25.半竜人族の少女、死の短剣を欲する。

二人が姿を現したのは円門の上にある監視屋根。その入り口に出現した。

突然の来訪に衛兵が驚くが、ディースが手を上げたことで敬礼を返してくる。

ウォルは手に持っていた杖が邪魔になったのでそのまま“ボックス”に放り込んでしまう。そしてそのまま“ボックス”に入っていた携帯用の紅茶を二つ取り出して衛兵に渡す。

この前は自分達の分しか飲み物が無かったので、用意しておけばと思い“ボックス”に入れておいたのだ。

「お疲れ様です。あの、よかったらこれをどうぞ。」

その衛兵二人はウォルの胸に光る勲章に気づいて慌ててウォルに対しても敬礼をする。

マスターの称号は将軍ジェネラルに匹敵する高位の階級。さらに龍鱗章は皇帝たる『仙天楼の五龍』に次ぐ優先権を持つので ー 作戦時など時として龍よりも下として扱われるがそれでもこの帝国では最上位の勲章である為 ー 敬礼される特権を有する。今回の場合、勲章に気づいた段階で敬礼をしているのでこの二兵は正しい行動。

「はっ。ありがたく頂戴いたします。」

「ありがとうございます。」

二人の衛兵に渡った紅茶は湯気をのぼらせている。長くこの場にいる兵には救いの暖かさだろう。

「すまんな、少し外を使わせてもらう。」

そう言ってディースが断りを入れた。前回来た時は風が強く陽も落ちかけていたので寒かったが、今は真上に陽があり風もない。ちょうどいい感じの気温だった。

二人は柵に寄りかかって下の町を眺める。まだ通りには沢山の人がいた。宮殿内が懇親会をしているので、外でもお祭りが始まっていたのだ。

「ねぇ、もし言えたらでいいんだけどさ、ディースの奥さんのことを聞かせてよ。」

そのウォルの言葉にディースは一瞬思案し、ポツリと声を出す。

「私の妻は“皓灰龍”と言った。

 二つ名持ちの龍で、『灰』という要素を極限まで強化した強き龍だった。」

ディースはそう語り出した。

ウォルには、すぐそれがディースの拠点で見た写真の女性だということが分かった。『灰』の要素ならばディースと対になるような真っ白の服にも頷ける。

「彼女が二つ名を持った時期に親しく交流するようになり、彼女からの申し出もあって婚姻を結んだのだ。

 だがそのすぐ後にあった大戦で彼女は前線に行き、敵であった神域存在の攻撃を受けた。当時初めての接敵ということもあり、対策のしようも無かった。彼女は全ての能力を奪われて帰って来たのだ。そしてその敵は奪取した対象の力が回復するのに合わせてその力を強化するという性質があった。他の龍は目を背けていたが、彼女は自ら望んでその命を絶つ提案をした。彼女が死ねば敵からもその力が消える。

 多くの龍が反対した。もちろん私も含めてだが…。反対したが、彼女の考えを曲げることはできなんだ。」

だから『いた』なのか、とウォルはその経緯に納得した。なんとも傷ましい。結婚したと思ったら、数年も過ごせずに一生の別れとなってしまったということ。

だが続けて語られたのはもっと惨い現実だった。

「だが、…龍は死ねない。強い力を使わなければ。龍はたとえ心臓を刺されたとしても龍力による修復を経て復活する。だからその龍力を上回る力を以て死に至らしめなければならない。

 偶然にも、私にはその力があった。私は自らの眼の力を用いて彼女を殺したのだ。」

そう言って話を切ったディースの目からは一筋の涙が流れていた。

ウォルもその話を聞き、ディースの横顔を見てどんな言葉をかけたらいいか分からなくなってしまった。最愛のひとを自らの手で殺すなど、誰にもできないだろう。だが目の前にいる龍はそうせざるを得ない状況に置かれてしまった。

「もちろんその敵の神域存在は、私が直接戦場に出て手を下した。

 …すまんな、こんな重い話を。」

ディースが泣きながらも笑顔を浮かべてウォルを見る。ウォルはディースにかける言葉が見つからなかった。自分が軽く聞いた質問だったが、ディースは忌わしい過去を話してくれた。

