

 ジャージに染み着き、肌に張り付いて不快感がこみ上げてくる。

 いや一番不快なのは脳味噌をかき混ぜられたことだ。

 勝手に頭を割られ、脳を直に見られたようなおぞましさが今なお消えずにいる。

「ったくリコのしょうもないイタズラだな、これ」

 ただ全身が濡れ鼠になっているだけだが、胸の内から不快感が沸いてくる。

 スライム制作動画で頭からスライムを浴びせられた記憶が否応にも蘇った。

 報復としてスライムの入ったバケツにリコを頭から突っ込んでは、洗濯機顔負けの速度でかき混ぜてやった。

 後はもう互いにスライムを雪玉代わりに投げ合う雪合戦ならぬスライム合戦である。

 結果は当然、イクトの勝利。

 しかし、勝利の代価としてリコがのびてしまい、四散したスリムの後片付けはイクト一人と、かなり面倒になった!

「しかし、どこだここは?」

 自問しながら白衣をタオル代わりにしてぬるぬるをぬぐい取る。

 苛立ちをひとまず納めたイクトはぬるぬる白衣を投げ捨て、周囲を睥睨した。

 日曜の昼下がり、いつも通り近所の広場で生配信していたはずだ。

 記憶と現在の立ち位置が乖離している。

「うお、なんだこれ!」

 睥睨した際、背後に巨大な金属構造物を発見しては思わず驚き、飛びあがってしまう。

 フレーム丸出し、自動車工場で見学した組立途中の乗用車に見える。

 リコの助手でなかろうと素人目でも分かる構造物だ。

「車にしては少しでかいな、いやこれは戦車に近いのか?」

 確かに車に見えるが車高は高く、全体的な大きさはトラックを超える。足まわりはキャタピラではなくタイヤだ。それも四つではなく六つあり、一抱えありそうなほどタイヤの径はでかい。

 組み立てるのを途中で放置したプラモデルのように床や壁面にパーツらしき物体が無数に散らばっていた。

「こいつは銃か?」

 おもむろに壁にかけられている物に触れる。

 二等辺三角形に近い形であり形状からライフルに見えないこともない。記憶にあるライフルとは似通っていてもSFやゲームに出てきそうな近未来感丸出しのメカニカルデザインときた。

 直感が告げる。おもちゃぽいデザインだろうと、殺傷力のある本物であると。下手にさわるのは危険として手を離した。

「そしてなんだこの玉っころ?」

 黄色いテープでぐるぐる巻きにされた赤い玉が台座に固定されていた。

 サイズは丁度ソフトボールほどで、並列に並んだ二つのランプがチカチカと明滅を繰り返しているため、瞬きしているように見える。

「ただのシュミラクラ現象だな」

 自嘲気味に呟いた。

 シュミラクラ現象とは並んだ点や線が人の顔に見えてしまう現象のことだ。

 これや(>o<)やこれ(TwT)など顔文字がいい例である。

「この玉っころも迂闊に触るのは危険だな」

 黄色いテープが巻かれている時点で察するべき。

 部屋は自嘲で発した声の反響でそれなりに広く、どうやら別の部屋があるようだ。

「さーて鬼が出るか蛇が出るか」

 リコを見つけ次第、どんなお仕置きをするか、肩を回すイクトは脳裏で考えながら一歩部屋の外に出た。

 真っ白な空間がイクトを出迎える。

「広いな」

 部屋からの第一歩の発声は見たとおりだった。

 右に向けば規則正しく均一に並んだ扉。

 左を向いても同じく均一に並んだ扉がある。

 耳をすまそうと音らしき音は自ら発する鼓動以外一つもなく、静寂さが不気味さを押し上げてくる。

「まるで刑務所だわ」

 入ったことはないし入る気もない。

 警察の世話には散々なったが、刑務所とは無縁なため精々、警察の特番か、写真で知る程度でしかない。

 内心ではリコがそのうち実験で街一つ爆破させて入るのではと思っていたりする。

「いねえが、これはまた」

 近くのドアをノックするも反応なく、無礼を承知で中に入ろうと、人一人いない。

 ただ内装に驚いていた。

 内装がビジネスホテル並に揃っているのである。

 シングルベッドにトイレ、シャワーつき、冷蔵庫やテレビまである。

 ゴミ箱にスナック菓子の袋。丸められた無数のティッシュ。空の弁当箱。ビリビリに破れられた書類が放り込まれている。

 ベッドのシーツに寝そべった痕跡である皺があることから誰かが確かにいた。

 別の情報を得ようとテレビをつけるがノイズだらけだ。

「読めん……」

 スナック菓子の袋や破かれた書類から、情報を得ようとも筆記体のような文字なため読めない。

 恐らくだが、この部屋の利用者は外国人なのだろう。

「仮に刑務所としても豪華だな」

 刑務所ではなく実はホテルなのかと首を傾げる。

 ただ今なお解せないのは何故、自分がここにいるのか、その理由だ。

「あ~段々思い出してきたぞ。なんか黒い穴に吸い込まれたんだよな。くっそ、そこからが思い出せない!」

 体重の軽いリコを抱えて一目さんで駆けだした記憶があろうと、吸い込まれた後の記憶と抱えていたリコ当人が存在しない。

「いかんな迷子センターがあればいいんだが」

 リコ当人が聞けば怒髪天癇癪地団駄だが、いかせん小さき体躯故、年齢二桁の高校生だと誰からも思われぬ悲しい現実があった。

 一緒に歩いて警察から職務質問された、しっかり大人料金を払おうと逆に呼び止められる、遊園地に行けば身長制限でアトラクションには乗れない。風呂上がりに毎日牛乳飲もうと縦にも横にも伸びない育たない膨らまない。伸びるのは髪と爪だけ。期待と胸は決して膨らまず、小学六年の頃から服や靴のサイズは一切変化がない。

 特に警察とのやりとりは四三から数えるのを止めた。

「ん?」

 長い廊下を歩き続ける中、背筋走る違和感が足を止める。

 真っ直ぐ、ただ真っ直ぐな廊下を歩いていたはずだが、何かが脳裏にひっかかりを与えてくる。

 純粋なまでの一本道。

 曲がり角もなければ外に出る扉は未だ見つからない。

「なんだこの違和感」

 おかしいと感じてはいても原因を言語化できない。

 ふと唯一開きっぱなしとなっているドアに瞳孔を震えさせた。

 中より覗き見えるのは組み上げ途中の車体フレームだ。

「ま、まさか!」

 踏み込んだ室内に声震わせ、ただ絶句する。

 全く近似した部屋が別にあった、ならよかっただろう。

 だが、触れたことでズレた部品やタオル代わりにして脱ぎ捨てた白衣が床に落ちていた。

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