自分の中でも気持ちの整理がつかなくなった。さまざまな色が渦巻いている。あの夢に出て来た星々の光景のようだ。

何かがウォルの中で吹っ切れた。

ウォルは無意識にディースに歩み寄って、そのまま彼を抱きしめる。少し体格差があるものの、ウォルの背丈はディースと四十センチ程しか変わらないので十分に腕を後ろに回すことができた。ディースも驚いたようだが、その手をウォルの肩に回して抱えた。

「ねぇ、ディース。

 私はその“皓灰龍”ひとの代わりになれないけど、貴方の横にいることはできる。

 もし貴方がよければ、私を貴方の隣に居させて。」


何も考えずに言った言葉。

口に出した後に自分が何を言ったのか分かったが、ウォルに後悔は無かった。

「ありがとう、ウォルは優しいな。

 でもだめだ。私は何百何十万年と生きた老兵。対してウォルはこれからさらに力をつけてこの国の中核となっていく新たなマスターだ。」

ウォルの中に怒りの感情が湧き上がる。私はこれほどディースのことが好きなのに、それを受け入れてはくれないのかと。

「さっきはその国に年齢の制限は無いって言った!」

「ああ、だがそれでもウォルは若すぎる。これからさまざまな出会いがあるのだぞ。」

自分の気持ちもわかっているくせに。

私の告白に嫌だとは言わずに、時間や年齢を楯にして諦めさせようとしている。

「嫌だ。私はディースがいい。」

ここで引き下がるわけにはいかない。きっとこのひとは次に戦争が起きれば率先して死ににいく気だろう。自分は古い時代の存在、これからはウォル達の時代だと言って。

「いい?ステアは母親みたいな存在、ホールンさんも自分を気にかけてくれるおじさんのような感覚だわ。ルイン様はあらゆる存在の守護者として高いところから私たちを見ていてくださる。ロノやシャレン、アンスタリスだって友達。

 でも、ディースは、ディースは…。

 ちゃんと対等に話をしてくれるし、私が一番大きな失敗をした時も駆けつけてくれた。

 私に対して『任せろ』って言ってくれたのは貴方だけだもの。私はディースがいい。今後どんなことがあっても、ディースみたいな存在とは出会えない。

 これから出会うような人が、私と一緒に古代魔術オールド・ソーサリーを語り合ってくれる?私を気にかけてくれる?私が失敗した時にちゃんと助けてくれる?」

尚も引き下がらないウォル。

ディースはウォルの肩を掴んで引き剥がすと、一歩下がって言った。

「実をいえば私もその『おじさん』のホールンと同じくらいの歳なのだがな…。

 分かった。そこまで言うのならば、ウォルが『仙天楼の五龍』に並んだ時、私から結婚を申し込もう。

 もう既に力的には私に並んでいるが、その経験、世界への知はまだまだだ。その条件を満たした時、ウォルの私への願いを叶えよう。それならばいいか?」

「うん、分かった。」

ウォルは真っ直ぐにディースの目を見る。あの、黒と紫の綺麗な眼。私はこの眼に魅せられたんだ。死という命の終着点を司るその眼に。

ウォルは渋々その首を縦に振る。ディースからしてみればこの条件を満たすまでにウォルに新たな出会いがあるだろうとの予想だったが、ウォルの決意は堅い。

「私は、絶対に『仙天楼の五龍』に並ぶ。こんなことを言ったら失礼かもしれないけど。

 人間の街からこの国に来て、自分の力があることを知った。まだ私の力は終わりじゃ無い。ディース、待ってて。それまでは絶対に死なないで。」

ウォルは見つめあった黒の眼の中に微かな動揺を見た。やはりそうだった、予想した通り。ウォルにもここ数日の出来事や先ほどの“世界龍”の話から大きな戦争が迫っていることは分かっている。“死眼龍”は帝国の鉾。先陣を切って敵に突っ込み、一撃を入れることを運命付けられている。相手が“世界龍”に迫るような力を持つ存在なら、一撃を入れた鉾は既に敵陣にある。そのままはたき落とされることになるだろう。

「ディース、貴方の短剣をちょうだい。」

「ウォル、何を言っているか分かっているのか!」

「分かってる。夫婦がお互いに持つ短剣はそれぞれの貞操を守るもの。

 でも私はその剣は、お互いの元に戻れるようにという守り刀だとも思う。だから、私は貴方の短剣が欲しい。」

「そうか…。いいだろう。」

今度はディースが頷く番だった。


その言葉を聞いた時、目の前の少女に愕然とした。

何を言っているんだ。

この老いぼれを若い竜人が愛するなど、あってはいけないことだ。何せ歳があり得ないほど離れている。この娘は涙を流す私を慰めるためそんなことを言ったのだろうか。

「ありがとう、ウォルは優しいな。

 でもだめだ。私は長く生きた老兵。対してウォルはこれからさらに力をつけてこの国の中核となっていく存在だ。」

これからこの新たなマスターは世界中を駆け巡っていくのだろう。その中できっと人生を変える出会いがあるに違いない。そう言って諭すが、帰ってきた言葉には怒気が含まれていた。

「年齢は関係ないって言った!」

過去の自分をこれほど恨んだことは久しぶりだ。

確かに自分の中でもこの娘は違うと思っていた。幻想舎で会った時は微かな違和感だったが、一日共に過ごしていつのまにか“皓灰龍”とその姿を重ねてしまっていた。

自分がこの眼で滅してしまったはずの彼女の命が目の前の竜人に姿を変えて戻ってきてくれているかのようだった。舎から離れる時、彼女にしたように石を贈った。思わず名前で呼ぶよう願いながら。

思えばそれが間違いだったのかもしれない。次に会った時に、彼女とは違うということをはっきり視た。だがそれでも彼女に向けていたようなこの心は変わっていない。私はいけないと分かっていながらこの娘を愛してしまったのだろうか。

「いいか、ウォルはまだ若い。これからたくさんの出会いがあるはずだ。」

これからは命を散らすばかりのこの私といるよりも、新たな出会いの方がウォルにとっても良いだろう。

それでも少女は引き下がらない。その想いを私にぶつけ、私しかいないと言っているのだ。

そしてそれに反論できない。確かに古代魔術オールド・ソーサリーを話し合うのはとても楽しかった。退屈だったこの数千年の疲れが一気に吹き飛ぶ様。ウォルが“赤煌龍”を抑えていた時も、私は必死だった。また大切な存在をむざむざと失うわけにはいかない。そんなこともあり、一切の反論ができなかったのだ。

ならば、無理難題を吹っかけて諦めさせるしか無い。肩を掴んで距離を取り、ゆっくりと話しかける。

「『仙天楼の五龍』に並んだ時、私が君に結婚を申し込もう。」

確かに古代魔術オールド・ソーサリーの技量では既に私を上回るが、この娘はまだ元いた人間の街とこの国しか知らない。もっと世界を見る必要があるのだ。

真っ直ぐに見つめてくるその目は内側に一つの宇宙を宿しているかの様だった。この目は私の横ではなくもっと高いところから世界を見て回るべきだ。

それに私はそう長く共に居れる訳では無い。なんせ私は『帝国最強の鉾』。“世界龍”様の命を受けて侵攻してきた神域存在の防御に穴を開ける役目を持つ。私が特攻し、“世界龍”様が止めを刺す。それが話し合って決めた作戦だ。敵の主戦力に正面からぶつかるのは三龍、前衛の私、“世界龍”様、後衛のホールンだ。私が穿ち、“世界龍”様が斃し、ホールンが余波から国を護る。

そんなことを考えていると、目の前の存在はそれを見透かしたように言う。

「私は、絶対に『仙天楼の五龍』に並ぶ。この国に来て、自分の力があることを知った。

 ディース、待ってて。それまでは絶対に死なないで。」

ああ、視られるというのはこういう感覚なのか、と朧げに思う。

「貴方の短剣をちょうだい。」

何を言っているんだ。この娘はその正確な由来まで理解してそれを言っているのか?

まだそんなことを考える歳では無いだろう。

「分かってる。

 でも私はその剣は、お互いの元に戻れるようにという守り刀だとも思う。」

なるほど、守り刀か。

自分の命を絶つのではなく、自分の帰還を害する存在を排除するためのもの。そう考えればその短剣は守り刀と言えるだろう。

ならば渡してもいいだろう。そう思ってゆっくりと頷く。


ディースは腕を一部だけ龍化させ、その鱗をひとつだけ自ら引き抜く。

一番大きなしっかりとした鱗だったこともあって、その引き抜いたところからはどくどくと血が流れている。ウォルは慌てて回復の術式を飛ばして治療する。血が止まるとゆっくりと龍力が集まって小さな鱗を構築していくのがわかった。

「ありがとう。」

そう言いつつもディースはその鱗を掌の上に乗せ、視線を外さずに龍力と神力を集めていく。

ゆっくりとその鱗は短剣に姿を変える。刀身と鞘が宝石のように黒い。その形に動きがなくなった時、急にその短剣は力を持って周囲のエネルギーを吸収するようになった。あたかもそこに穴が出現し、あらゆるものを負の世界に引き摺り込むかのようだ。

それを意に介さずディースはウォルはそれを差し出す。

差し出された短剣にウォルの手が触れると、その瞬間、剣からの力が消えた。

その強い力がウォルに触れた事で蓋をされた、いや、中和されたような状態。

その剣はウォルが所有する限り普通の短剣であり続ける。彼女の元から他の力を持って引き剥がされた時、その力は主人を守るために解放されるのだ。

「ウォル、私も短剣をもらってもいいか。」

ウォルはディースの意外な言葉に驚いた。ディース自らがウォルの短剣を欲するとは思わなかったのだ。

「ちょっと待っててね。“星堕ちフォールダウン”。」

ウォルはロノ達に強化の指輪を贈ったあの時から、自分で武器や装飾を作ることを考えていた。すでに出来上がったものに古代魔術オールド・ソーサリーを付与するよりも、自分が実際にそれを作りながら術式を混ぜ込む方がより強く安定した力を与えることができる。ただ、ウォルはディースのように金属を無から召喚することはできない。で有れば、無理やり手元に持って来ればいいと言う結論に至っていた。幸運にもウォルの強大な力は天に渦巻く塵にまで届く。地上には無い特殊な合金を含むその隕石は術式を用いて何かを作るにはうってつけだ。

ウォルはディースと自分の間に手を出す。

しばらくすると空が一瞬明るく輝き、その中心から一本の眩い線がウォルの元へ続いた。

その光球はウォルが差し出した掌の上に収まる。

ウォルの手元に来るまでに燃焼で失われる物質の量まで計算され尽くされたそれは、ウォルが思い描く短剣と同じ量の金属を含む。

「“想蟹の刃キャンサーダガー”。」

その手の中で作り出されたのは光の加減によって虹色に光る片刃の短剣。ウォルが召喚した星の欠片から作られた宇宙鋼そらがねの一振りだ。

ウォルが差し出すとディースは両手でそれを受け取る。

「これで私は死ねなくなってしまったな。」

そう言ってディースは笑った。ウォルが言った『守り刀』と言う意味合いを優先して、ディースもウォルの短剣を欲したのだ。

ディースの服のベルトの一部が自在に動いてダガーホルダーに変わっていく。ちょうど左胸の下辺り、右手で一番手に取りやすい位置だ。

全身が黒のディースの格好で、一箇所だけ光を放つその剣ははっきりと目立つ。どうやらいつも身につけるつもりらしい。

ウォルも“ボックス”を探って良い感じの長さの黒い紐を取り出した。それを短剣の鞘と結びつけ、“原初”から贈られたベルトストラップに固定する。すると短剣を吊り下げたことを感知したのだろう、そのベルトストラップは形を変え、短剣がベルトにしっかりと固定される様に変化した。

「おお、そんな機能があったのか。」

それを見て驚くディース。

ウォルだって、形を変えるとは思ってもいなかった。

『仙天楼の五龍』が所有したものは、予想だにしない不思議な力があるのだ。

「ねぇ、ディース。これで私も“死眼龍”の婚約者だって名乗って良いってこと?」

「婚約者…。うーん、どうだろう。まあその短剣が私のものだと言うのはいいだろう。」

「やった!」

その場で小さく飛び跳ねるウォル。

この国で短剣を送り合う時期は婚約時、結婚時、告白時など明確に定められていない。だが短剣を所持していれば相手がいることは一目で分かる。街でナンパをしている男はこの短剣の有無でまず相手を判断しているのだとか。近年では華美な装飾の短剣だけを扱うお店もあるほど。竜や竜人の多くはそのような店でペアの物を買うのだ。

そして龍は自らの力を使って作り出した物を相手に贈る。その短剣が持つ力や体感できるその圧で短剣を贈った相手がわかると言うなんとも便利な代物なのだ。

今や殆どの龍がウォルの相手をはっきりと知覚できるだろう。この少女の相手はこの国の二番目の龍、『帝国の鉾』“死眼龍”であると。


飛び跳ねるウォルを見て、ディースはその方に体を向けて忠告する。

「いいか、全てはウォルが大人になってから。龍に並び、そして『五龍』に並んだ時だ。

 それまでにさまざまな出会いがある。これは確定していることだ。もしその中でウォルに好きな人ができたら、その短剣は手放しなさい。ウォルが自ら手放せば消滅する様になっているから。」

「私だってもう大人なのに…。

 この国は明確に成人年齢が定められてないんでしょ?」

「確かに龍や竜の間では数十万年の差の開きは当たり前だ。だが私は…。」

ここまで言って言葉を切り、ディースはウォルの方を見る。

「いいか、龍は数百数十万年を生きる。半数の龍が数百万年の時を生きている。

 だが私とホールンは龍と言う種族よりも神域存在である『仙天楼の五龍』に近い。

 ウォルには言うが、私は七千万年を生きている。桁が違うんだ。」

「七千万年!?」

七千年ではなく七千万年だ。桁が違うとか言うレベルでは無い。

ホールンもディースも、もしこの国に居なければ他の場所で神と崇められ、一種の土地神の様になっていたに違いない。このエンデアには二龍を上回る『仙天楼の五龍』と言う存在がいるからこそ龍としての立場を保てているに過ぎない。

「じゃあ私、神に嫁いだのね。」

「言い方を変えればな。そしてまだ嫁いだ訳じゃないぞ!?」


強大な力を持つ存在が婚姻を結ぶと言うことは、その力を共有すると言うことにも通じる。

それぞれが六十:四十の割合で力を持っていたとすれば、数年もしないうちに五十:五十の割合に落ち着く。力の規模が大きくても、“原初”と“白金龍”の様に互いに拮抗していればそのままの力が維持される。

ではここでその差があり得ないほどのものだったらどうなるのか。少ない方にゆっくりとその力が移動してゆくのだ。その速度はあり得ないほど遅く、体感できる様なものではない。それでも着実にその力は上がってゆく。大きな力を持つ方にしてみれば、少し減った程度では本人の力の増加速度を上回ることは無いのであまり不利益はない。そしてその力の移動は一括したものではなく、龍力、神力、古代魔術オールド・ソーサリーの適性など個別に行われる。“死眼龍”からは神力と龍力が、マスターからは古代魔術オールド・ソーサリーを操る力が。この瞬間からそれぞれに共有され始めた。


「ねぇ、ディース。」

「どうした?」

「私さ、いろんな人を助ける仕事や活動がしたい。これから幻想舎を出ることになると思うけど、そのあとどんなことをしたらいいかな。」

ウォルはディースに自分の思う将来像をぶつけてみた。

ウォルの中に、『自分のことは自分で』という意識が生まれていた。いつまでもステアやホールンさん、そしてディースを頼るわけにはいかない。自分一人で少しでも動けるようになれば、みんなに安心してもらえる。その考えから、少しづつ将来の夢も定まってきた。

今までは漠然とステア“幻想龍”のようになりたいと思っていたが、具体的にいろんな人を助けられる活動がしたいと考えるようになった。自分と同じような境遇にいる人を救い出せるようになりたい、と。

「なるほど、助ける、と言ってもさまざまな方法がある。

単純に貧しい地域に行って食料を配ったり、圧政を敷いている国を解放することも『助ける』と言うことなのだろう。

だがウォルの思う『助ける』、と言うのは『それぞれが自分の得意を見つけて立ち上がることを気付かせる』と言うことなのではないかな?」

さすがディース、ウォルが考えていることを一度で言語化してしまった。

「うん、自分みたいにさ、もう何もできないと思っている存在にも古代魔術オールド・ソーサリーの様に力になるものがあるかもしれない。それに気づける人を増やしていきたい。」

「であれば、今の『魔術師マスター・オブ・ソーサリー』と言う立場はうってつけだ。この立場にあって、古代魔術オールド・ソーサリーを広めていけばそれを習得する機会に触れる人々が増える。

 そして古代魔術オールド・ソーサリー以外のことで言えば、やはりさまざまな場所を見て周り、体験すると言うことはとても重要だ。実際その場にいないと分からないことや、複雑に絡み合った問題が見えてくる。」

このことは先ほどディースが言っていた、『世界を見て回る』ことに通じるだろう。

「ただ、この世界、特にこの国で暮らすには資金が必要だ。何かを食べるにも、何かを買うにもお金が必要。シェーズィンでは幻想舎に、この首都では私の拠点や宮殿に泊まればいいが衣食の面では心許ない。」

「わかった、なんとかして稼ぐ方法を見つけなきゃいけないってことだね。」

今は食事から衣服まで幻想舎に揃っているのでそれで事足りてしまう。だが一歩外に踏み出せばそれら全てが急に無くなってしまうのだ。

「ああ。だがさいわいにしてウォルにはその古代魔術オールド・ソーサリーの腕がある。

 武器や防具、生活用品に術式を付与する付与術士エンチャンターの資格を満たしているし、教授プロフェッサーとして教えてもいい。もしくはそう言ったことを一括して行う国の役職に就いてもいい。そうすれば国から給料が出る。ただ、国から一定の依頼が出るからそれに応えなければいけないが。」

「ディースから見てどれが一番良い?」

「私からすれば国の役職に就いてくれるのはありがたい。私も政治の中枢に関わっているし、いつも動向を把握できるからな。」

「わかった。じゃあそうステアに話してみる。」

「そうだな、それが一番いいだろう。」

と、ここでウォルは授与式が始まる前に話せないかと言われていたのを思い出した。

「そういえば、話したいって言ってたけど…。」

「そうだな、それも今の話に関わってくるのだが…。」

ディースから語られたのはウォルやロノ、それにキコリコ姉妹など幻想舎にいるメンバーのこの後について。

「これからウォル達はこの国に直接的に参加するようになる。幻想舎に居れば、殆どが軍に入るか黒衣集になるかだと言っていい。

 英雄譚などで美化されているが、実際は他国の兵との殺し合いだ。その渦中に放り出されることになる。

 いいか、これからのことでキツくなったら逃げていい。これを他の耳がある場所で言うと良くないからな。これを伝えたかったんだ。」

ディースが言いたいのは、これから先ウォル達はその手で命を奪う時が来ると言うことだ。それを幻想舎や謁見場で言えば、どこからか『“死眼龍”がそう言っていた』と言う情報が出回る可能性がある。高位の軍人としてあまりそのような言葉は好まれないので、わざわざ人のいない場所で忠告したのだ。

各軍に入るアイシャ達は言わずもがな、黒衣集も率い手と言う立場で戦争に参加する。“祈龍”麾下の神官団も防衛に重点を置く特設の軍のような扱い。

「わかってる。でも私も自分から誰かの命を奪いたい訳じゃない。

 その覚悟ができた時、その必要があった時だけ自分の力を刃として向けることにする。」

「なんだ、もう考えていたのか。しっかり自分の考えがあるのならそれでいい。

 だがその様な場面になった時、敵も命を懸けてくる。生半可な思考は戸惑いを生み、その一瞬の間が命取りになることもあるからな。」

「うん。自分が甘えれば仲間の誰かが死ぬことになるってことでしょ。」

ディースはウォルの考えを否定しなかった。

その渦中にある立場から心構えについては言うが、こうしろと言う様に強制はしてこない。やっぱりディースは自分のことをわかってくれている。ウォルは今のやり取りでそれを再確認した。

「ねぇ、ディース。」

「どうした?」

「ううん、ありがとう。」

「なんだ、急に。」

そんなやりとりに思わず笑い合う二人。円門の上の二つの影は長く伸びていた。

それを遠くから見ていたのは青のマントの片眼鏡、そして灰色のローブ、そして水色のベール。それぞれ場所は違うが、向いている方向は同じだった。

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